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だんだん青く

「おまえLINE返せよ」


 机の上を片付けていた手を止め、ふと声がする方を振り返ると、鼻の穴が広がった大男が立っていた。

 昨日知り合った真司だ。どうやら同じ授業を受けていたらしい。


「悪い。色々と忙しかったんだ。何か用だった?」


 視線を真司には向けず、経営学の教科書をショルダーバックに仕舞い込む。


「ただ今日学校に来るようだったら一緒に昼飯食おうとしただけだよ」


 案の定、大した用事じゃない。深く息を吐いた。


「そうだったんだ。昼ごはんは家で食べてきちゃったよ」


「そりゃもう三限だからな。今日何限まで?」


「四限」


「じゃあ晩飯一緒に食べようぜ。四限後に中庭な」


 彼は僕の返事を聞かず、あっという間に教室を後にした。彼の大きな背中は見る見るうちに小さくなっていく。


「僕のことって俊太郎君には見えてる?」


 横に座っていたカオル君が、眉根を寄せながら見上げるように僕を見る。もちろん、と返すと、彼は大袈裟に深く息を吐き首をゆっくりと左右に振る。


「知らないうちに自分が死んでいたらどうしようかと思ったよ」


「そんな映画あったね」


 僕は苦笑し彼に目を向けると、少年のように輝いた瞳とぶつかった。


「今日さっきの人と晩御飯一緒に食べに行くの? 良いなぁ」


 おもちゃをおねだりする子供のようだ。微かに頬は膨らみ、唇は尖っているようにみえる。


「今日はやめておこうかなと思ってるよ」


「どうして? 居場所は自分から作っていかないと」


 どくりと心臓の音が耳に響いた。

 彼は僕の心を見透かすように目を細める。

 口元は笑っているように見えるけれど、目の奥は笑っていない。無邪気な子供のように見えていた彼と、今の彼は、全くの別人だと思える表情だった。


「……なんとなく、今日は行かないかな」


 行けばいいのに、と言うと彼は机の上を片付け始めた。

 僕は何も返さず、ただ一度大きく伸びをする。初対面のような人と二人で食事に行くなんて、僕にはハードルが高い。


「なんで彼は僕のことを気にするんだろう?」


 カオル君に訊いてもわからないだろうけれど、話題を変える為にそう呟いた。

 でも、実際に思っていることだった。ただ中庭で余ったコーヒーを貰って、少し話を聞いただけ。特に僕は面白い話をしたわけじゃないし、彼にお得な情報を与えた訳でもない。


 真司はまるで、ブレーキの壊れたブルドーザーのようだ。彼は止まることができずにどんどんと周囲を巻き込んでいく。いや、彼の場合はブレーキがついていても、踏む気がないだけなのかもしれない。止まることができないのではなく、止まるつもりは、はじめからない。


 ブルドーザーは、ならす地面が柔らかいほど沢山の砂を遠くへと運んで行く。きっと僕のような人間は柔らかい砂だ。ブルドーザーではなく雨、いやジョウロの水であったとしても、どこだかわからない遥か遠くへと運ばれてしまうのかもしれない。


「ただ物凄くフレンドリーな人なんじゃないの? 学校で友達一○○人作っちゃうような」


 彼は戯けてみせ、八重歯が光る。


「僕よりもっと彼の友達に向いてる人がいると思うけどなぁ」


「確かにね。でも友達って向いてるからなる、というものじゃないんじゃない?なる、というものでもないと思うし。気がついたら友達なんだよ、きっと。僕もよくわかんないけどね」


 カオル君は両手を頭の後ろに回し、拗ねたように唇を尖らせる。これを機に何でカオル君が僕に話しかけてきたかを聞いてみようかと思ったけれど、彼の横顔を見ているとそれはとても些細なことのように感じた。僕は何も言わずに席を立つことにした。


 四限が終わると、僕は仕方なく中庭へと向かう。

 真司にLINEで体調が悪いと伝えることもできたけれど、面と向かって言うことにした。その方が仮病と思われないのでは、と思ったからだ。別に彼にどう思われても良いんだけど。

 LINEを既読にすらしなかったことに少し負い目を感じていたのかもしれない。でもだからと言って二人での食事は困る。また彼のプレゼンに付き合うのは面倒だし、僕はもう味のないガムにはなりたくなかった。


 校舎を出ると生暖かい空気が僕にまとわりつく。かきわけるように歩いても歩いても、なかなか先へと進まず、じっとりとした空気の抵抗を感じる。

 この湿度の高さが日本人を作っているとテレビで誰かが言っていた。確かに晴れの日が少ない国は鬱病の患者が多いという話は聞いたことがある。

 では湿度が高いとどういう人間になりやすいのだろうか。陰湿な人間というのであれば、仮病で誘いを断ろうとしている僕は、とても日本人的だ。


 やっとの思いで中庭に出ると、真司はベンチに腰掛けていた。彼はひとり大股を開いて座り、誰かと電話をしている。まだ距離はあるけれど、彼の話し声は僕の耳まで届いている。

 聞こえてくる彼の口調は荒く、彼の横を通り過ぎていく学生達はついつい話し声が小さくなっていた。まるで脅迫の現場に立ち会っているかのようだ。今日も黒い半袖Tシャツにダメージジーンズを履き、小脇には何が入っているのかわからない小さなセカンドバックを抱えている。


「だから戻らないって! あんなとこは辞める……あぁ!後悔なんてしねぇよ」


 彼の眉根は寄り、目には力がこもっていた。近づいて行く僕に気が付いたのか、徐々にその音量は下がり、表情は徐々に緩んでいく。


「じゃあまたな……まぁ今度飯でも行こうぜ。じゃあな」


 彼は荒々しく電話を切ると立ち上がり、僕の元へと両手を広げて歩み寄ってくる。まるで欧米人のような仕草だ。


「おぉ俊太郎。ちゃんと来てくれて良かったぜ」


「ごめん。それが体調悪くてさ。メールで断るの悪いから、授業後だし直接言いに来たんだよ」


 彼の腕をすり抜けるようにベンチに腰掛ける。四限後に中庭のベンチに座っている学生はほとんどいない。みんな授業が終わるや否や用事で忙しいのだろう。渋谷に繰り出したり、飲みに出掛けたり。今も僕達以外はただ中庭を通り過ぎていくだけだ。


 真司は、体調大丈夫か、と心配そうな表情で僕の横に腰掛けた。辺りにはフローラルな香りが漂う。真司の髪は今日も丁寧に整髪料で立ち上げられている。


「なんか四限始まってから調子悪くてさ、せっかくだけど今日は失礼するよ」


 僕が立ち上がろうとしたそのときだった。

 ひとりの男性が中庭に駆けつけた。肩まで伸びた髪が揺れ、甘みのある香りがふわりと辺りに漂う。彼は真司を見下ろすように、目の前で仁王立ちしている。


「僕もご飯食べに行きたい」


 カオル君は僕に顔を向け、真司からわからないように片目を瞬きさせている。

 これは降参だ。

 彼らの相性がいいはずがない。これは僕も行く他はなさそうだ。一つ大きく息を吐いた。

 何か言いたそうな真司を抑えるように言葉を挟む。


「体調はやっぱり大丈夫そうだから、三人でご飯食べに行こう」


「あれ?大丈夫なのか?」真司は大きく見開いた目で僕を見る。


「大丈夫。でも明日早いから、そんなに遅くならなければ良いよ」


 嘘だ。明日は午後から授業があるだけだ。特に何もない。

 そう言うと真司は、頬を掻いて切り替えるように咳払いをした。


「まぁいいか。おまえら何か食べたいものあるか?」


「そうだなぁ。暑いしさっぱりしたものがいいかな。冷たい蕎麦とかうどんとかさ」


「行きたいところあるか?」


「確か駅ビルに入っている蕎麦屋が美味しいと評判だったはず」


 誰かが休憩時間に話していたのを小耳に挟んだことがある。ひとりでは行く気になれなかったけれど、丁度いい機会なのかもしれない。

 体調がイマイチだからさっぱりしたものが食べたいというのも、説得力があるように感じていた。


 カオル君は何も言わず、ただ笑みを浮かべながら僕達のやり取りを聞いている。首を左右に振り、僕と真司の顔を交互に見ていた。


「そういえばひよ裏に行ってみたい焼肉屋があったんだよな。今日は焼肉にしようぜ」


 真司は躊躇うことなく立ち上がり、すぐに歩き出す。さすがはブルドーザー。足下のペダルは両方ともアクセルなのかもしれない。


 背を向けた真司の影でカオル君と顔を見合わせた。行ってみたら楽しいかもしれないじゃん、と彼は囁き、大股で歩く真司の後を追った。


「真司君、ひよ裏って?」カオル君は真司の背中に声をかける。


「ひよ裏って呼ばない? 日吉駅から見て大学とは反対側をひよ裏って呼んでんだけど。学生皆がそう呼んでるわけじゃないのか?」


「僕が知らないだけだと思うよ」


 カオル君は胸を張り嬉しそうな表情をしている。僕もひよ裏という言葉を聞いたのは初めてだった。

 ひよこは何も関係なかったね、と囁く彼は、冗談を言っているのか真剣なのかわからない。二人の背中から見る空は、いつもよりも青く感じた。

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