前編
初めまして。雨井浅草と申します。前後編のさくっと読める異世界モノでしたが、連載化しました。
よろしくお願いします。
「うぅ……右手が疼く……」
パーティーメンバーがまたか、と言いたげな顔で私を見る。そんな目で私を見るな。
私の名前は日向千夏。真面目に常識的に生きてきた一般的な19歳の女です。
下に5人の弟と妹がいる大家族の元に生まれまして、私は家計を支えるために高校を卒業してすぐに就職しました。
私が入ってしまったところは、俗に言うところのブラック企業でして、毎日朝から晩まで必死に働きました。
しかしある日限界が来てしまったようで、残業中に居眠りをし、上司に怒られると思い、パッと顔を上げると──
「すいませんっ!」
そこは、会社のオフィスではなく空漠とした自然広がる平原で座っていた椅子もただの大きい石に変わっていて全く理解が追いつきませんでした。
「え……どこだ、ここ……」
そんな言葉が口から漏れ出た。
私の脳内メモリには存在しない風景。おじいちゃんの家のある田舎に似ているかと思えば、「ヒョロヒョロヒー」などといった聞いたことがありそうでも私の知っているどれとも合致しない異質な音。
これは夢?にしては妙にリアルですが……。
座っていても何もやることはないので、考えもなしに歩き始め、喉が渇いてきたところ、森が茂っているのを発見した。
湧水とかあるのかな、と安易な考えで入ろうとした時、眼前の森の茂みからガサガサと音がしました。
ただ私はそんなこと気にせず、鳥たちが羽ばたいていったのかな、と呑気に考え、森の中に入っていきました。
そこでさえずりが聞こえないことから、ソレは鳥たちではないことに気づけばよかったのです。
「ぶもぉぉぉぉぉぉぉ」
足を踏み入れた途端、まるでこの森は立ち入り禁止だと言われるかのように、どこからか鳴き声が聞こえてきた。
何の動物の鳴き声かと聞かれたら、熊とか牛と答えるのですが、似ているだけであって、それらとは明らかに違う形容し難いナニカを感じました。
ヤバそうだなと感じ、逃げようともしましたが、時すでに遅し。その声がどんどん近づいてくるのを感じます。ヤバいです。どうしましょう。
「逃げるな!」
そう男の人の声が森の奥から聞こえてくるとともに、森から出てきたのは、猪?豚?みたいな顔をした二足歩行の怪物です。猪とか豚というのは、人の顔の隠喩では無く、そのまま動物の顔でした。
そこで私は、
「ああ、私は異世界に来てしまったんだ」
と心の中で呟くつもりが、気が動転していて口に出てしまいました。
私は死んでしまったのか、はたまた長い夢を見ているのか分かりませんが、最初に思ったことは、家族は私がいなくても大丈夫だろうか、ということでした。当然ですよね。私は人生のほとんどを家族のために生きてきたわけですから。
その獣人は私と目が合うと、人に害を与えることが自分の使命だと言うがごとく、私の顔の5倍以上はあろうかという拳を向けてきて、それに驚いた私は尻餅をついてしまいました。
折角異世界に来たのに、こんな短時間で死んでしまうのだろうか、この世界で死んだら次はどこへ行くのだろうか、という疑問が頭によぎった。
走馬灯としては、家族はもちろん、学生時代の苦い思い出から嫌いな上司までもが出演された。どういう基準で走馬灯に選出されているのだろうか。最期なのだからせめて楽しいものにしてほしい、とこの世界での生を諦めていたのですが──
突然、獣人は向けた拳を私に当たる寸前で止め、まもなくして後ろに倒れていきました。
何が起きたのだろうか、と獣人の後ろを見てみると、そこには防具をつけた男の人2人と魔法使い的恰好をした女の子1人がいたのです。
「大丈夫か、お前」
私のことを心配してくれる声は、さっき森の奥から聞こえてきた声と同じです。
声の主は、青みがかった黒色の寝癖1つないさらさら髪と日本に生まれていたらアイドルグループで歌ったり踊ったりしていそうな整った顔立ちを持った青年でした。
彼はパーティーのリーダーで、トウロさんと今は呼んでいます。
「尻餅をついただけです」
そう言って私は、お尻についた葉っぱや砂などを払いながら立ち上がった。
「俺の名前はトウロ・ノオーノ。俺の左にいるのが、キエン・バンジョー。右にいるちっちゃいのがリロ・セーゼンだ。あんたどこから来たんだ?服装的にここら辺のヤツじゃなさそうだが」
赤毛で横を刈り込み、髪を逆立てるようにツンツンとした髪型が特徴の背が高い青年、キエンくんは、サムズアップをしてにかっと私に笑いかけ、茶色で肩ほどの髪とサイドバングを肩より長くした小柄な女の子、リロちゃんは、ぺこりと会釈をし、2人それぞれ個性の出る挨拶をしてくれました。
初対面の人にこういった気分のよくなる挨拶をしてくれることから、この人たちはいい人たちなんだと思いました。
「わ、私の名前は、日向千夏と言いまして、えっと、あの……遠くから訳もわからずここにやってきました」
黒く長い私の髪の人間はこの世界では珍しいのか、3人とも私の髪をまじまじと見ている。
「遠くからってどこだ?」
キエンくんは、純粋そうなキョトンとした目で私を見つめてきました。答えを待っているみたいです。
「私もよく分からなくて……」
「じゃあ俺たち討伐終わったから街戻るけど、ついてくるか?」
願ったり叶ったりの提案だった。とりあえず心を落ち着かせたいし、渇いていた喉が獣人との対面による緊張で余計渇いてしまっている。
「ここが俺らの拠点とする街、ピュートだ」
着いたところは、まさにRPGに出てくるような街で、大通りには露店が並んでいたり、日本では見たことのないようなものを食べている人がいた。
「俺たちギルドに行くけど一緒に来るか?」
「ついて行かせて頂きます」
この街に来たとて行く宛もないので、とりあえず彼らについていくことにした。そこでこれからの計画を錬ることにしよう。寝る場所やお金を稼ぐ方法など色々考えなくてはならない。裕福とは言えない家庭で育った私ですが、どんなにお金が無くても体を売ることだけはしてきませんでした。なのでここでも売ることなく、純潔でありたいものです。
しかしいざとなったら……。
「じゃあ俺たち討伐完了の報告と手続きするからここでお別れだ。またどこかで会えるといいな」
「この度はありがとうございました。またどこかで……」
トウロさんは後ろ手で手を振りながら、キエンくんは、こっちに顔を向きながら笑顔で私が見えなくなるまで手を振り続け、リロちゃんは2回会釈して、3人はギルドの奥の方へと向かっていった。
1人になってしまいました。やることがありません。というか何をすればいいか分かりません。
とりあえず受付にでも行ってみて話を聞きましょう。分からないことがあればすぐ聞くこと。分からないままやって失敗するより余程マシですから。
でも何を聞けばいいのやら。
「……すいません」
「はい、どうされましたか?」
「ついさっきこの街に来て、色々と勝手が分からないのですが……教えていただけますか?」
「ええ、もちろん」
金髪の受付嬢は快諾してくれて、ギルドとはそもそも何をするところなのかということやこの街の地理的な情報、その他諸々を、私の疑問に答えながら分かりやすく教えてくれた。
そして受付嬢は、話の節々から私がこの世界の常識を知らないことが察知できたようで、
「固有スキルを調べてみましょうか」
「固有……スキル?」
文字通りその人固有のスキルということだろう。
受付嬢の話によると、この世界は広い地域で魔法が普及していて、生活やモンスターの討伐などに使われているらしい。
私も手からエネルギー波を放出したり、超高温の炎を出したりできるのだろうか。折角魔法の使える世界に来たのだからすごい強い魔法が使えたら嬉しいです!この世界に来てやっていけるのかどうか不安でしたが、今ちょっとワクワクしてます!
「では、こちらの水晶に手を当ててください」
「了解いたしました!」
さあ出でよ!私の素晴らしいスキル!──
私に与えられたスキルは『振動する右腕』。右腕がただ振動するだけのスキルです。告げられた時、比喩では無く、目が点になりました。
強さは電気マッサージ器より少し強い程度です。これでどうしろと言うんですか……?
受付嬢からは、基礎魔法と応用魔法なら自分で習得することができるからと慰めてくれましたが、あっちの世界であんなに頑張っていたのに神様は私のことなど見てくれていないのでしょうか……?
少しはこっちの世界で恵まれた力の1つや2つ手に入れてもいいと思うのですが……。
それと”隠しスキル”なるものが稀に付与されているらしいのですが、それは水晶では確認できず、冒険をしている最中に気づくものであると教えられた。もしかしたらあなたにも……と言われましたが、私には関係ないことでしょう。
まあ与えられてしまったものは仕方ないです。神様は基礎魔法と応用魔法を極めろとおっしゃっているのでしょう。
ウジウジしていても何も始まりませんから。私はポジティブではありませんが、どんなことも挫けないことだけは長所なんです。
「はぁ、それにしても……これからどうしましょうか」
私がやることもなく、ギルドの隅っこの席で机に突っ伏していると聞き覚えのある声が聞こえた。
「おぉ!ヒューガ……だったか?ここで何してるんだ?」
キエンくんは、私の座っている席の隣に座り、机に突っ伏している私と目線を合わせるように屈めた。
この犬みたいに人懐っこい性格は見習いたいものだ。
私は、日向千夏という名前の漢字とは裏腹に自分で言うのもアレですが、陰気なタイプなので。
「行くとこないのか?」
トウロさんは、私の前の席に座った。もちろん、リロちゃんもいて、にこにこしながらトウロさんの横にちょこんと腰を下ろした。
「はい……」
「じゃあ俺のパーティーに入れよ。お前、身長高いし」
身長が高いことがここで役に立つとは思わなかった。私は昔から無駄に身長だけは高く、中学ではバレー部に所属していました。ベンチウォーマーですが。
「いいんですか?こんな何も知らない役立たずなのに……」
「ああ、ここら辺を1人でぶらぶらしてたら危ないし、何より頼る人もいなさそうだし、心細いだろう」
なんていい人なんだろう。この人にだったらついていける。
あっちの世界では上司に恵まれず、上司の不手際なのに私の責任にされたり、理不尽なことを言われたり、退勤間近に仕事を押し付けられたりしたものでしたが、そんな上司とはおさらばです!
「ありがとうございます!これから精一杯務めさせていただきます!荷物持ちでも太鼓持ちでも靴磨きでもなんでもしますので!」
「いや別にパーティーメンバーとして一緒にやってくれればいいよ」
よろしくお願いしますという意味を込めて土下座しようとした私をトウロさんは必死に止めてくれた。
「メンバーが増えてにぎやかになりますね」
私とは違い、心の底から丁寧語を発しているような小柄な少女、リロちゃんは微笑んだ。
実際、私はこうして丁寧語で喋っていますが、家族の前では普通にタメ口を使います。多分、会社で上司と関わることが多くなった結果、骨の髄まで浸透してしまったのだと思います。
「よし、今日はヒューガの歓迎会として飲みに行こう!」
こうしてキエンくんの発案により、ギルド近くの居酒屋で歓迎会が開かれることとなった。
「「「かんぱい!」」」
「かんぱい……です」
コップには、コポコポと小刻みに泡を立てる透明な液体が注がれていた。
香ってくる匂いからお酒であることは間違いない。お酒にあまり詳しいわけではありませんが、日本酒のソーダ割りのようなものでしょうか。
こんな合コンのような男女の集まりなど初めてなので緊張しています。
というかこの世界では、酒に関する法律が整備されていないのだろうか。この子たちはどう見ても20歳には見えません。
「皆さん、何歳なんですか?」
「俺とトウロは同い年で17歳だ」
「私は1つ下で16歳です」
なんと私が1番年上でした。そして私は社会人、お姉さんとしてお姉さんらしいところを見せたいのですが……。
「ヒューガは何歳なんだ?」
「じゅ、17歳ですよ」
咄嗟に嘘をついてしまった。とてもじゃありませんが、この中で1番年上だと言う勇気がありません……。頼られても期待された働きができると思いませんし、この世界の常識も知らないのでこれから3人に色々聞いてばかりだと思うので……。
「そっか!俺ら同い年なんだ!仲良くしようぜ!」
2歳のサバ読みをしているのにも関わらず、キエンくんはなんの疑いも挟まずに私を認めてくれた。まったくもってありがたいことではありますが、この正直さは悪い方向にも向きそうで心配です。
「身長の高さ的に年上に見えたぞ。19歳とか」
流石このパーティーのリーダーといったところです。リーダーという立場上必然的に慧眼が磨かれたのでしょう。
私は話を変えるべく、
「わ、私のいたところではお酒を飲むのは、20歳からでして、こうやってお酒を飲むのは初めてなんです!」
「今日から酒デビューなのか。無理はしないようにな」
「もちろん!無理せず楽しく飲ませていただきます!」
私はコップの中の液体をクビっと呷った。なかなかイケますね。お酒特有の苦さがなく、フルーティーで喉越しが爽やかで鼻に突き抜ける香りも気分を良くしてくれます。
「これはなんてお酒なんですか?」
「果実竜の発酵唾液」
ぐおぇぇぇぇぇ。だ、唾液?!
血の気が引いた。ドラゴンと間接ディープキスってことですよね……。いやぁぁぁぁぁぁ!!
しかしそれがこの世界の常識なんですもんね。受け入れなくてはいけません……。
「大丈夫?お口に合わなかったのですか?」
俯いた私の顔を隣にいたリロちゃんが心配そうに覗いてくる。
「あ、すごい美味しくて……。悶絶してしまいました」
「そうなのですか。よかったです」
私に笑いかけるリロちゃんの左手にあるコップは空だった。この子、意外と飲む子なのだろうか。
「いい飲みっぷりだったぜ、ヒューガ!親父!この子にもう1杯同じのを!」
「今日は楽しみましょうね」
トウロさんは黙々と飲み続け、すでに3杯目に突入していた。
このパーティーはもれなく全員呑兵衛らしい。
「うぅ……飲み過ぎました……」
初めてだったので調子に乗ってしまった。10杯あたりからもう数えていない。
とは言え、他3人は私以上に飲んでいたのを忘れてはならない。
「酔い覚ましにモンスター討伐にいきましょうか」
1番大人しそうで穏やかそうなリロちゃんが狂戦士的なことを提案した。
他2人はもちろん同意した。これは彼らのルーティーンなのでしょう。
「ヒューガ、モンスター討伐は初めてか」
「初めてです」
「とりあえず俺たちについてくればいいから心配することはないぜ!」
モンスター討伐は、なんとなしに終わった。選ばれたクエストは〈農作物荒らし獣人の討伐〉というものです。私はただ見ているだけでした。それも当然でそもそも3人で成立していたパーティーなので、私という存在は過剰なのでした。
と、そんなことを思っていると、倒したと思われていた獣人が顔だけをこちらに向け、イタチの最後っ屁のごとく口から魔力を吐き出してきました。
すると──
「うがっ?!右手が疼く……!」
突然右腕が疼き始めた。そのよく分からない現象は、疼きとしか言い様がなく、というか私はそれ以上の語彙を持ち合わせていませんでした。
吐き出された魔力はリロちゃんの魔法によって打ち消され、獣人はそれから何も動かなくなった。
そして急におかしな言動を始めた私を3人最初怪訝そうな顔で見ていたのですが、やがて焦りの顔となり、
「どうした、ヒューガ?!もしかしてさっきのモンスターが気付かぬ間に透明の毒針をヒューガに刺したっていうのか?!」
多分違う。というか私のスキル関係の現象であることは間違いないのだがどう説明したらいいのやら……。
私の固有スキルが右腕を振動するだけというふざけたものだと伝えたらパーティーを追い出されてしまうかもしれない。
というか私のスキルは自分の意思に関係なく発動するものなのでしょうか。使う機会も使った試しも1度もないので、分からない。
「あ、いえ、少々右腕の調子が……」
3人は私を不思議そうに見つめる。その後3人は顔を見合わせ、納得したように手をぽんと叩いた。
勘違いされているような気がしますが……。
そして今に至ります。異世界に来てからどのくらい経っただろうか。
納豆ご飯やお味噌汁が恋しいです。しかし私もこっちの世界の食生活にはだいぶ慣れてしまったようで、何から採れたか不明な肉やぴちぴちと飛び跳ねる目玉焼き(のようなもの)などよく分からないものを何も考えずに食べてしまっています。
知らない方がいいこともありますからね。
「暇だし、クエストでも受けるか」
そう言ってギルドのクエスト掲示板に向かうトウロさんに私たちは文句言わずついていく。
やることがないのはみんな一緒であるし、そもそもトウロさんはリーダーなのでついていくのは当然です。
パーティーの中で1番魔法が上手いというリロちゃんに基礎魔法を教えてもらったことで、私は最低限の戦闘力を手に入れました。
それでも3人には遠く及ばないのですが。
「これなんかどうでしょうか、トウロ?」
「これにするか」
選ばれたのは〈紅瞳竜の卵の回収〉です。
曰く、紅瞳竜は強大な魔力を持つ竜ですが、卵を産んだら産みっぱなしで子育てをしないことで有名で、卵を回収しようとしても親が近くにいることはないので容易に回収することができるという。
回収した後どうするのかは知りませんが、大きいパンケーキでも作るのでしょうか。
ただ卵のうちに破壊しておくことは、紅瞳竜による災害を減らすことに繋がるのは確かです。
「卵が確認されてからまだ2日か。安心して回収できるな」
そうして私たち一向はギルドを出た。