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7 エンディング

「すみませんでした!」

 ステージが終わった後、体育館の裏で月音と高梁が頭を下げてきた。

 月音はともかく、高梁がこんなに深々と頭を下げるのは珍しい。居眠りしているとき以外に彼女に頭頂部を向けられるのは初めてだった。

「いや、いいんだ」

 二人は頭を上げない。自分たちがしたことはそう簡単に許されることではないはずだと感じているのだろう。

「席を外した理由は、えっと、その……」

「言わなくていい」

 私がそう言うと、高梁と月音は不思議そうに眉を八の字にしながら顔を上げた。

「のっぴきならぬ理由があったのだろう。それを聞く義務など、私は持ち合わせてなどいない。色々と大変ではあったが、最後には最高のステージができた。おまえが来るまでは小一時間叱ってやろうとも思っていたが、もはや文句はない。あの一曲で、全部吹き飛んだ」

 それは、表面上の言葉ではなく、本心からの言葉だ。

 二人は再び頭を下げる。

「ありがとうございます」

「気にしなくていい。顔を上げてくれ」

 顔を上げ、二人はほっとした表情で顔を合わせた。私には触れられない、二人だけの意思がその間を往復したのを感じる。

 月音はパン、と手を叩いて私を見上げた。

「それにしても小池先生、すごくギターお上手なんですね。びっくりしました」

「それな! ウチも最初は適当にストロークとか、八分はちぶの簡単なアルペジオするだけかと思ってたけど、最終的にがっつりパーカッシブな演奏をすげえ完成度で持ってきててびっくりしたよ」

「もう一曲でも多かったら妥協してたところだ」

「いやいや、予定にない曲弾いてたじゃん。四曲練習してたんじゃん」

 冷静に考えると、学生時代の黒歴史を大観衆の前で披露したようなものだった。顔が熱くなってくる。

「あれは……昔からよく弾いてたから」

「あ! もしかしてあの曲って学生時代に好きな子に――」

「あーあー聞こえない聞こえなーいーあーー」

 いつぞやの高梁の真似をして彼女の言葉を遮る。実質的に認めているようなものである。

 高梁のことだからいじってくると思っていたが、高梁はそれ以上話題を深掘りせず、水彩画の微風のように優しい微笑みを私に向けるだけだった。

 その話すごく気になる、と月音が呟いたが、それでも高梁は何も言わない。

 彼女のそんな表情を見たのは初めてだった。

 私は国語教師だ。言葉や表情の裏に隠れた真意を読み取ることには自信がある。

 しかし、さっぱり分からなかった。

 気恥ずかしくて、高梁たちに背中を向ける。

「高梁。ありがとうな」

「へ? ウチなんか褒められるようなことした? 最初から最後まで迷惑しかかけてないと思うけど」

「自覚はあるんだな」

 私はくすっと笑う。いつもの仏頂面が崩れて、けっして生徒には見せられないようなブサイクな顔になっているに違いない。

「最初と今日は泡吹いて倒れるかと思ったが、おまえが誘ってくれたおかげで、なんだかんだ楽しめたよ」

 おまえは、俺のヒーローだ。

 そのクサいセリフは、さすがに言えなかった。

「俺のギターも喜んでるしな。ありがとう」

「へへっ、どういたしまして。小池っちのギターはなんて言ってる? 好きな女の子に披露するためにローンで買ったギターくんは」

「初めて小池以外の顔を見ることができて嬉しかった、ってさ」

「え、それって」

「じゃあな」

 私は振り返らず、職員室へ歩みを進めた。右手を顔の横に上げ、軽く振ってみる。


 翌日の朝、本日の日直である染谷が職員室にやってきた。

「小池先生。おはようございます」

「おはよう」

 私は日直日誌を差し出す。

 染谷はそれを受け取り、形式的に「ありがとうございます」と頭を下げてから背中を向ける。が、再び私の方を向き、「そういえば」と切り出した。

「あれって本当ですか?」

「あれとは」

 私はコーヒーに口をつけて染谷を見上げる。

「学生時代に好きな女の子のためにローンでギターを買って寝る間も惜しんで練習したけど、披露することなくフられたって」

 飲んでいたコーヒーでむせた。

「だ、だいじょうぶですか?」

 ゴホゴホと席をしながら「心配するな」と手のひらで伝える。まともに話せるようになるまで十秒ほどかかった。

「もう少しでコーヒー吹くところだった……危ない……。染谷、どこでそれを」

「情報源は知りませんが」

「ひとつしかないのだが」

「クラス中ですごく話題になってましたよ。っていうか、そういうのって普通弾き語りじゃないんですか?」

「その真理に中学生で気づけるようになりたかったよ。頭がいいな染谷……」

「廊下でもみんな話してたんで、もう学年中広まってるんじゃないかな」

「は?」

 そのとき、ちょうど生徒会長が「おはようございます!」と元気に職員室へ入ってきた。目が合うと、彼はパッと顔を輝かせた。

「小池先生! 昨日はありがとうございました! めっちゃ最高でした! いやあ、学生時代に好きな女の子のためにローンでギターを――」

「高梁ぃ!」

 私は叫んで生徒会長の言葉を遮った。

「あのやろう……!」

 あいつの緊張を和らげるために!

 恥を忍んで語ってみたというのに!

 簡単に言いふらしやがって!

 それに――。

「フラれたんじゃなくて、その子に長年付き合っていた彼氏がいたから身を引いただけだ! 間違った情報広めやがって!」

 誤報ほど拡散されやすいものだ。――もっとも、正確な情報だとしても広がり方に大差はないだろうが。

 私は立ち上がり、早足の大股で廊下へ向かう。

「今日という今日はみっちり叱ってやる!」

 三田村先生が「今日は美味しいお酒が飲めるわね」と愉悦しているのを横目に、私は職員室を飛び出した。




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