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70話 誘惑の淫魔③

「赤らめちゃってかーわいい」


 シュチさんはベッドから立ち上がると、目の遣り場に困っている私を無理矢理に頭1つ分違う顔と対面させるように細い指で顎を引き上げた。

 

「ヒューガ……だったっけ?いつでもここに来ていいわ。私が許す。というか来て、来なさい。お喋りだけでもしましょ?今度は無料(タダ)でいいから」


 私は顎に触れている手をそっと両手で包み込み、そしてシュチさんの胸元へと返しつつ、違和感を覚えた言葉について聞き返す。


「……今度は?ということは今回は?」


「もちろん有料に決まってるじゃないの。私のこの貴重な時間をあなたたちのためだけに消費してあげたんだからね。今までの時間で何人……どれだけ稼げると思ってるのよ」


 私たちは後に続く「冗談」という言葉を心待ちにしていた。

 しかしいつまで経ってもそんな気色はなく、果てにはシュウが口火を切り、


「ちなみにおいくらだ?」


「まあ初回だから値引きしてあげて──」


 その値段は零細冒険者ではない私たちにとっては払えうる額だった。ただ割には合いません。リンの情報を得られず、お姉さんとお喋りをしただけ。ましてやここでの本来の用途を一切無視しているのです。喩えるならそう、動物園に来て、ただ園内のレストランで食事をして帰る、といったところでしょうか。

 いえ、そういうことがなかったことには心底安心しているんですが……虚しいったらありゃしません。骨折り損、というヤツでしょう。

 ちなみに私はどこにいくとも知らずシュウについてきたわけなので、まさか人生でこんなところに来ることになるとは夢にも思わず……つまり持ち合わせがありません。宿にてお留守番中です。

 私はシュウの耳元へと近づき、


「お願いしますよ、シュウ。私お金持ってませんからね」


「あー、俺もなんだが」


 その言葉を聞いた時、背中を冷風が(はし)った。

 リンと引けを取らない性癖を持つシュチさん、そして彼女は性のプロフェッショナルでもある。もしお金を持っていないと知られたら……身体で支払うことを要求されるに決まっている。私はまだ純潔でいたいのに……。

 しかし支払い能力のない私たちに拒否権はなく、シュチさんの仰せのままにならなければいけなくなる。詰みというやつですか?どうすれば……。

 というかなんでシュウはお金持ってないんですか!未知の場所に踏み入るにはそれなりの備えが必要でしょう!

 シュウの方を睨みつけてみると──なぜか焦った様子はなく、いつも通りの澄まし顔をしていた。何か秘策があるようです。


「その支払い、ハラン・バンジョーにつけといてくれ」


「あ、おっけーおっけー」


 この人は随分軽いな……。緊迫した空気感を演じていた私がバカみたいじゃないですか。

 そういえば、ハランさんはこのお店の常連客なのでしたっけ。相当通っているのでしょう。そうでなければそこまでの信頼感を築けません。

 この世界にまともな父親はいないんですか?会う人会う人皆、特殊な性質を持っている気がするんですが。


「じゃあそのリンちゃんって子の情報入ってきたら教えてあげる。モルゲンに住む多様な人たちがここにはいっぱい来るからね。手がかりくらい見つかるんじゃないかしら。ハランちゃんが私たちとの連絡窓口になってくれるわ」


「それは助かる。よろしく頼む」


 私も軽く会釈をして挨拶をし、にこやかに手を振るシュチさんを背に、ようやく部屋を後にすることができた。



「はぁ、なんか気疲れしてしまいました」


 お店から出て宿へ向かう。外は既に酔っ払いが活動的になり始める時刻にまで回っている。といってもそもそもここに来たのが遅かったので特に驚きはありません。


「俺らには馴染みのない世界だったからな、仕方ないさ」


「まったくもう……あの箱入り娘はどこいっちゃったんでしょうか……」


「考えたくはないが、もしかすると既にモルゲンにはいないのかもしれんな」


 私は巡らせていた頭と足をその場で停止させた。というよりも急に動かなくなってしまった。

 シュウは数歩いったところで私が立ち止まっているのに気づいて戻ってきた。


「すまん、戯言だ。可能性の域を出ない。あまりマイナスなことは考えずにいこう」


 シュウは中腰になり、私の顔を覗きながらそう言う。その構図から私はまるでわがままなことを言っている子供の気分になる。

 そうか……そもそもリンと一緒に旅ができること自体が奇跡だったんだ。それだけで良かった。私はそれ以上に何を望むというだろうか。

 対等な関係。そんなに固執すべきモノなんだろうか。もしかすると追いかける側とか追いかけられる側とか関係ないんじゃないだろうか。リンはこのパーティーでそれはもう伸び伸びと自由にやっていた。思い出してみれば、同じく私もそうだった。リンのアプローチを適当にいなしたり、変態的言動に喝を入れたり、ただ普通に友人同士のような会話をしたり……2人とも自由にやっていた。それだけで……それだけで良かったんじゃないか。


「……」


 シュウの指が私の顔へと伸びてくる。それを制止する手段は今の私にはなくて──涙袋に沿うように触れられた。

 どうやら私はまた泣いてしまっていたらしい。シュウの指に堰き止められた液体がその傍らから二手に分かれて流れていく。

 涙腺に力を入れて、抑えてみようと試みるも余計に溢れ出てくる。止まる気配がない。

 そんな無様な私の姿を見たシュウは何も言わず、顔から手を離し、前を向き直す。とうとう私の制御の効かない情動反応に呆れを覚えたんでしょう──


「へ?」


 シュウは自分の黒フードを脱ぎ、私の頭の上から被せてきた。別に真冬で私が寒そうな格好をしていたわけでもないのに……というのは私の照れ隠しであって、この行動の意図を私はすぐに理解できた。

 そしてシュウは立ち尽くしている私の手を引いて歩みを再開する。何も力が入らない私はシュウを動力源として動くことができている。

 私の右手は固くて大きな掌に握られ、シュウの温もりがその接触部を通って私に伝わる。

 こんな状態で優しくされたら……されたら……




 好きに……なっちゃいますよ……



 

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