第1話 討死から転生
新連載始めました。お読みくだされば幸いです。本日は2回投稿します。
わが名は九頭太郎衛門忠義。拙者は今負け戦の最中である。主を逃がすため、殿として敵に立ち向かっておる。すでにわが配下は皆討死し、我一人が残っておるが、拙者自身満身創痍で、立っているのもやっとという身である。
しかし、家中一の武辺者として知られた拙者の周りには打ち取った敵兵が山となって足の踏み場もなくなっており、十分に武士の面目は果たしたと言えよう。
拙者を取り囲む敵は500はいるだろう。我を取り囲み、今にも槍で貫かんとしている。しかし、拙者たちの奮戦により、多くの討死を出しているため、みなわれと戦うことを躊躇しているようだ。
「われは九頭太郎衛門忠義、我が首をもって手柄とせよ。誰か我と戦うものはおらぬか」
拙者は最後の力を振り絞り、名乗りを上げた。その時、敵の大将が出てきて「なんと剛の者よ。我が相手をしよう。いざ」敵の大将は槍を構えた。
拙者も槍を構え、敵と打ち合った。何合か打ち合ったが、すでに満身創痍であったわれは、槍を弾き飛ばされてしまい、そのすきに敵の槍が拙者の体を突き抜けた。
拙者は座り込んだ。もう、立つ力も刀を振るう力も残っていなかった。「見事でござる。我が首を取りたまえ」そう言って、首を差し出した。
これにて最後か、この戦に勝てば知行を得て、小なりといえど領主となれたのだが、武士としてよき死にざまを得られたことを果報とするべきだろう。
いや、これから死ぬというのに己をごまかすな。
今まで主に仕え、務めを果たすは領地を得んがため、小さくとも領地を得て、腹いっぱい飯が食える生活を送ることが我が望みであった。我が家は貧しく、兄弟も多かったため、満足に飯を食うこともできなかった。
摘んだ野草を塩水の汁にして食えればまだ良し、腹が減りすぎて木の皮をかじったこともあった。
ああ、土地を得て、腹いっぱい飯を食いたい。拙者はそう強く思った。その時、敵の大将は我が首をはねた。拙者は絶命した。
はて、拙者はどうしたのか。気が付くと何故か拙者はベッドの上で寝ていた。ベッド?なぜ拙者はそのような言葉を知っている。拙者は混乱した。わが身を顧みると、幼き子供のようになっていた。年のころは5、6才だろうか。体も小さく、手足は短くなっていた。
ギヤマンの板がある。拙者の中で、鏡という言葉が浮かんだ。
鏡を見ると、拙者の顔はまるでうわさに聞いた南蛮人のような顔立ちになっていた。
その時、拙者の頭に大量の記憶が流れ込んできた。拙者はそのまま気絶した。
拙者はどうも輪廻転生したらしい。仏の功徳によるのか、再び人としてこの世に生まれることができた。この国は、アシガ王国と言い、この国の王はこの国が位置する東方世界ではかなりの名家とのことだ。
そしてわが父親は準男爵のという身分の武士のよう身分であるとのことだ。
ただ、今回拙者は三男で家は継げないらしい。ならば、新たに家を興さねばならぬ。
ありがたきことに父上はわれのような三男であっても、6歳になると学問と武術を身に着けられるよう、学問所と道場に通わせてくれた。
学問所では、読み書き計算を習った。この地では、四書五経や孫子はなく、何やら神話のようなもので文字を教えられた。文字さえ覚えれば、あとは書物を読み知識を身に着けることができた。驚きたることにこの地の常識は拙者の持つ知識と大きく違っていた。
神も仏もこの地では、まったく別のものとして信じられていた。これは仏法僧の言う本地垂迹の理であろうか。
道場では、剣や槍、弓を学んだ。これでも武士として、何度も戦場に立ち、敵を屠ってきた拙者にとって、これらのことはすでに学びしことであり、実際に戦場で振るってきたわが腕は、たちまちのうちに道場の師範をも打ち負かすこととなった。
師範は驚いて、父上にこのことを相談したところ、拙者を騎士という武士の訓練に混ざって修練を積むことを許してくれた。騎士はさすがに強かったが、拙者は、みるみる実力を発揮し、騎士たちの中でも上位に位置する強さを誇った。
ただ、拙者よりも強きものも多く、拙者はさらなる精進を誓った。
あと驚いたことにこの世では魔法という手妻(手品)のようなものが普通に使われていた。
拙者も教わって、手から水を出す術を習い、それができた時は何と感動したことか。これで、戦で飲み水に困ることはなくなったと感動した。
魔法は拙者の興味を誘った。魔法書を読み、いろいろな魔法を覚えた。この世の拙者は物覚えがよく、前世でもこれだけの者があれば、四書五経を暗唱するのも容易かっただろうと、悔しく思った。
今生での拙者の目標は、領地を手に入れることだ。領主として土地を治める。前世からの未練もあり、拙者の目標となっていた。
書物で調べたところ、戦で手柄を立てて、土地を拝領し、領主となったものが結構いるらしい。拙者もそれを目指すことにした。
そして、飯を腹いっぱい食うことだ。この世では米がなかった。小麦を練って焼いたパンというものが主な食事で、それに汁が付くのが一般的であった。
前世を思えば、食い物があるだけありがたいことだが、拙者も大和男であるから米が食いたい。土地を手に入れたら、米を探し出して、それを植えて育て、腹いっぱい米の飯を食うのが、拙者の夢であった。
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