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どうやら記憶喪失

記憶喪失になった奥さんのお話です。



 眩しさに目を開ければそこに居たのは、金髪に青い瞳の美しい顔立ちの男性。


「ああっ!リアーナ、目覚めたんだねっ!」

 彼は震える声でそっとわたしの頬を優しく撫でる。

驚いて起きあがろうとしたけれど身体が動かない。あぅあぅと掠れ声を出せば、

「無理をしてはいけないよ。君は階段から落ちて10日間も寝たきりだったのだから」と言われた。


 階段から落ちた?10日間寝たきり?衝撃の言葉が続くが、とりあえずまず尋ねたい。

「貴方は誰?」



 わたしはどうやら記憶喪失らしい。

 先ほどの見知らぬ美しい男性はわたしの夫で、アラン・フランソワ伯爵25歳。わたしはその妻リアーナ・フランソワ21歳。フランソワ伯爵と結婚して3年で子どもはまだ居ない。夫婦仲は至って良好。夫のアランは前伯爵夫妻が領地に戻るのに合わせて爵位を受け継ぎ、今は王城で文官をしている。

 と言うのが、わたし付きの侍女コニーから聞かされた現状である。


「リアーナ様、本当に何も覚えていらっしゃらないのですか?振りじゃなくて?」


 このコニーはわたしが実家から連れて来た侍女で、付き合いが長いせいか結構ずけずけと辛辣な事を言う。


「振りってね、コニー。覚えていないけどわたしは階段から落ちて昏睡状態で、まさに死ぬか生きるかの瀬戸際だったのでしょう?漸く目覚めたのに記憶喪失の演技をしてとして、わたしに何の得があると思う?」


「まあ、そうですよね。旦那様はリアーナ様、もとい奥様を深く溺愛されていますし、旦那様を傷つけたいのならともかく、見知らぬ他人の振りをする必要なんてありませんよね」


 あら、それってもしや、わたしが伯爵を傷付けたいと思っていたから、今こんな状態だって事?


「とにかく、わたしの中ではいまだに学生で、家族と一緒に暮らしている状態なのよ。だからいきなり現れた旦那様の存在に驚いているの。今はまだ結婚の事実を受け入れられないといった感じかしら」


 それには理由がある。とにかく旦那様が物凄く美形なのだ。

 その美形が心苦しそうに眉を顰めて憂いている姿を目にしたら、これは何かの劇、或いはわたしを騙す為の罠?と考えても不思議ではないでしょう。あの方に比べたらわたしなんて平凡も平凡、ありふれた栗色の髪に榛色の瞳と、目立たない事この上ない女。つまり物語の主役が夫であるとすれば、わたしは脇役、メインディッシュの皿の片隅の添え物。そんな添え物を愛しい妻として扱って、わたしの記憶が戻らない事を、美形の夫が嘆くのだ。わたしとて心が痛い。


 正直、階段から落ちたことも覚えていないのだから、これは大掛かりな詐欺なのかしらと疑う気持ちもある。しかも落ちたその場所が大貴族の屋敷で、夜会の最中だったというのだから、さぞかしいろんな噂が飛びかっている事だろう。

 何がどうして階段から落ちたのかわからないけれど、世間的に思われるのは痴情の縺れではないかと思うのだ。あの美形な旦那様の妻というだけで嫉妬され、どこかのご令嬢や未亡人に突き落とされたとか、まるで小説のような出来事があったかもしれないではないか。或いは旦那様に秘めたる恋人がいて、邪魔な妻を亡き者にするために突き落とした?などと妄想してしまうのは、下らない三文小説の読みすぎかもしれない。

 コニーや家令、使用人達は、いかに旦那様に愛されているかを切々と訴えてくれるので、本当に愛され妻だとしたら、愛人と夫の共謀による偽装事故の線は無しで良いかも。


 それにしても旦那様、文官と聞いたけれど、立ち姿や鍛えられた体付きはまるで騎士のようだ。階段の下に倒れていたわたしを抱きかかえて馬車に乗せ、屋敷まで連れ帰ったと聞く。さぞかし重たかった事だろうに。


「旦那様はそれはもう奥様の事を愛しんでいらっしゃいますよ。階段から落ちた時だって、真っ先に駆けつけたと聞きます。まるで姫に仕える騎士様のようではありませんか」


「そう。まあ、わたしの記憶になくとも一応妻ですものね。もし旦那様が秘密の恋人と逢引きしていたとしても、そこはまず駆けつけるでしょうね」

「奥様!なんという事を」


 家令が静かに怒っている。ああやはり、わたしの結婚には何か裏があるのではないかと思うのだ。


「それにしても記憶以外どこも異常がないなんて、本当に奇跡ね。骨が折れていても不思議ではないわ」


 そうなのだ、記憶を失うほど頭を打ってるのに、こうやって生きている事が奇跡。駆けつけた旦那様が余程適切な処置をしてくれたからなのでしょうね。



 夫のアラン・フランソワ伯爵は仕事から戻ると真っ先にわたしの寝室を訪れ体調を気遣う。みんなの話通りに3年間も仲の良い夫婦でいるのなら、彼にすればもっと触れ合いたいのだろうけど、わたしにとっては見知らぬ他人なので触れられるのはやはり怖い。だからどうしても他人行儀になってしまう。

 お医者様からは、結婚してからの3年の記憶のみを失っていると聞かされた。心身に負担をかけない様に穏やかに過ごせば、そのうち記憶も戻りましょう、と。その上でフランソワ伯爵には、記憶を取り戻させようと無理強いをする事のないように、と言ってくれたみたいだ。だから彼が無理に触れることはない。慌てて手に触れてしまった時、真剣に謝罪してくれる。律儀にも医者の言葉を守り、妻を怯えさせない為にと自制しているのが見て取れる。

 それはそれで、安心していいのか悲しんでいいのか迷うところでもある。本当に愛する妻だとしたら、そこまで避けられると逆に不信感が沸いてくるというものだ。


 ところで、わたしは彼の事をフランソワ伯爵とお呼びしていたのだが、あまりにも悲しげな顔で、「アランと。以前の様にアランと呼んでほしい」と懇願され、アラン様と呼ばざるを得なくなった。記憶にないとはいえお世話になっているのだから、そこは妥協するけれど少々照れくさい。記憶を失う前はどんな夫婦だったのだろう。


 漸くベッドから起きて良いと許可が出た頃、わたしの両親が見舞いに来てくれた。すぐに来られなかったのは、わたしの記憶に混濁が見られるのでしばらく様子を見てから、とアラン様が面会を断っていたからだと知った。

 わたしの身体を心配する両親は、記憶の中より少し老けていて、お母様は泣きながら無事で良かったと抱きしめてくれた。お兄様は?と尋ねると、なんと兄はこの3年の間に結婚しており、今日は身重の妻と屋敷で待機しているとの事。尚2人目の妊娠中との事で、わたしには既に甥っ子がひとりいるようだ。


 わたしの言葉を聞いた父は、そうかそれも覚えておらんのかと項垂れた。アラン様との結婚は忘れても、身内まで忘れる筈がないと思っていたのだろう。

 その後は両親にわたしの結婚の経緯について聞いてみた。どうしても思い出せず辛いのならば、離縁して戻って来ると良いと言ってくれた。でもそれは両親にも兄にも迷惑をかけてしまうので、離縁は最終手段で良いと思っている。記憶を取り戻す可能性もあるわけだし。


「ただ、フランソワ伯爵がリアーナをあっさり手放すとは思えぬのだがな」


 親から見ても溺愛されているそうだ。当事者のわたしにはさっぱりわからないけれど。


 

 両親から聞いた話によると、わたしとアラン様は、わたしの貴族学院卒業の半年ほど前に、町中で偶然知り合ったそうである。

 婚約者のいなかったわたしに熱烈な求婚をしてきて、その熱意に絆されたのだろうか、婚約期間がほとんどないままわたしはフランソワ伯爵家へ嫁いだ。

 アラン様のご両親は大層喜んでくださったと聞く。

領地を持たない宮廷貴族の子爵家の娘で、この結婚には何の旨味も無いと思うのだが、とにかく両家から祝福されてわたしとアラン様は結婚したようである。


 しかしそれって本当なのだろうか?

 王城勤務の文官であれだけの美丈夫、しかも次期伯爵ともなれば、大いにもてていた筈である。わたしの記憶には一切残ってないが、それこそ夜会で嫉妬に駆られた女性からワインを掛けられたりとか、呼び出しを受けて囲まれて嫌味を言われたりだとか、いわゆる修羅場的なものがあったのではないだろうか。それらについての覚えもないのだ。まあこれは覚えていなくても良い事。


 とにかく、町で偶然出会ったアラン様とわたしは恋に落ちて、というより一方的にアラン様から求愛されて、結婚したのは事実であるらしい。


「思い出せないって歯痒いわね。熱烈な求愛だけでも覚えていたかったわ」


 わたしの独り言は少々大きかったようで、そうだね、と同意する声を掛けられて、びっくりした。

 振り返ると超絶に美しいお顔のアラン様が花束を抱えて立っていた。


「ただいまリアーナ、体調は如何かな?」

「お帰りなさいませ、アラン様」


 一応、旦那様である。妻として適切に、丁寧に応対する。その旦那様の顔は憂いを帯びて、とんでもない色気が漏れていてどきどきしてしまう。


「無理をして、また寝込んではいけないよ」

「大丈夫ですわ。皆様とても良くしてくださいますの。今は夫人の仕事もしなくても良いからと。本当にこちらの使用人の皆さんは素晴らしいですわ」

 

 わたしは本心から褒めたのだけど、アラン様は一瞬悲しそうな表情をした。他人行儀過ぎたのかもしれない。



お読みいただきありがとうございます。  


夫アラン 25歳

妻リアーナ 21歳 結婚3年目の夫婦


8/30 文章微修正しました。内容に変更はありません。








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