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春山さん

 日吉駅から東急東横線に乗り、隣の綱島駅で降りた。

 恋人を待つ顔、子供の帰りを待つ顔、憎たらしい取引先を待つ顔、の間をすり抜けバス通りに出る。大学を出た時からすでに日は暮れていた。


 バス通りには電灯が少なく、通り沿いに軒を連ねている路面店や住宅から漏れる灯りを頼りに家路についていた。

 今日はいつもより体が重い気がする。地球に重力があることを嫌でも再認識する。

 きっと、真司のせいだ。

 売店で購入した弁当を口に運びながら、彼は聞いてもいないのに自分の話をしてきた。話をするというよりもあの一方的な時間は、プレゼンや演説に近い。

 彼が宮崎県出身であることや元高校球児で甲子園に出場したこと、大学で入った野球サークルをすぐに辞めたこと、二年間浪人してしまったこと、公認会計士を目指していること、などを僕は嫌でも知ることになった。

 なんとか次の授業が始まることを口実にその場を離れることができたけれど、あれだけ否応なしに情報を与えられると、脳が消耗してしまう。


 今日は冷凍庫に入っているカレーを温め直すことすら億劫だった。

 重い体を引きずりようやくアパートの一階にあるファミリーマートに入ると、どこからか音が鳴り響いた。


「いらっしゃいませ、こんばんはー」


 音に導かれるようにどこからか声が聞こえてくる。

 ただ、音に反応して反射的に発せられている言葉。あまり歓迎されている気がしない。

 でもコンビニに入るたびに愛想を振りまかれても、今日のような日には勘弁して欲しいと思う。人って勝手だな。

 

 正面の弁当売場が目に入るけれど、迷わず右へと曲がり、わざわざ回り込むようにして弁当売り場の前へと向かう。中学生の頃からコンビニに入ると同じ順路で歩く習慣がついていた。それは横目でアダルト本売り場を見るために身に付いた習慣である。今はコンビニでアダルト本を見かけないけれど、その習慣は僕の体に深く根付いている。


 晩ご飯は何にしようかな。

 久しぶりのコンビニ弁当で、少しワクワクしている。自分の作るカレーや野菜炒めばかり食べていると、さすがに飽きてしまう。サラダうどんにするか、麻婆豆腐丼にするか。さっぱりとしたサラダうどんも美味しそうだけれど、辛いものもいいな。でもサラダうどんは自分でも作れそうだし、どうしようかな。迷っている僕を急かすように、ポケットが微かに震えた。

 ポケットからスマホを取り出すと、LINEの新着情報が表示されている。送信元は真司。別れ際に連絡先を教えてしまったことを後悔した。

 既読になることを恐れ、何も見なかったかのようにスマホをポケットに戻す。

 体が重い。結局サラダうどんを手にとりレジへと向かった。


「三九四円です」


 下を向き財布の中の小銭を眺めていた僕の耳に、落ち着きのある澄んだ声が聞こえた。聞いたことがない声である。こんな声の人いたかな、と顔を上げると、見たことのない女性店員がレジに立っていた。胸には黄色と緑のマークをつけている。

 小銭を探しているフリをして、彼女を観察する。

 このファミリーマートの店員全員を把握しているつもりになっていた。この時間であればきっと仕事ができる南米系女性がレジにいるだろうと勝手に決めつけていた。


 目の前にいる女性は、黒く長い髪が印象的であった。手入れが行き届いた髪に映る光で、まるで天使の輪をかぶっているように見える。顔の中心で左右に分けられた前髪と綺麗な額は清潔感を漂わせ、その下にある大きな瞳が僕を見つめていた。


 僕もこのようなぱっちりとした二重瞼であればこれまでの人生も少し違ったかな。と心の中で無い物ねだりをしてみる。

 彼女はこの沈黙を不審に思ったのか、かすかに首をかしげた。形のいい唇が微かに尖る。僕は慌てて財布から四○四円を見つけ出し、彼女の掌の上に置いた。


 指先が少し彼女の掌に触れたけれど、彼女は全く気にもしていない様子だ。

 彼女の掌はひやりと冷たかった。

 でも手が冷たい人は心が温かいと言うから良い人なのかもしれない。そう思いながらも、僕の意識は指先に集中していた。指先にはドクドクと熱い血が巡り、普段は感じない心臓の存在を確かに感じていた。

 

 彼女は細身で背が高く、男性の平均身長である僕とほとんど目線の高さは変わらなかった。歳は僕より少し上ぐらいだろうか。落ち着いた印象ではあるけれど、シミのない肌にはハリがあり、白く透き通っている。つい反射的に『春山』と書かれた名札に視線を落としていた。

 

 彼女から受け取った十円玉を、ふと目に入ったレジ横の募金箱に入れた。この十円のお陰で、同じ地球上にいるどこかのだれかを救うことができるようだ。募金をする人はなんて美しい心を持っているのだろう。と彼女に思って欲しい。


「ご協力ありがとうございます」


 彼女は僕の目を見て軽く眉尻を下げると、すぐに次の客に視線を移した。次の客への笑顔は、僕へのそれと特に違うところはなかった。

 

 彼女は募金をした男のことなんてすぐに忘れてしまうだろう。実際一日に何人もの男性が募金をしている。それに募金をしたからといって彼女とどうにかなるわけではない。

 けれども、恋愛経験のない僕であっても美人の前ではカッコ付けたい。その心に少しでも残りたい。寝る前には布団の中でこんな人いたな、と思い出して欲しい。

 でも残念ながら、実際に残るものは僕側の記憶と募金箱の十円玉だけだ。

 

 外階段で二階に上がり自分の部屋の鍵を開けると、またポケットが微かに震える。

 荷物を置き仕方なくスマホを見ると、送信元はまたもや真司。

 忘れていた重力をまたもや感じる。返信していない相手にすぐもう一通送る人間の気持ちがわからなかった。


 今日会ったばかりの人間に対して急用なんてあるのだろうか。

 今日は頭が疲れていて早く寝てしまいたかったはずだけれども、先ほどよりも体は軽いように感じた。やっぱり麻婆豆腐丼にすれば良かったかもしれない。サラダうどんの封を開け、一気にサラダうどんを腹の奥へと吸い込んだ。


 倒れ込むようにベットに寝転がると、天井を見ながら彼女を思い浮かべた。


「春山さん、か」


 口に出すとまるで知り合いのように思える。

 僕が彼女を呼ぶことなんて、あるはずもないのに。

 彼女の声を思い出し、頭の中で流してみた。いつまでも聴いていられるような、柔らかい質感だった。

 シーツの冷たいところを探すように脚を動かして寝返りを打つと、彼女の声を子守唄に目を閉じた。

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