知る事よりも信じる力
最終話です。
コニーことライラの話はわたしに衝撃を与えた。もちろんアランにもだ。フローレンスの父親違いの姉だなんて衝撃すぎるではないの。2人の似ている部分を探そうとしたけれど無理だった。全く似ていない。
「それで、薬は使わずに暗示だけで、わたしの不妊を?」
「はい。薬は長く飲み続けると体に大きな悪影響を与えるのです。あの方は単なる嫌がらせと、他人の苦しむ様子を楽しみたい為だけに、リアーナ様を洗脳し、薬を盛るようにとわたしに命令しました。
旦那様に他の女性の影があるとちらつかせて揺さぶり、オズワルド夫妻の言動で自己肯定感が低くなっている状況を継続し、ゆくゆくはお2人を離縁に導くまでがわたしの役割でした」
「ところが想定外の事が起きた。つまりわたしが階段から落ちて生死を彷徨い、尚且つ過去の記憶を無くしてしまった」
ライラは頷いた。
「あのドレスを纏うようにと示唆したのはわたしです。オズワルド夫人はもともと旦那様に横恋慕していて、リアーナ様を妻の座から引き摺り下ろしてやると息巻いていました。暗示をかけて本音を話せと命じたら、あの女は全て吐き出しました。
自分の方が美しく聡明で旦那様の隣に立つに相応しいのに、何故自分を選ばないのだ、そもそも夫のロドニー様もリアーナ様を好ましく思っていたのが面白くなくて、自分が奪ってやったのだとも申しておりました」
そうなんだ。わたしはマリーカを幼馴染の親友だと思って信じていた。彼女の言動の隠された本音を見抜けなかった。
「夫のオズワルド子爵は妻を盲目的に愛しているので、妻の言いなりでした。以前あの方がリアーナ様を傷つける発言をしたのはあの女の入れ知恵です。
オズワルド子爵を巡ってリアーナ様と恋のライバルで、親友が同じ人を好きになってとても辛い、こうなれば自分が身を引いて諦めると言われて、リアーナ様を排除しようとした愚か者です。情けをかける必要はありません」
アランが口を挟む。
「自分がした事を棚にあげてオズワルドの批判か。まあいい。騎士団で取り調べの時にでも言えば、少しは刑が軽くなるかもしれんが、俺は許さない。
お前がフローレンスの姉だろうが我が家には関係ない事だ。むしろソミュール家でフローレンスがどのような暮らしぶりだったのか、あの娘の一方的な言葉だけを信じ込んだのがお前の失敗だ」
アランの言葉に、ライラは感情のない目で彼を見つめ返した。
「しかし旦那様。ソミュールの奥方様から酷い目に合わされていると妹は、いえフローレンス様はいつも泣いて辛そうにマーガレット様に訴えていたのです」
「酷い目か。一体何をもって酷い目だと言うのだ?
貴族令嬢としてどこに出しても恥ずかしくないようにと、敢えて厳しく躾けていた叔母上に失礼だ。
庶子だから?はっ、笑わせるな。あの家でのフローレンスはそれはもう我儘放題に暮らしていたさ。叔母上がマナーを指摘すると、庶子だからお嫌いなのでしょう?だからお義母様は自分を虐めるのだと泣いて、叔父上に訴えるんだ。
彼女の扱いに困ってしまった叔父上は、この子は母親の愛を知らずに育ってきたのだから多少の事には目を瞑りなさいと、妻を嗜めたんだ。
それで増長したフローレンスは私の婚約者になりたいなどとふざけた事を言い出して大迷惑だった」
色々と思い出したのか、アランは嫌そうに言った。
「叔母上はよく我慢したものだと思う。忍耐強く指導した結果が今のフローレンスなのだから、やりきれないだろう」
ライラは無表情だ。何を考えているのだろう。
「それにマリーカ・オズワルドへの意趣返しとしてもドレスの件は納得できない。そんな事をして何の意味がある?
嫉妬に狂った人間ならいざ知らず、夜会で同じドレスを着るなど社交界で醜聞になり、自分で自分の首を締めているのと同じだ」
「ねぇ、ライラさん。ドレスを着るのは本当はフローレンスだったのではないのかしら?
万が一、想定外の事、例えばわたしが死んでいたら調べられるだろうし、それ以前にアランが執念で真実に辿り着くかもしれないわ。そうなるとドレスを着てわたしを驚かせたフローレンスがどうなってしまうのかを考えて、貴女はフローレンスには関わらせまいとしたのではないのかしら」
わたしはふと思いついた事を尋ねてみた。マリーカがわたしを気に入らないとして、そんな面倒な事をしないと思う。彼女なら直接わたしを攻撃していただろう。心が弱っていたわたしを追い詰めるのは簡単だろうから。
だから、わたしに嫉妬する他の誰かでライラと近い人と言えばフローレンスになってしまう。
「フローレンスはライラさんが姉だと知っていたのね」
ライラは黙り込んで肯定も否定もしなかったが、それが答えだとわたしは思った。
*
翌日、騎士によって連れていかれたライラは、わたしに暗示をかけて精神操作していた罪に問われるだろう。マーガレット様は証拠不備につき不問、王家の権力で過去の傷害事件もなかった事にされているくらいだから今更罪に問えるはずもない。マルロー公爵に身も心も縛られて生きているマーガレット様は、今が幸福なのだから、彼らが特殊な愛情で結びついている限りは大丈夫だろう。
そして今、わたし達はソミュール家を訪れ、フローレンスと向き合っている。
愛らしい顔をした少女は不満げに顔を歪めていた。
「一体何の話ですの?いくらアランお兄様でも失礼なのではなくて?
夫人が倒れて階段から落ちる前に呼び出したのは確かにわたしだけれど、それはマルロー公爵に頼まれたからよ。それ以上の事は知らないわ」
あくまでシラを切るつもりのフローレンスに、孤児院の事、姉の事を知っているのだと告げると、形の良い眉を顰めて、なあに、脅しているつもり?と笑うのだった。
「貴女のお姉さんのライラが全て語ったわ。貴女の罪も被ったまま騎士団に連行された」
フローレンスの顔が少しだけ歪んだ。あとひと押しだ。
「貴女の粗相を叱責されて鞭打たれたのだとライラは言ってたわ。背中を見せてもらったの。傷跡が残ってた。当時10歳かそこらの少女に鞭だなんて、貴女達を引き取った高貴な方は残酷ね」
「マーガレット様を悪く言わないでっ!あの方に助けて貰わなければ、わたしは死んでいたわ。あの方は命の恩人なのよ、その上わたしを愛してくれた。
たったひとりだけなのよ、わたしを愛してくれたのは。
貴女なんかにはわからないわよ、ぬくぬくと温かい家庭で育てられた人には。
そしてどれだけ好きになっても、相手に振り向いてもらえない者の気持ちがわかるわけないわ!」
「貴女のお姉さんは、亡くなったお母様から小さい妹を頼む、守ってあげてと何度も何度も頼まれたそうよ。だから自分だって小さな子どもなのに、必死で貴女を守った。孤児院でも、マーガレット王女の離宮でも。
マーガレット様よりずっと、お姉さんはフローレンス様を愛して見守って助けようとしてきたのではないかしら?」
「そんな事あるわけがない。だってあんな見窄らしい人が姉だというのが嫌で、ただのメイドだと見下してきたんだから」
「ライラさんは、貴女が大事だからマーガレット様の言いなりになっていたのよ。もし拒否して逃げたりしたら、貴女が責められて酷い目に合うかもしれないと」
フローレンスが表情を無くし泣き崩れたと同時に、ソミュール夫人が部屋に駆け込んできた。
「アラン、この子に一体何をしたの!何故こんなに泣いているの!いくら甥といっても、我が家の大事なひとり娘を泣かせたその理由によってはただではおかないわ」
意外な事にフローレンスの義母、ソミュール夫人は彼女を抱えて可哀想にと背中をさすっていた。
フローレンスは幼子のようにわんわん泣いていた。貴族の娘は人前で泣いてはいけないと躾けられるのに、それはもうみっともないほどの大声で泣いていた。
なさぬ仲の義理の親子だが、ソミュール夫人がフローレンスに厳しかったのは彼女の本質を見抜いていたからなのだと思う。ただ愛されたいだけの甘ったれで貴族としての自覚のない少女に、生き馬の目を抜く貴族社会を渡り歩く力をつけてやりたかったのだ。しかし厳しい令嬢教育を、嫌われていじめられていると思うことで乗り切ろうとした哀れな少女、それがフローレンスだった。
そして姉のライラの気持ちなど一切お構いなしだった。なんとかマーガレット王女の悪意から守ってやろうとしていたのに、妹は実の姉より王女を選んだのだ。ライラはきっと絶望しただろう。
*
結局、フローレンスは姉ライラを頼って、アランがわたしの為に選んだものと同じドレスが着たいのだと我儘を言ったらしい。
しかし自らが着るのは余りにも悪手だ。恋焦がれている従兄弟の妻と同じドレスを着て夜会に参加するだけで醜聞になる。しかもその従兄弟夫妻は未だ子どもがおらず、夫婦仲は冷えていると噂されているのだ。
そこでライラはフローレンスを説得した。そんな事をしたら余計にアランから嫌われるからやめた方が良いと。その代わりに目障りなマリーカを排除しましょうと計画を立てた。
実に杜撰で馬鹿げた計画だったけど、同じドレスを着たマリーカに衝撃を受けたわたしに実害があったのだから、彼女たちの計画は成功したと言っても良いかもしれない。
「死ねばいいなんて思ってなかった」
マリーカもフローレンスも、そしてライラも口を揃えてそう言うが、貴女達がやりたかった事はわたしの排除だ。結果的にわたしは今生きているけれど、もし命を落としていたら、そんなつもりはなかったという言い訳は通用しないのだ。
その後、フローレンスは修道院へ入れられた。彼女が実質的な罪をおかした訳ではないからだ。きちんと反省することが出来たらソミュール家へ戻ってくる。驚くべき事に、夫人と兄のシャルルが彼女を庇ったのだった。自分たちもあの子を放置していたのが悪かったと。まだ幼いうちに引き取られて疎外感を感じて生きてきたのは、自分たちが知らず知らずのうちにあの子を拒絶していたからだと思う、と。
結局、フローレンスは愛情に飢えた寂しさから異常行動をしてしまった少女だったと言うことだろうか。
*
「なんて馬鹿げた話なのかしらね」
わたしは膨らんだお腹をさすりながら話しかけた。
「お母様はあなたを全身全霊で愛するわよ」
そう、わたしはあの後無事に懐妊したのである。
アランはじめフランソワ家の人々が大喜びする中で、少しだけ冷静なわたしがいた。こんなに簡単に子を授かれるのなら、不妊だと悩んでいた3年間って一体なんだったのだろう。
妊娠が生命の奇跡だとわかっていても、言葉による暗示だけで不妊だったなんてね、嘘みたいな話だ。そして嘘みたいだと言えば、気持ちがすっきりした途端にすぐに体調の変化に気がついたのだった。
「リアーナ!体が冷えてはいけない。窓を閉めなさい」
「だって風が心地よいのよ」
「何言ってるんだ。君や子どもに何かあったらどうするんだ」
夫は実に過保護です。
さて結論から言うと、わたしは空白の3年間を思い出してはいない。だけど思い出さなくて良いと思っている。だって余り幸せそうでは無かったから。愛されている事を信じられず、頑なになっていたのは暗示のせいだけではない。わたしのネガティブな面が表に現れたからでもある。
今のわたしは、夫から過剰なまでに愛されている幸せな妻だ。社交界の噂もあっという間に消え去ってしまった。妻にデレデレのアランを見てがっかりした令嬢も多数いる事だろう。
ライラは途中からわたしを守るような行動をとっていた。それは彼女の判断基準だから必ずしも正しいことではないけれど、実際は薬物被害から守ってくれていた。王都を賑わしたあの人を変えてしまう薬も、マーガレット様の悪意で危うく飲まされそうになっていたのをライラが止めていたと後から知った。
彼女はある意味マーガレット様の被害者でもある事から、監視付きで孤児院で無償奉仕する事になった。彼女の精神操作、言葉による暗示の力は脅威になりうるから、騎士団に協力することで罪には問わないと提案されたそうだ。わたしがライラの罪を許すので重い罪を与えないようにお願いした事が少しは効いたのかもしれない。アランは不満そうだったけどね。
だけど、わたしが生死を彷徨っている時、親身に世話をしてくれたのは、偽侍女コニーことライラなのよ。
マリーカはロドニーと離婚した。錯乱してドレスの秘密を喚いてアランを愛していると叫ぶ彼女にロドニーは恐れをなしたのだ。ロドニーは王都での職を辞し田舎へ引っ込むことにしたようだ。マリーカの行方はわらかない。
フローレンスは修道院へ入っている。月に一度ソミュール夫人が訪ねているらしい。義理の娘の行動の原因が自分にもあると反省しているとの事だが、そんな事で責めるのは夫人に酷だと思う。
シャルルの婚約者になったソフィア様もまた、何度もフローレンスを訪れて、顔に傷のあるわたくしでも心強く生きているのよ、貴女はご家族にとても愛されているのだから自信を持ちなさいと優しく諭しているらしい。ソフィア様は素敵すぎる。
貴族の女性達に密かに出回っていた、人間性を変え別人のようになる向精神薬は、すぐさま回収されてしまった。どうにもきな臭い話なのだが、マーガレット様というより、マルロー公爵がマーガレット様を躾ける為にその薬を使ったのではないかとわたしは推測している。それが流出したのではないだろうか。
もはや誰が犯人かなど突き止めても仕方ない事で、マーガレット様は一種の不可侵領域のような存在になりつつある。夜会や王家主催のパーティにも出て来なくなり、かといってお子様が生まれたという話も聞かない。マルロー公爵が1人で参加して、妻は調子が悪くてねと色気たっぷりに語るものだから、遊び人と名高い公爵の目に留まろうと、やっきになっている女性達がいると聞かされた。まあ、わたしには関係のないことです。
閣下には色々と問いたい事もあるし、想像の余地はあるがそれはやめておこう。真実なんて本人が正しいと思ったらそれが真実になるのだから。
わたしは失った記憶と、そのきっかけとなった転落について真実が知りたいと思って、いろんな人から話を聞いて、そしてたくさん考えた。だけど結局忘れた方が幸せな事もあるとわかったし、夫アランの愛情をしっかりと受け取ることが出来た。
知りたかった真実というのはつまり、己を信じること、これに尽きるのではないかと思う。
わたしはアランの手を取った。夫はわたしを優しい目で見つめている。やがて生まれくる我が子にたくさん伝えたい。あなたはお父様とお母様の愛の証で宝物よ、と。
こうしてわたしの記憶喪失に纏わる話は終わりを告げたのだった。
〈 終 〉
お読みいただきありがとうございます。
なんとか最終話まで辿り着きました。大したざまぁも無いしゆるい結末で、当初に想定していた明るいコメディではなくなりました。
取り止めのない話に最後までお付き合いいただきまして感謝です。




