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6 僕と一緒にギターを弾かないか?

 幕が閉じている間、その内側はバタバタとしていた。私が学校の備品であるコンボタイプのギターアンプと高梁のエフェクターボードを運び、放送部がマイクをキャビネットに向ける。音声チェックのためにアンプの電源をつけ、ステージ脇に置いた高梁のギターを軽く鳴らした。客席へのスピーカーは切られているが、その音は観客席にも充分届く。客席がどよめいたのが聞こえた。きっと彼らはこの幕の向こうに高梁がいると思っているのだろう。その期待を裏切ってしまうことは申し訳なかった。

 イヤモニから「エレキギター、オッケーです」と聞こえてきた。次はアコースティックギターのセッティングだ。ステージ中央よりやや上手側に椅子が置かれ、私はギターを抱えて座る。放送部の生徒がマイクをサウンドホールの縁に向けた。Eマイナーコードを大きめのストロークで何度か鳴らしていると、自分が鳴らした音がイヤモニから聞こえてきた。

「アコギ、オッケーです」

 次は私の口元にマイクが向けられる。咥えられるほどの距離に向けられ、「声お願いします」と言われると、私は「あーあー」と声を出した。プリアンプやイコライザーなどの細かいセッティングは昨日完了していたため、ここでは音が正常に入力されることの確認のみを行う。高梁のほうのマイクは高梁と身長が近い放送部の生徒が声を出し、問題なく終わった。

 中学生の文化祭でこれほどしっかりと音響の準備ができるものなのかとリハーサルでは驚かされたものだが、趣味でDTMをする放送部の子のノートパソコンと放送部の機材、体育館の設備を駆使すればできるらしい。

 裏方がステージ袖にはけ、私はひとり残された。

 ステージ中央のマイクスタンドの前には誰も立っていない。

 昨日のゲネプロでは、小さな背中があったはずなのに。

 ステージが始まることを告げるアナウンスが聞こえる。スケジュールから二分遅れでの開始だった。アナウンスでは諸事情により高梁がいないことが告げられ、残念がる歓声が聞こえてくる。それが肩に重たくのしかかった。

 だが、その歓声の中には私への期待の色も確かに混じっていた。

 その期待には、必ず応えなければならない。

 大人として。

 そして、必ず帰ってくる相方のために。


 ステージには私ひとりが残された。

 ついに幕が上がる。

 真っ暗な体育館には生徒たちがいっぱいに満ちている。見慣れたはずの体育館なのに、まるで異世界の景色だった。

 期待に満ちた拍手が鳴り響く。幕が上がりきると拍手がおさまり、ついに無音になる。鼓動が全校生徒まで聞こえてしまうのではないかと思うほど、静かに思えた。

 そして、ゆっくりとDコードを鳴らす。

 しばらく音を鳴らしてから、ワン、ツー、スリー、とボディを叩いてカウントする。

 五、六弦のグリッサンドが、舞台の始まりを告げた。

 ギターの爽やかなリフと前ノリのリズムが印象的なイントロが始まる。リズム、リフ、コード。原曲では様々な楽器で創り出されるグルーヴのすべてが、ひとつの楽器から鳴らされる。それを生で聞いたことがある生徒はきっと多くない。どのような顔をしているのだろうか。見ている余裕がないのが残念だ。

 ブラッシングとスタッカートを意識してイントロを弾ききると、Aメロが始まる。

 左手の動きは控えめにし、私は歌う。

 私の声はサビのハモリだけ担当する予定だった。が、主旋律がいないのにハモリだけが存在するわけにはいかない。歌い慣れないメロディーを、一心不乱に歌った。

 私にとってこの曲の主旋律のキーはやや高く、サビでは声を張り上げなければ届かなかった。ギターを弾きながらの発声のため、正確に歌えているかは分からなかった。

 一曲目のエンディングまで来る頃には、すでに頭が真っ白だった。肩がぜいぜいと上下する。喉も痛い。

 最後の音をかき鳴らしてミュートすると、想像していたより何倍も大きな歓声が全身に響いた。

 人前に立つ仕事をして長いが、これほどまで心地よい注目を集めたのは初めてだ。興奮と緊張と酸欠でどうにかなってしまいそうだった。

「どうも。小池です」

 いつもの授業のように淡々と話すことを心がける。

「私を知らない生徒はきっと、このおっさん誰だ、と思っていることでしょう。私を知っている生徒は、なぜこのおっさんがステージに立ってるんだ、と思っていることでしょう」

 客席からどっと笑いが起きた。

「さきほどアナウンスされましたが、本来このステージに中央に立つはずだった主役がいません。なぜいないかって? 私が聞きたい」

 再びどっと笑いが発生する。そこに混じり、「先生がんばれー!」と男子の声が響いた。

「応援ありがとう」

 言ってから、アーティスト気取りすぎた言い方だったかも、と思う。

 だが、今日くらいは許されるだろう。

「あいつはきっと帰ってくる。いや、必ず帰ってくる。そうだな、きっと次の曲が終わる頃には。根拠は一ミリもないが自信はある。なにせ、ヒーローは遅れてやってくるものだから」

 あいつがヒーロー、か。

 そんな言葉は台本にはない。心の奥の方から勝手に飛び出してきた言葉だった。

 いつも迷惑ばかりかけてきて、この後に及んでとんでもない迷惑をかけてきたあいつのどこがヒーローだというのか。

「おっさんの話なんて聞き続けててもしょうもないだろうから、そろそろ次の曲に入ることにしよう。次の曲は、プログラムにはない曲だ」

 当初の二曲目は、私がひとりで弾けるものではない。ひとりでステージに立つと決めてから、ここをどうするか悩み続けていたが、MCをしながら決めた。

 私がひとりで弾ける曲なんて、ひとつしかない。

「みんなが知っている曲かは分からないが、背もたれに体を預けてゆっくり聞いていってくれ」

 ピックを膝に置き、指だけで弦に触れる。

 私が唯一弾ける、ピックなしで弾く曲だ。

 ハイポジションのF♯9エフ・シャープ・ナインスをアルペジオ気味に鳴らす。


    どうだい?

    仕事は終わったかい?

    まだなら ちょっと息抜きしてくかい?



 一ヶ月前に弾いたときよりも、ずっと綺麗な音が鳴っている。

 練習の合間に息抜きにしていた、百パーセント趣味の練習が役に立つことになろうとは。



    たとえ 君が約束の時間を二時間間違えても

    僕はへっちゃらさ

    ギターを弾いて待ってる

    たとえ 君がどこかで誰かとキスをしていても

    僕はへっちゃらさ

    ギターを弾いて待ってる

    たとえ 君が世界の敵になったとしても

    僕はへっちゃらさ

    ギターを弾いて待ってる

    ギターを弾いて待ってるから


    九月が終わる頃

    ヒーローが自分を起こしてほしいと頼むだろう

    だから

    十月が始まるまで 僕はギターを弾き続ける

    ヒーローの引き立て役にすらならない

    モブの演奏だけど

    もしよかったら聞いてってくれよ

    僕の青い歌を


    僕はギターを弾き続ける

    ギターを ひとりで 弾き続ける



 この舞台の主役は高梁だ。みんな高梁の歌と演奏を聴きに来ている。純粋に私の演奏を聴きに来た生徒など、おそらくひとりもいないだろう。ヒーローの引き立て役にすらならないモブの演奏なんて。

 だが、この時間が無駄だったと教え子たちに思わせるわけにはいかない。

 せめて、この空間の外では感じることができない、特別な安らぎを与えたい。



    たとえ 君が現実に

    心を折られてしまったとしても

    ギターを弾いて待ってる

    たとえ 君が世界を救うヒーローとして

    悪と戦っているとしても

    ギターを弾いて待ってる

    たとえ この部屋の外が

    戦火の炎で包まれていようとも

    ギターを弾いて待ってる

    ギターを弾いて待ってるから


    ギターを弾き続けるから

    弾き続けるから



 ここから曲は盛り上がり始める。魂を右手に込め、強く振り抜く。

 ふと、私は感じた。

 やはり私は学生時代から何も変わっていない。

 鎧を着るようになっただけだ。

 鎧を着て、自分が抱え続けてきた夢に蓋をしてきた。

 こうしてギターを披露したいという夢を。

 その夢を叶えてくれたのは、紛れもなく高梁だ。

 彼女は、私の夢を叶えてくれたヒーローなのだ。



    サウンドホールから広がる森の中

    君の足音が聞こえた

    僕はへっちゃらさ

    ギターを弾いて待ってたから



 イヤモニ越しに、かすかな異音が聞こえた。ステージ裏の勝手口が開く音だ。舞台裏からざわめきが感じられる。

 右手のストロークをさらも大きくし、ダイナミックに音を鳴らすことを心掛ける。

 練習のときよりも、さらに強く。



    サウンドホールから広がる森の中

    君の足音が近づいてくる

    僕はへっちゃらさ

    君を信じて待ってたから



 本来はここからアルペジオ中心の静かなサウンドに切り替え、エンディングに向かうのだが、あえて強いまま弾き続けた。こんな弾き方をするのは初めてだ。全身を巡るアドレナリンに身を任せる。



    どうだい?



 ギターアンプからかすかに電子ノイズが鳴り始めた。

 ステージ脇でボリュームノブを回す彼女へ語りかける。



    仕事は終わったかい?



 おまえがいなくなってどれほど心配したか。どれほど不安になったか。俺や裏方がどれだけ慌てたか。

 聞きたいことはたくさんある。聞かせてやりたいことは山ほどある。

 だが、今はそんなことよりも――



    僕と一緒に ギターを弾かないか?



 ステージが暗転した。予定にない演出だった。

 そして、歪んだピックスクラッチが体育館に響く。すべての開放弦が鳴らされると、暗闇の中、足音がステージ中央へ向かい始めた。ハーモニクス混じりの開放プリング・オフを繰り返す六連フレーズが、下がっては上がってを繰り返しながら一弦から六弦へ降りていく。最後にEのパワーコード――ギターが出せる最も低いコードが鳴らされ、止まる。彼女はステージ中央まで辿り着き、右手でマイクを掴んだ。

 訪れる束の間の静寂。その空間を割くのは、小さなヒーローの一声。

「待たせたな」

 ぴったりと重なったふたつのCM9シー・メジャー・ナインスコードから、本当のステージが始まった。

 私は低域でコードをかき鳴らす。

 高梁は高域でオクターブ奏法のフレーズを弾きこなす。

 二小節から鳴るフレーズを二度繰り返す。

 三度目は途中から形を変えて音程と期待感を上げる。

 七小節目、八小節目はラン奏法の速弾きで埋められる。

 そのスピードに、歓声が一段と湧き上がった。

 彼女と私は一心不乱に突き進む。

 きっと原曲よりもテンポが早くなっていただろう。

 曲が進むにつれてさらに走っていったに違いない。

 そのカオスな疾走感が、たまらなく気持ちよかった。

 高梁の横顔には、汗がきらめいていた。

 きっと走ってやってきたのだろう。

 汗だくなのは、おまえの相方も同じだ。

 眉に溜まった汗が瞼へ落ちてくる。

 もはやそんなものは気にならない。

 汗が目に入って視界が奪われても、構わず弾き続けた。

 五感の全てを奪われたって最後まで弾けてやる。

 スタッカート気味の決めフレーズの後、転調してサビに突入する。

 高梁が歌う旋律の三度下でハモリを歌う。

 一曲目で歌った主旋律よりも遥かに気持ちがいい。

 かすかだが、観客席からも歌声が聞こえる。

 会場中が一体となっていた。

 楽曲は間奏に突入する。

 私はコードのベース音を強調して弾き続ける。

 土台は俺に任せろ。

 だから、上で思いっきり暴れてやれ。

 三曲分のパワーを発散してやれ!

 シャウトじみた高梁の高音が体育館を揺らす。

 揺れが収まったのはほんの一瞬。

 冷静になる隙を与えず、ギターソロが始まった。

 高梁は風船が弾けるような激しく素早いフレーズを奏でる。

 聞いている側が息をするのも忘れるほどの速さだ。

 かつ、一音一音が正確だった。

 一朝一夕で弾けるものではない。

 相当練習してきたのだろう。

 相方として、教師として、ひとりの大人として。

 彼女がこのステージにそれだけの情熱を注いでくれことが、嬉しかった。

 そして、勢いそのまま曲は最後のサビへ突入する。

「歌える人は一緒に歌ってくれ!」

 彼女の一声により、オーディエンスからの歌声は一段と大きくなっていた。

 四百人を超える歓声に、高梁の声はまるで埋もれない。

 きっと防音性能の低い体育館など軽々と突き抜け、学校中に声が響いていることだろう。

 百四十一センチメートルの小さな身体のどこから、このパワフルな声が出るのだろうか。

 サビの最後、Cコード、Dコードと順に十六ビートで刻んだ後、緊張感のあるD♯dimディー・シャープ・ディミニッシュコードをじっくりと響かせる。

 ステージが終わるまでに残された音符は、あと四つ。

 私たちは互いに目を合わせ、まったく同じポジションでGコードを押さえ、全力で右手を振り下ろしてすぐさまミュートした。

 タイミングがぴったりあったふたつのギターの音色が体育館内が一瞬だけ響き、残響だけが残される。

 もう一回。

 次はDコードに切り替えてもう一回。

 最後にGに戻し、思いっきり右手を振りおろす。

 残響が空間に残り、観客の身体に吸収されていく。余韻に満ちた静寂が一秒間訪れると、割れんばかりの歓声と拍手が発生し、ステージが暗転した。

 ゆっくりと幕が降りていく。

 夜空のような暗闇の中、高梁の瞳が一番星のように輝いていた。

 この光があったから、私はここまで道を迷わずに来れたのだ。

 緊張の糸が解けると、疲労感がどっと肩に落ちてきた。

 これほど満たされた疲労感はいつぶりだろうか。

 記憶を手繰り寄せようとしたが、やめた。

 今は、今だけに浸りたい。

 高梁へ拳を突き出す。

 小さくて温かい拳が触れた。

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