66話 自責と憂鬱①
「……おはようございます」
「ああ、おはよう……朝だというのに元気がないな。リンは一緒じゃないのか?」
「……」
「おうっ!みんなおはよう!」
「ほわーあ、おはよう……」
私はどこに向かうでもなく虚なまま徘徊し、ハランさんの近くに来たところで、
「明日から1人部屋はいりませんので……」
それだけ言ってそのまま前進を続けた。
後ろから何か語尾に疑問符をつけた言葉が聞こえてきた気がしますが、答える気力は今の私にはない。よく眠れなかったので頭がぼんやりしているようです。てっきり日本での社畜的労働のせいで、寝ないことには慣れてしまっているものと思っていましたが……。
昨夜のこと、リンは荷物の何もかもを置いて宿の外へと飛び出していった。その遺失物の中にはもちろんお金も入っていた。相当冷静な判断ができなかったらしい。今頃、石畳の上で寝転がっていることでしょう。真冬じゃなくてよかったですね……なんてのは本筋からズレています。考えるべきことは他にあるはずです。
まず、なぜリンが外へ出ていってしまうほど怒ってしまったのか。私への感情を勘違いしているのだと断定してしまったことでしょうか。それくらい言ったところでへたれるタマではないと思っていました。どれだけ拒絶しても、飽きもせずあんなに引っ付いてきていたというのに……今までとは何が違っていたでしょうか。
リンの感情は私が考えている以上に深いものだったということでしょうか。
分からない、分かりません。人間というのは難しい。そう断ずることは簡単です。しかしリンとはこれからも……少なくともこのモルゲンにいる間は共に行動をする関係、ここで理解を諦めるのはソレを放棄することと同義です。
変に否定しすぎた、ということはあるかもしれません。ただそれは変態的言動について戒めようとした、またリンが真っ当な人間に成るようにという祈りを包含した私なりのアプローチのつもりでした。
そして私の思うところとして、恋愛における片思いというのはこれ以上ないというほどに残酷なのです。あ、いえ、経験談的教訓ではなく、あくまで恋愛というのを第三者的に俯瞰した感想です。
片思い、その追いかける側は追いかけられる側もとい好きな相手に対して自分の恋愛感情の承認、もっと言うと恋仲になることを求めます。しかしその相手が自分のことについて興味を持たないなら、関係は進歩することなく平行線であり、永遠に片思いは続きます。そこで見切りをつけて諦めるという選択ができればそれはそれでいいのですが、諦められない人間は悲惨です。思いは消えないというのに、一生満たされることはないのですから。
つまり追いかける側は立場が弱いのです。双方は対等ではありません。
ここまでで何が言いたいかと言うと、私がリンに対して友愛の精神で接していること、そしてリンが私を恋愛感情的に好いているという事実はまさに片思いという構図に一致します。
このままの奇妙な関係でも……まあ悪くはないのですが、私はもっとリンと仲を深めたいと思っているのです。しかしリンが恋愛感情を持ってしまっている以上、自然と私の方が立場が高くなってしまいます。私の友人論として、対等な関係というのは重要な要素であるのです。双方が対等でなければ友情の進歩は見込めません。
……自身の思いは整理することができましたが、肝心のリンの思考については何も考えていませんでしたね。深層心理で避けていたのかもしれません。奇人たる彼女の頭と同調するのはもともと日本でも人間関係の薄かった私にとって容易ではありません。
本当に、リンは何を思い、そしてなぜあんなにも──
「あでっ」
気づけば廊下の端へと到達していた。私はまるで進行方向に置かれた障害物に邪魔されたプルバックカーのようにそこで力尽き、そのまま壁と額とを擦り合わせるように床へとへたり込んだ。
あれ?何をしにこっちに来たんでしたっけ?
「……おい」
後ろからシュウの声が聞こえた。
応答しようにも頭が重い。振り向くことさえつらい。痛む額をさする余裕すらない。
「チカ、今日はなんだか様子がおかしいぞ」
「あ、あなたに様子がおかしいだなんて言われるとは心外ですよ!」
感情の昂ぶり。反論せねばと、私はその勢いのまま身体を声のする方へ回転させる。
「……どうして泣いている?」
「……え?」
自分の頬を撫でてみると、手が濡れた。全く気づかなかった。どこからともなくやってきた鎌鼬に涙腺を切りつけられたのでしょうか。
ふと、仕事のために徹夜でパソコンを操作しているうちに、悲しいことがあるわけでもないのにぽつぽつと涙が流れ出ていたことを思い出した。
鏡に映った私は一体、どんなひどい面をしているのだろう。
「な、なぜでしょう。分かりません……」
「リンと何があったんだ?」
「いや、特に何も……」
「そんなわけないだろう。1人部屋がいらない?リンはどこに行ったんだ?」
「さあ?」
私は溜息ともとれるような音を吐いた。
「……」
追撃がなくてよかった。
シュウの奥の方では年長コンビがこちらに向かって地雷原を歩くように恐る恐ると言った感じで近づいてきていた。
「杖を盗まれたのが相当堪えたのか……」
「おねえちゃん、元気ないの……?」
そんな有難い、心配をする言葉にも上手く返す言葉が見つからない。
私は重くなっている頭をまるで壊れかけのブリキ人形のごとく動かし、ただ3人を見上げた。




