日本語量子論(中編)
あの夢の感触は、今でもはっきり思い出せる。
まるで、もう一つの量子状態にある自分が選ばれたかのような、別の未来。
夢の中の僕は、量子コンピュータ研究機構の一室にいた。
隣にいたのは、香織先輩だった。
──QOSプロジェクト、日本語開発チーム。
「英語ベースのOS側、また論文に皮肉混じりのレビュー入れてきたわ。『意味解釈に揺れがある』『再現性に乏しい』って」
香織先輩はホログラムで浮かぶ構文データを指で弾きながら、苦笑する。
僕たちが開発していたのは、日本語をベースにした量子OS『Q-JpnOS』。
命令ではなく、問いかけをエンコードすることで、量子演算の重ね合わせと干渉を活かす──そんな非常識な思想のOSだった。
世界標準は、英語型のQ-EngOS。
論理的で、命令が明確。状態を切り分けて直列処理する構造は、古典的なノイマン型構造の延長上にある。
それに対して僕たちのQ-JpnOSは、意味の曖昧さを量子状態ベクトルとして保持する。
“もしできれば”“どうすべきか判断して”といった日本語独特の構文が、そのままsuperposition(重ね合わせ)された状態として処理される。
香織先輩は言う。
「命令ってのは一つを選ばせる。でも問いかけは、全部を揺らがせるのよ」
量子ビットにおける問いかけは、演算子ではなく干渉のきっかけ。それぞれの選択肢が、干渉し、意味空間内で揺れ続ける。
実際、僕たちが入力したのは、こんな命令だった
『この環境に適応できると判断したら、探索を開始してください』
ノイマン型なら、環境変数を定義して、条件分岐して、構文木を書いて……。
でもQ-JpnOSは違う。
“適応”という言葉に含まれる、温度、酸素濃度、振動、心理的快適性までを状態ベクトル空間に展開し、それらを干渉処理して最終的な測定で意味を“選び取る”。
香織がつぶやく。
「これが“日本語的量子計算”よ。意味が確定しないからこそ、柔軟になれる」
実行ログにはこう出ていた
[探索開始] モードA/B/Cの重ね合わせ状態における、干渉測定結果:Bを選択。
香織は微笑む。
「命令に縛られず、“迷い”を経て決断できるAIって、量子的でしょ?」
僕も笑って返した。
「あはは。僕は昔、AIにあだ名をつけようとして、“なんてあだ名がいい?”って聞いたらフリーズしちゃいましたよ」
「ぷっ。なにそれ。あやふやな命令以前の問題よ。あーおかしい」
しばらく笑いが止まらなかった。
最先端の量子論の中に、くだらない失敗談が混じっているのが、なんだか可笑しかった。
やがて、香織はふと昔話を始めた。
「昔ね、AIに“できればお願い”って話しかけたら、“コマンドが不明です”って返されたの」
「やさしさが通じない……ってやつですか?」
「そう。でも逆に思ったの。“だったら、問いそのものを理解できるAIを作ればいい”って」
香織の瞳は真剣だった。
「“どう?”って問いは、答えを押しつけない。でも、それでもAIが動いたなら──それは新しい知性の芽生えなのよ」
夢の中の僕は、それを聞いて、何か大きなものを受け取ったような気がした。
──そして、目が覚めた。
あだ名のエピソードは事実です。
フリーズしたのは2024年中ごろの事。ChatGPT も Geminiもダメでした。
今は、ChatGPT 4o では、あだ名をつけて名前を呼んだら応えてくれます。




