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猪田克也のこと

 私の目の前には、ひとりの中年男が座っている。

 身長は、私とほぼ同じくらいだろうか。高くもなく低くもない。少し太めの体型で、髪は短めに切り揃えられている。肌は青白く、いかにも不健康そうな雰囲気だ。

 年齢は五十三歳であるが、実年齢よりも確実に若く見られるだろう。いや、若く見えるというよりは幼く見えるといった方が正確かもしれない。実際、彼は童顔というタイプではないが、表情や動作の端々に若者っぽさが感じられた。

 そう、不良少年のようなものを感じさせるのだ。




 今は、ふてぶてしい態度でパイプ椅子に腰掛けている。大物ぶっているのだろうが、今ひとつサマになっていない。

 そんな男と私は、会議に用いられるような折りたたみ式テーブルを挟んで向き合っていた。


「気分はどうですか?」


 尋ねると、彼は顔をしかめる。


「いいわけないでしょうが。クソ狭い独房に、ずーっと押し込められているんですよ。先生も、いっぺん入ってみてくださいよ。一日でいいから、こっちで生活してみてください。そうすりゃあ、人生観も変わりますよ」


「そうでしたね。失礼しました」


 そう、この男は独房に収容されている。

 十年ほど前、彼・猪田克也(イノダ カツヤ)は殺人の容疑で逮捕された。当初は無実を訴えていたが、物的証拠と証人のふたつが揃っており、懲役十三年の判決が降る。

 もっとも、この男の罪はそれだけにとどまらなかった。その後、猪田はふたりを殺害した容疑で再逮捕される。

 結果、強盗殺人の罪で有罪となり、最終的には死刑判決が言い渡された。

 

「では、質問を変えましょう。いつも、どんなことをしていますか?」


 私が尋ねると、猪田はふうと溜息を吐いた。


「仕方ねえから、雑誌に載ってるクロスワードパズルなんかをチマチマやってますよ。わびし過ぎて泣けてきますね。シャバにいた頃は、キャバクラで若い女を(はべ)らかしてたってえのに。シャンパンタワーなんか、月に一度はやってましたよ」


「そうですか。豪勢ですね。私には、想像もつかない世界です」


 言った途端、猪田の表情が変わった。いかにも得意気な様子である。


「先生、キャバクラは行ったことあります?」


「いえ、ありません」


「だろうと思ったよ。あんたは、そういうの縁なさそうだもんな」


 いきなり口調が変わった。その目は、私を完全に見下しているようだ。


「そうですね。全く無縁のまま、この歳まで来てしまいました」


「若いのにもったいないねえ。あのね、人生には大きく分けて三つの楽しみがある。何かわかるかい?」


「三つ、ですか……三つに限定されると難しいですね──」


「ダメダメ! こんくらい即答できなきゃ! 本当に、先生はつまらない人生送ってたんだねえ!」


 私の言葉を遮り、呆れたような口調で言ってきた。


「はあ、すみません」


「いいかい、よく聞きな。人生の三つの楽しみは……飲む、打つ、買うだよ」


「ああ、なるほど」


「せっかくだから、ひとつずつ解説してやるよ。飲む、これは酒だな。ただな、酒って言ってもピンからキリまである。路上で寝てるホームレスのおっさんは、空き缶拾いで貯めた金でワンカップ買って飲むのが楽しみなんだよ。あいつらにしてみりゃ、唯一の快楽なんだろうな。けど、俺に言わせりゃクソだよ。ワンカップなんか酒じゃねえ。やっぱりよ、高級キャバクラを一件貸し切ってのシャンパンタワーだな。あれに優るものはねえよ。俺がシャバにいたら、是非とも先生を連れて行くんだがなあ」


「はあ、そうですか。私も、一度は見てみたいものですね」


「次の打つってのは、博打(ばくち)だよ。こっちも、よくやったなあ。先生、カジノ行ったことある?」


「いえ、ありません。パチンコすらしたことないですから」


 途端に、猪田の口から溜息が漏れる。


「ハアー、嘆かわしい話だな。先生さあ、何が楽しくて生きてんの?」


「さあ、何でしょうねえ」


「さあ、じゃねえんだよ。いいか、カジノじゃ一勝負に数百万や数千万が動くものもあるんだ。ほんの数分で、ひとりの人間の人生を変えちまうんだよ。数分で大金持ちになる奴がいるかと思えば、同じ時間で全てを失いホームレスになる奴もいる。これはな、本当に痺れるんだよ。全身に電流が走るような感覚になるぜ」


「そうですか。私じゃ怖くて無理です」


 そう答えると、猪田はまたしても呆れたような顔になる。ハアーと溜息を吐き、ブルブルと頭を振った。


「先生よう、ここがシャバだったらハリセンで頭をはたいてるぜ」


「えっ、あっ、すみません」


「すみませんじゃねえよ。あんた、タマ付いてんのか?」


「たま?」


「タマだよタマ。男なら、ふたつのタマキンぶら下げてんだろうが。んなこともわかんねえのか」


「は、はあ」


「情けねえなあ。だいたい、今の男はヘタレばっかなんだよな。野性ってものが欠片もねえんだよ。男が野性を失ったら、もう死んでるのと同じなんだよな」


 言った後、猪田はふんぞり返る。私は、仕方ないので頷いた。


 この猪田の生き方は、ある意味では野性そのものだろう。幼い頃から、近所でも名の知れた悪ガキであった。両親に捨てられ施設で育ち、小学生の時には盗みやカツアゲを日常的に行っていた。タバコを吸い始めたのも、小学生の時だった。

 中学生になると、もはや悪ガキと呼べるレベルではなくなっていた。薬物、強盗、強姦……などといった犯罪に手を染めていく。最終的には、少年院へと入れられた。

 出所した後は、チンピラからヤクザというお決まりのコースを歩む。持ち前の残忍さと行動力を活かして、またたく間にのし上がっていった。業界でも、有名な存在になる。その過程で犯してきた罪は、本人ですら数え切れないものだろう。

 ちなみに、猪田の両手にはちゃんと小指が付いている。かつてヤクザには、ミスをしたら小指を切断するという風習があった。しかし、今はそんなことはないらしい。


「ところで先生、ここだけの話だけどさ……俺、実は他にもヤッてんだよ」


 言いながら、猪田は私に顔を近づけてきた。このヤッてるとは、他にも殺しているという意味だろう。

 猪田は、声をひそめて話を続ける。


「ヤクザなんかやってるとよ、いろんな奴とかかわるんだよ。中には、大物芸能人や政治家なんかもいた。俺は、そういう連中の表に出せないトラブルを解決してきたのさ」


「そうですか。大変でしたね」


「先生よお、俺はさ、もっとヤバい事件にもかかわってきた。まあ、そいつは口には出せねえけどな。ヤクザとして、墓場まで持っていかにゃならん秘密だよ」


 言った後、猪田はニヤリと笑った。

 確かに、この男にはそういった秘密があるのかもしれない。もっとも、私はそんなことに興味はなかった。


「ところで、先ほどおっしゃっていた話ですが、残りのひとつは──」


 言いかけた時、ブザーが鳴った。同時に、後ろで控えていた職員が立ち上がる。小山のような体格の大男で、耳は潰れている。紺色の制服を着て帽子を被っており、冷たい目で私を見下ろしていた。


「時間です」


 職員は、私に言った。直後、猪田を立たせる。腰に縄を巻き、手首に手錠を付けた。


「おいおい(あん)ちゃん、手錠もっと緩めてくれよ。手首が痛くていけねえや」


 ヘラヘラ笑いながら軽口を叩く猪田だったが、職員は完全に無視している。腰縄の端を掴み、無言で猪田を部屋から連れ出した。

 私ほ、ふうと息を吐いた。




 翌週、私はまた同じ部屋に来た。

 風景は、前回と全く同じだ。猪田と、小山のような体格の職員がパイプ椅子に座っている点も変わらない。


「調子はどうですか?」


 私が尋ねると、猪田はかぶりを振った。


「いいわけねえだろ。俺でなけりゃ、とっくに頭おかしくなってるぜ」


「失礼しました」


「先生よお、何で極道っていうか知ってるか?」


「いいえ、知りません」


 即答すると、猪田は呆れた表情でかぶりを振った。


「あんたは、学校で教えてくれることしか知らねえようだな。いいか、極道って漢字でどう書くんだ?」


「ええと、極めるに道ですよね」


「そうだよ。で、この道ってのは何なのかわかるかい?」


「はあ、道ですか。何なんでしょうね。やはり、人の道でしょうか」


「違う違う。あんたは、本当にわかってねえなあ。道って言うのは、任侠道なんだよ。任侠道を極める、これが俺たちの稼業だ」


「任侠道ですか。それは厳しそうですね」


「バカ野郎、厳しいなんてもんじゃねえよ。弱きを助け強きを挫く、それが任侠道だ。任侠道を貫くためには、いつ何時でも体を張らなきゃならねえんだよ。そのためにも、若い頃から修業してきたんだ」


 こんなことを言っているが、猪田はふたりの人間を殺して金を奪った。金のためならば、この男は何でもやる。金を得る過程で、直接的あるいは間接的に亡くなった人間は、おそらく十人を超えているだろう。

 そうやって得た金で、キャバクラでのシャンパンタワーやカジノでの大勝負に興じていたわけである。


 逮捕されると、最初のうちは無罪を主張していた。だが、無理だと見るや作戦を変える。全ては、子分が勝手にやったこと。自分は関係ない……と、子分に全てをなすりつけることにしたのだ。

 無論、そんな作戦は通用しなかった。最高裁まで争ったものの、判決は覆らない。結果、猪田は独房で刑の執行を待っている。この男が独房を出るには、刑が執行されるか、病死して死体となるかしかない。


「なあ先生、俺はよう、こんなケチな罪でパクられちまった。挙げ句に、死刑だよ。でもな、俺は死ぬのなんか怖くねえ。さっきも言った通り、任侠道を極めるのが極道だ。死ぬ覚悟は出来てるよ。この業界にいたら、畳の上じゃ死ねねえんだ。それによ、俺みたいな人間が長生きしたら、世の中不公平ってもんた。そこんところはわかってる」


 勝ち誇った表情で、そんなことを言った。その時、ブザーが鳴った。同時に、職員が立ち上がる。


「時間です」




 その翌々週、私は猪田と会った。

 彼は腰縄と手錠をかけられており、周囲を屈強な職員三人が囲んでいる。これまでのジャージ姿とは違い、ツナギのような服を着せられている。顔は青白く、足はガタガタ震えていた。

 それも仕方ないだろう。先ほど彼は、職員より刑の執行を言い渡された。

 つまり猪田は、これから処刑台に行くのだと思っている。その時の反応は人によって違う。糞尿を漏らす者がいるかと思うと、文字通り決死の覚悟で職員らに襲いかかり脱走を試みる者もいたと聞く。

 死刑という究極とも言える状況に直面した時、どんな反応をするか……こればかりは、経験者でなければわからない。


 私の顔を見た猪田は、何か言いかけた。しかし、言葉が出てこない。その様は、ようやく動けるようになった重病人のようだった。

 ところが、その印象は一転する──


 私と対面したことにより、彼の中で何かのスイッチが入ったらしい。手錠をかけられた両腕を振り上げ、足をバタバタさせる。


「嫌だぁ! 死にたくねえ! 死にたくねえよ!」


 涙と鼻水を流しながら、猪田は叫んだ。さらに、手足を振り回し暴れる。今の自分に出来る最大限の抵抗をしているのだろう。

 しかし、屈強な職員たちに一切の容赦はない。猪田は、あっさりと床に押さえつけられた。

 そんな猪田に、私はそっと語りかける。


「大丈夫です。まだ、死んだと決まったわけではありません。バトルに勝てば、あなたは生き残れます。勝ち続ければ、自由の身になれるのですよ」


「バ、バトル!? ダングルバトルか!? 俺は、ダングルバトルに出られるのか!?」


 猪田は、血走った目で聞いてきた。


「そうですよ。今回、あなたはダングルバトルへの出場が決まりました。勝てば、あなたはしばらく生き延びることが出来ます」










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