謎解きの始まり
お茶が運ばれて、ようやくフローレンスも落ち着いたようだ。
「ねえ、敵に塩を送ったつもり?絆されないわよ。わたくしは貴女を認めていませんから」
尖っているなあと思う。もう18歳だと言うのに、フローレンスはさぞかし甘やかされて育って来たのだろう。
「貴女に認めて貰わなくても何も困らないわ。わたしはアラン様の妻で貴女はただの従姉妹。わたしは伯爵夫人で貴女は伯爵令嬢、認めてもらう必要がどこにあるというのかしら?」
フローレンスは悔しそうな顔をした。
「そのくらいにしてやってください。確かに妹は考えなしで我儘な娘ですが、それも全てアラン殿を慕う気持ちが齎したもの。こうやって愚かにも押しかけてしまい、病み上がりの夫人に失礼な物言いをして、妹とて自分がいかに理不尽な行いをしているか、わかってはいるのです」
シャルルにそう言われてしまう。わたしだって意地悪するつもりはないが、だらだら世間話をするつもりもない。
「ところでフローレンス様は、わたくしが夜会で転落して昏睡状態だった事をご存知ね。
わたくし、どうやら何か、身体に悪いものを口にしたみたいなの。それでずっと目が覚めなくて、そのまま儚くなる可能性もあったと」
いきなり爆弾を投下すると、二人の表情が変わった。
「わ、わたしじゃないわよっ!いくらアランお兄様を奪った貴女が嫌いでもっ!ワインに毒を盛ったりはしないわ!」
「毒?わたし、毒だなんて言ってないわよ」
「え、あ、言葉の綾よ。毒ではなくて薬ね、あー睡眠薬なんて飲まさせられちゃったの?まあお気の毒に」
「フローレンス様はワインが怪しいと何故知っているのかしら。それに毒じゃなければ睡眠薬って一体どこからそんな発想が?
ねえ、フローレンス様、本当は何か知っているのではなくて?」
「お待ちください、リアーナ夫人。妹に誘導尋問のような事は辞めていただきたい。妹は考え無しの馬鹿なんだ。意思に反して貴女の思惑通りの言葉をうっかり口にしてしまうかもしれない。それに」
シャルルは何故か楽しそうだ。
「それは果たして真実なのでしょうか?確かに貴女が気絶して階段から転落したと伺っていますが、薬、或いは毒を盛られたと言う証拠はおありですか?リアーナ夫人の思い込みではありませんか?
単純に貧血か何かで倒れた事実に、犯人を捏造するおつもりかな。アラン殿は何と?」
「まあ、妙な事を仰いますのね。証拠が残っていれば、今ごろどなたかが捕まっていたかもしれませんわ。
実は証拠になりそうなものは早々に処分されてしまいました。フローレンス様の仰る通り、ワインが怪しいのです。わたくし、ワインは嗜みませんの。
あの転落はわたし自身の過失として処理されているそうなのです。
ええ、夫は、嫌なことは忘れて幸せになろう、とだけ」
わたしは最大限の効果を生み出せるよう、『夫』にアクセントを置いて発音し、にっこりと微笑んだ。
シャルル様は青い顔をしているフローレンスに問いかけた。
「フローレンス、リアーナ夫人に誤解を受けたままではいけないよ。推測で物言いするのではなく、知らない事は知らないとはっきり答えるべきだ」
「わたし、今はこうやって普通に話していますけれどまさに死にかけたのです。
目覚めた時夫は涙ぐみながら喜んでくれました。その夫が医者や使用人に口止めしてくれたお陰で、瀕死だった事はどなたもご存知ないみたいですけどね」
念のためもう少し脅しておく。
「わたしが死んで喜ぶのは、アラン様に言い寄っていたご令嬢達、つまりわたしに成り代わって新しい妻になりたい人ですわよね、きっと」
フローレンスはガタガタと震え始め、兄の腕にしがみ付いた。
「し、知らなかったの!」
「何をです?」
「夜会で見知らぬ方から声を掛けられたの。フランソワ夫人に紹介してくれないかと」
*
大好きなアランお兄様が、子爵家の娘と結婚してしまった。お兄様の一目惚れなのだと言う。嘘よ!そんな事がある筈がないわ。だってあんなに美しく気高いアランお兄様が、見た目平凡で何の取り柄のない娘を好きになる事なんでありえないのよ。お兄様、いえアラン様には同じくらい美しくて高貴な、例えばマーガレット王女殿下のような方でないと釣り合わないわ!
フローレンスは従兄弟のアラン・フランソワの事が大好きで、お嫁さんになりたいと思っていたのは事実なのだが、アランにその気がなく諦めるしかないと悟っていた。年齢も離れているし、自分を親戚の娘以上に見ていない事もわかっていた。
そんな彼女はある日目撃してしまうのである。この国の王女マーガレット殿下とアランが、王城の園庭を散歩する姿を見てしまったのだ。
周りには第二王子と、王女の其々の側付きもたくさんいたし、アランは王城の文官、正確には第二王子の側近であるのだから、2人がたまたま一緒にいても不思議ではない。
ただフローレンスというのは、夢見がちな少女であった。美しい従兄弟に憧れ、恋に恋するあまり、かなり暴走気味のところがあった。まるで絵画のように美しい2人の姿に釘付けになった彼女の脳内では、アランお兄様とマーガレット王女殿下は相思相愛、身分違いの恋に身を焦がしているのだと、妄想が花開いた。それはもう見事に。
いくら慕っても振り向いてくれない従兄弟は、身分の差や妨害を乗り越えて、高貴な姫と結ばれる事こそが正しいと納得してしまった。
そんな中でのアランとリアーナの結婚。フローレンスは認めなかった。
「アランお兄様には、マーガレット王女殿下のような、美しく可憐で尊い血のお姫様こそが相応しいのよ。それをこの泥棒猫が……」
そう言って夢見るようにうっとり語るフローレンスを叱りつけたのは、兄のシャルルだった。
「お前は多少我儘で馬鹿だが可愛い妹だから、本気でアラン殿を求めているのなら、何らかの手は打てたものを」
あらまあ、シャルルまで妹の恋の応援団なの?でもそれって、肝心のアランの気持ちをまるで無視しているようなものよ。
「だがお前がリアーナ夫人を貶めるその根底にあるのが、王女殿下への不敬な妄想である事がわかった。これは捨てては置けない由々しき問題だ。父上にも相談しなければならないだろう。
リアーナ夫人、申し訳ございません。妹はどうやら気の病のようです。どうか哀れな妹の、口から飛び出した無礼な発言の数々をお許しいただきたい。妹はすぐさま連れ帰り、自宅謹慎とさせます。このお詫びはまた日を改めて参ります」
え、今更なの?多分結婚以来、フローレンスはわたしに対して罵詈雑言しまくりだったと思うのだけど。 とにかく、わたしは不快感でいっぱいだ。この兄と妹はこの後に及んで、一体何を隠そうとして誰を守ろうとしているのだ。まさか、マーガレット王女殿下?
「いやいや、今それはどうでもいいの!誰がわたしを紹介してくれって言ってきたの?フローレンス様は最後までちゃんと話しなさい。シャルル様も、有耶無耶にして誤魔化そうとしないでくださる?」
シャルルの眉がぴくりと動いて厳しい視線をよこした。だけど、わたしだってそんな事くらいで泣き寝入りをするつもりはない。
「わたしは、今回の件は殺人未遂だと考えています。自分が殺されそうになった事件の真実が知りたいのですよ。
フローレンス様、貴女は知らない誰かから殺したいほどの憎悪を向けられた事がある?階段から落ちて昏睡状態に陥るほど、酷い目にあった事がある?無いでしょう?
それを、妄想の恋物語にすり替えて逃げるのは卑怯よ。シャルル様もです。貴方達は一体何を隠したいのです?」
いけない、怒りに任せて思っていた事全て吐いてしまった。わたしはずっと、大人しくて地味で目立たず、尚且つお気楽で能天気な娘を演じて生きて来たのだ。元々地味だから見た目は変えようがない。
初恋の相手に弁が立つ女は嫌われると言われて振られて落ち込んで、それ以来外面を良くして生きていた。悪意は受け流し、喧嘩は売らない買わない、敵を作らないと。それがわたしの処世術なのだ。
しかしながら、令嬢の憧れのアランと結婚してから、酷い目にあっている事は想像にかたくない。だけど死にかけたのだ。いや殺されかけた、そして記憶も失った。
だから……
「だからっ!遠慮しないわ。フローレンス様、そしてシャルル様、あなた達が知っている事を全部吐き出すまで、この屋敷から出さないから覚悟なさい」
目の端でコニーが変な顔をしているのが見えた。きっと被っていた猫が逃げ出したなとか何とか、失礼な事を考えているのだろう。彼女はわたしの本性を知る数少ない人だから。
一方、シャルルは何故か嬉しそうな顔だ。そして言葉が変わった。
「ああ、いいね、凄く良いよ、リアーナ。掴みどころかなかったおとなしい伯爵夫人から、ようやく生身の君自身を見た気がするよ。有耶無耶にして帰るつもりが、やはり見逃してはくれなかったね。
殺されかけたと聞いたからには、協力するのはやぶさかではない。フローレンス、知っている事は全部話すんだ。そうでないとどうなるか、わかっているね?」
フローレンスはこくこくと頭を上下させた。心なしか顔色は青を通り越して白い。余程怖いのかもしれない。誰がって?それはもうシャルル・ソミュールが、だ。
わたしだって怖い。丁寧な態度から急変したシャルル。柔らかな笑を浮かべていた美形が、口角を上げてにぃと笑った。
何故だか背中に冷や汗が流れるのを感じた。
お読みいただきありがとうございます。
シャルルもまた猫被り。
8/30 本番微修正。内容に変更はありません。