【短編】TS転生した王子はヒロインと結婚します 〜ヒロインから悪役令嬢も国も守ってみせる〜
「私と結婚してください」
王国の女性からの憧れを一身に受ける麗しの貴公子が、流れるように滑らかな動きでそっと跪く。わずかに憂いを帯びた表情でかの君は、王国で最も幸運なそのお方を柔らかく見上げる。
「はい」
冬の終わりを告げる春の突風に煽られたかのように、可憐なすみれは刹那のひとときその華奢な身を振るわせたが、雪解けのような透明な微笑みを浮かべ、男からの愛に応えた。
女神の許しを得たクリストファー第一王子殿下は一転して破顔し、白魚のような手を自身の大きな手のうちに大切に包み込むと、立ち上がって乙女のまろい額に口づけた。
あまりにも愛らしく恥じらう少女のその姿を、他の者には決して見せまいと、王子は姫をそのたくましい腕の中に閉じ込める。
わっ
固唾を飲んでその劇的な求愛を見守っていた生徒たちは、一斉に歓声を上げる。
「おめでとうございます、クリストファー殿下。おめでとうございます、聖女ダリア様。おふたりの未来に幸あれ、王国に永遠の繁栄を!」
卒業式後の舞踏会はかつてない盛況さで幕を下ろした。国中の女性を虜にしておきながら、誰の手を取ることもなかったクリストファー第一王子殿下が、ついにひとりの女性に心を定められたのだ。しかもそれが聖女ダリア様である。
危ぶまれていたお世継ぎ問題に解決の兆しが見え、王国の未来は燦然と輝いている。吉報は瞬時に全土を駆け巡り、国中で新しき時代の到来が寿がれた。
城下の喧騒をよそに、クリストファーの部屋は静けさに満ちていた。どさりと長身の体躯を椅子に投げ出すと、クリストファーは胸元のボタンを外し手で顔を覆った。深いため息が漏れる。
「やっと終わった。……はあ、やっとだ。長かった。ああ、めんどくせー。これでわたしの長い戦いもひと段落か……」
そう、クリストファーの中の人は日本女性である。いわゆるTS転生である。TSとはトランスセクシュアルの略で、女が男に、男が女に生まれ変わるTS転生は一定の人気があるジャンルだ。
「ああ、自分じゃなければなあ。読む分にはわたしだって大好物だったよ。自分がやるとなれば、話は別だろう」
辛かった、長く苦しい道のりだった。なんどか心が折れそうになったけど、今日やっと本懐を遂げたのだ。
「乾杯、悪役令嬢エカテリーナ! わたしの最推し……幸せになってね」
クリストファーの最推しは悪役令嬢エカテリーナであった。だってツンデレが大好物なんだもん。そうクリストファーはひとりごちた。
幼きころ、大好きな乙女ゲームの世界に転生したと分かったとき、クリストファーは歓喜した。次の瞬間、TS転生であることに絶望した。
そして思春期を迎えたとき、王位継承順位一位であるクリストファーは失意のどん底にいた。
た、勃たない……。
国の統治、外交、従軍、クリストファーには様々な責務があるが、彼にとって最も重要な務めは血をつなげるということだ。
「一に子作り、二に子作り、三に子作り、ずーっと子作りだよ。ああ、そうさ、フニャなそれには価値がねーーー」
考えてみてくれ、恋愛対象は男性だった女性が、突然体が男性になったからって、女性をそういう目で見れると思うか? 見れねー、最推しは悪役令嬢エカテリーナだけど、そういう対象じゃねー。
泣いた、クリストファーは泣いた。
だが、クリストファーは強い男じゃった。いや女……? まあ、とにかく、強靭な精神力を持つ人間であった。
クリストファーは決意した。ヒロインから令嬢たちを守ろうと。
子作りは第二王子の弟にがんばってもらい、自分は中継ぎの王として国を整えて、いずれは弟に王位を譲ろう、そう決めたのだ。健気である。
まず最推しの悪役令嬢エカテリーナは、自身が最も信頼する、弟の婚約者に整えた。
「エカテリーナを不幸にしたら許さないよ」
常に冷静沈着で微笑みを絶やさない優しい兄が、そのとき垣間見せた闇の深さは、いたいけな第二王子の心に深く刻みこまれた。
「絶対に浮気しません」
第二王子は誓い、クリストファーは満足気にうなずいた。
最も警戒すべきはヒロインである。ヒロインはこの世界に愛されし存在。ヒロインの心持ち次第で国が荒れる。
クリストファーにはそのことがよく分かっていた。王家の影をヒロインに貼り付け、一挙手一投足を報告させた。
「……黒だな」
影からの報告を聞き、クリストファーはつぶやいた。残念ながらヒロインは無垢な少女ではない。中の人は己と同じ、あちら側の人間だ。
あちら側の人間がやりがちなことベストスリー。フライドポテト、シャンプー、オセロだ。ドンピシャである。ヒロインは全てに手をつけていた。
クリストファーはますますヒロインへの監視の目を強めた。月月火水木金金。おはようから、おはようまでだ。とんだブラック王家である。いや、きちんとシフト制を敷いておった。働き方改革。
ヒロインが学園に入学してからは地獄であった。あらゆるイベントを潰し、全ての攻略対象には早々に婚約を整えさせた。
「婚約破棄は王家に弓を引く行為と心得よ」
ただの一度も強権を振るわなかったクリストファー第一王子殿下が、初めて見せる断固たる態度に、有力貴族家の家長たちは恭順を示した。
「ある程度の女遊びに目はつぶるが、婚約破棄はならぬ。その場合は廃嫡だ」
そう当主から言い渡されて、攻略対象は渦巻く不満を心の奥深く、底の底まで押し込んだ。
舞台は整った。ヒロインはクリストファーが対処する。国のためなら自分を犠牲にすることも厭わない、尊いお方であった。
さる晴れた夏の日であった。聖なる力を持つ若き男爵令嬢は、秘密裏にクリストファー第一王子殿下の私室に通された。
はあっはあっはあっ……
クリストファーの様子がおかしい。あぶら汗を浮かべて中腰になっておる。目がなんか、ギラギラしておる。
「殿下、こちらを」
忠臣から魔封じの腕輪を受け取り、クリストファーは腕にパチリとそれをとめた。
乱れた髪をかき上げると、クリストファーは重々しく告げる。
「聖女ダリア。……いや、魔女ダリアと呼ぶべきか? 王族に魅了の魔術をかけるとは。申し開きはあるか。答えてみよ」
「そ、そんな……わ、わたしは何も……何もしておりません。誤解です」
クリストファーの氷のような視線が、不遜な女をつらぬく。
「ほう、王子である私にむかって、無意識に魅了の魔術を放ったと、そう申すと……?」
「…………」
震える口はもはやひとつの言葉も紡げない。ただ、カチカチと歯の打ち合わされる音のみであった。
「そなたに選択肢をふたつ与えてやろう。ひとつ、私の伴侶として国を共に支える道。ひとつ、王宮のひと部屋にて一生を過ごす道。よく考えてどちらか決めたまえ。第一王子ルートか、終生軟禁生活か……。答えは卒業式後の舞踏会で聞かせてもらおう」
クリストファーとダリアの目が一瞬交差した。何かを悟ったダリアは静かに涙を流す。
時が過ぎ、王国民に聖女ダリア懐妊の知らせがもたらされた。
賢王クリストファーは、その人生においてただひとり、妻である聖女ダリアを愛し続けた。ふたりは仲睦まじく、五人もの子宝に恵まれたのだ。
あるとき、宴の席で勇気ある若者が夫婦円満の秘訣を尋ねたところ、陛下は静かに笑ってこう答えられたそうな。
「私はダリア以外では、その気になれぬのだよ」
<完>
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