3話 甘美なる砕氷①
潮風に吹かれ、涼しく快適だった行楽もあっという間に終わってしまい、その余韻も段々増していく夏の暑さによってかき消されていった。
モッコモッコを倒した私たちですが、受けたクエストは飽くまでも〈海開きのための整備及び結界の設置〉であり、討伐の報酬はなく、クエスト自体の報酬に多少色をつけてもらうということで収まった。
「ここの人たちはどうやって暑さを凌いでいるのですか?」
この世界にはクーラーもなければ、扇風機もない。
こうやって日の当たらないところでぐったりするしかないのではないだろうか。私たちの現状の暑さ対策と言えば、ギルドにいることです。この建物は石で作られているのですが、宿は木造であり、そのせいなのか電子レンジの中にいるような暑さに襲われます。
「暑いところに行かないということぐらいでしょうか」
「ここら辺は海も川もないからなー」
「一部の人は避暑のために北の方に2ヶ月程度滞在するらしいが、俺たちには関係のないことだ」
予想通りだ。この世界では暑さを凌ぐ方法が確立されていないらしい。
夏と言えば半袖に海、祭り、花火それから……。
「かき氷ですよ!」
「かきごおり?」
「氷を細かく削って、それに甘いシロップをかけて食べるんです!」
「氷を食べるんですか?」
この世界では氷を食べるという文化がないのだろうか。
こうしてかき氷を熱烈に提案している私はと言えば、実際にかき氷を食べたことがない。別に私の家が貧乏だからではありません。
当たり前ですが、氷とは元は水で、それにシロップをかけただけというなんともフザけたモノを自分で作るならまだしも買う気になりませんでした。
かといってかき氷機を買ってガシンガシンやるのも億劫ですし……。
と思っていると気づけば19年も経っていた。ただ夏祭りの定番と言えば真っ先に名前に挙がるモノとして少し憧れがあり、第2の人生を歩んでいる今、やってみようと決意しました。
異世界での人生は言わばリベンジなのですから。
「ひんやりしていいらしいですよー」
「夏に氷を食べて体温を下げる……面白いですね!」
「俺も食べてみたい!でもこんな暑い時に氷をどこから持ってくるんだ?」
「氷の魔法が使える人はこの近くにいませんか?」
「氷の魔法ですか……あ、いますよ!ね?トウロ?」
「……まさかアイツじゃないだろうな」
トウロさんは明らかに嫌そうな顔をした。
口ぶりからしてリロちゃんとトウロさんの知り合いなんでしょうが、人に分け隔てなく接しそうな、また人の好き嫌いをあまりしなさそうなトウロさんが好まない相手というのは少々興味があります。
「アイツなんて言わないでください。歳上でしょう?」
「関係ないな」
「関係ない?あの人は私たちにどれだけのものを与えてくれたか……」
なぜか険悪なムードになってしまった。
氷の魔法を使う人のイメージとして、確かに残酷や厳格、寡黙だったりというのがありますが……。
「あの……その方とはどういった関係なんです?」
「孤児院にいた時の先輩です」
「氷の魔法を使う人なんていたか?」
「キエンはちょうど会ってないですね。キエンが入ってくるちょっと前に養子として引き取られていきましたから」
孤児院出身の人ですか。この3人も同じところ出身だと考えると悪い人だとは思えませんが……。
トウロさんは机に右肘をつき、手で顎を支える体勢をしている。不愉快だということを表す態度なのだろう。
「確かあの人は今、パン屋を営んでいると聞きましたが……」
「先に言っておくが、俺は行かないからな」
「なぜです?!久しぶりに会いたくないのですか?!」
「会いたくない」
そう言うとトウロさんは、椅子を蹴り飛ばすように立ち上がってクエスト掲示板の方へ向かっていった。
「どこへ行くんです、トウロ?」
「1人でクエスト受けてくる」
「そこまでして会いたくないのですか?」
トウロさんの後ろ姿にリロちゃんは縋るように問いかける。
「もう!トウロのバカバカバカ!」
トウロさんは沈黙を貫いたまま歩き続けている。
「ほっときましょう、あんなの。さ、あの人の元へ向かいますよ」
私がかき氷を作ろうと言い出したことからこんなことになってしまいました。
氷が地雷だなんて誰が予測できただろうか。
「ここです」
看板には〈ヒョージンベーカリー〉と書いてある。
「私も久々なので少し緊張してきました……」
リロちゃんは持っている身の丈ほどの杖を握りしめる。
「美味しそうな匂いだー」
キエンくんはリロちゃんのことなどお構いなしに、鼻をひくつかせながら、遠くから飼い主を見つけた子犬のようにドアに近づいていった。
「ちょっと、キエン!まだ心の準備が……」
ドアを開けると中から芳醇なパンの匂いが漂ってくると同時に活気のある声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませー!」
「お姉さん!カレーパンを3つ!」
「はーい、カレーパン3つね」
「キエン!パンもいいですけど今日は……」
リロちゃんはキエンくんに続いて慌てて飛び出していった。
私も後ろについていく。
「あれ?リロじゃないか!」
その人は氷のイメージとはかけ離れたまるで太陽のような笑顔を持つ人だった。
私と同じか少し大きいくらいの身長。雪のように白く美しい髪が滝のように流れ、纏められているポニーテール。顔のパーツ1つ1つも1度見たら忘れられないほど印象に残りやすく、綺麗なものでした。
まさに容姿端麗と言うのに相応しく、つけている前掛けさえもその人のスタイルの良さを表しています。
「お久しぶりです、ゲッカ姐!」
ゲッカ姐と言われるその人は、親紅瞳竜のように魔力がむんむんと溢れ出ていた。すごい魔力量です。
孤児院から養子として引き取られ、そのままパン屋で働いていたらしいので、冒険者という職業をゲッカさんは経験していない。
だからこそ溢れ出る魔力を抑制する術を知らないのでしょう。もし冒険者をやっていればすごい魔法使いになっていたに違いない。
リロちゃんも一定以上の魔力があるらしいのですが、無駄に魔力を消費しないようにコントロールしているという。
キエンくんは……魔力の扱いが苦手らしい。
「何年ぶりだろうねぇ。この2人はリロのパーティーメンバーかい?」
「そうです。こちらがキエン・バンジョー。こちらがヒューガ・チカです」
「ヒューガ……もしかしてあの親子紅瞳竜殺しのヒューガかい?!」
「ええ、まあ……」
不本意ですが、巷で私の二つ名は親子紅瞳竜殺しとなっていた。
紅瞳竜1匹でさえも討伐するのに相当な労力を要します。ましてやそれを2匹も討伐してしまいました。それで竜殺しという二つ名の頭に親子をつけたという……なんとも安直すぎるネーミングセンスです。
たまに街中でも知らない人に声を掛けられることがあります。ちやほやされるのは決して悪くないのですが……。
「そんな人とパーティーを組んでいるとはねぇ……」
ゲッカさんはキョロキョロと周りを見渡し、
「……トウロは来てないんだね」
「誘ったんですけどね……」
「……まだ根に持ってんだ、トウロ」
「根に?」
「いや、なんでもない。それで今日は昔話に花を咲かせに来たのかい?」
「それもいいのですが、今日はゲッカ姐にある用事がありまして」
「あたしに用事?」
「あ、いえ、私ではなく、彼女からで」
リロちゃんは手で私を差したので、それを合図としてゲッカさんに事情を説明した。
「面白いこと考えるね、ヒューガ。明日でいいかい?ちょうど休業日なんだ」
「ええ、もちろん!」
そう爽やかな返事をした刹那──
「右腕が……っ!疼く……」
いつもの発作が出てしまった。ゲッカさんの魔力に当てられたのでしょう。
初対面の人の前でなってしまうとは……。
戦闘時はこの疼きを敵に放ち、発散させるのですが、通常時はそうもいかず、疼きが収まるのを待つしかない。
なんて不便なスキルなんでしょうか。親紅瞳竜の討伐の時からこの疼きはスキルのせいだと懸命に訴えたのですが笑い飛ばされ続け、今では"そういう人"になってしまっていた。
「……」
ゲッカさんから冷ややかな視線を送られる。
リロちゃんとキエンくんはもう慣れてしまっているようで何も動じていない。
「ゲッカ姐、では──」
そうして私たちは明日、ギルドで落ち合うこととなった。
「昔から美人でしたが、一段と……」
「おいひ!これおいひぃ!」
私たちはキエンくんが買ってくれたカレーパンを手にいつもの宿へ向かっていた。
「氷の魔法を使うことからして、もっとクールビューティーな方かと思っていましたが、意外にもアグレッシブな方で驚きました」
まだ少し右腕が震えていますが、問題なくカレーパンを食べることができています。
外はサクサクで少し甘めなパン生地と中に入っているピリッと辛いカレーが口の中でハーモニーを奏でています。
まるで強弱の豊かなロマン派の音楽のような……。
ホントに美味しいな、コレ。カレーだけではなくゲッカさんの真心も中に入ってるんでしょうねぇ。
「昔はそんなゲッカ姐に助けられてばかりでしたよ。私も……トウロも」
トウロさんがあんな人の良さそうな人を嫌う理由が分かりません。
もしかしたらとんでもない裏の顔を持っているとか……。そんな風には見えませんでしたが……というのはお人好しな私の感想でしかないようですね。