9 おはなのふりしたおにくはやっぱりいいにおいのおにくでした
「……あら?あなたアビゲイル、よね?」
お胸を突き出した姿勢で、義姉のナディアが扇から覗く顔の上半分を歪めました。タバサに習いましたけど、隠れてないとこ歪めたら扇の意味ないんじゃないでしょうか。
「アビゲイル・ノエルです。ロングハースト伯爵令嬢、お久しぶりにお目にかかります」
旦那様やタバサには、ロングハーストの人間に会っても基本知らんぷりでいいって言われてます。でも声かけられちゃったりして挨拶を返すのであれば、礼はいらないとも言われました。
だから背筋を伸ばして少し顎をひいたままご挨拶の言葉を返すことにしたのです。義姉のこめかみがびきってなります。
お勉強したので今はもうわかります。私は旦那様と結婚したからロングハーストの者ではないです。ノエル子爵夫人だから、そんな感じに振舞うのが人間のお作法だと習いました。
私はロングハーストの人間に逆らったことはないです。でもそれは別に怖いとかじゃありません。義母も義姉も殴ったりはしなかったですし。ただごはんをくれないだけです。こっそりメイドのお手伝いや厨房に忍んで行ってパンとか残り物食べてたので、彼女達の目論見とは少し外れていたかもしれませんが。
人間の生活はこういうのなのだなぁと思っていただけなのです。
お仕事をしたらごはんをくれるのは魔王の時と同じなので、義母や義姉はお仕事を寄こしませんでしたからごはんもくれないのだと幼い頃は思ったのです。人間を始めたばかりだったので。
「――ふうん。ノエル子爵は野蛮な無骨者と聞いていたけれど、妻を飾るくらいの甲斐性はあるみたいね」
義姉はじろじろと私を上から下まで何度も眺めて鼻を鳴らしました。
野蛮な無骨者。私は首を傾げてしまいます。人間の容姿とか人間社会での評価とか、そういうものはまだ私にはよくわかりませんが、旦那様が私にごはんを食べさせてくれる手つきは丁寧で優しいです。だからちょっとそれは違うんじゃないでしょうか。
そういえば私と旦那様は結婚式をあげていません。書類にサインしただけなので、義姉は旦那様と顔を会わせたことがないのかもしれません。だからですね多分。
「まあ、飾ったところでお前の魔物じみた薄気味悪い瞳じゃ」
「――失礼。妻に何か」
「え」
旦那様がすいっと私の腰を引き寄せてくださいました。お肉のお花について相談しなくてはなりませ――旦那様のお口の両端が綺麗にあがっています!これは初めてみるお顔だと思います!
「あ、え、あの、妻って、ノエル子爵……?」
「すまなかったな、アビゲイル。古い馴染みに呼び止められていた」
ぽうっと頬を赤くした義姉を完全に視界から外した旦那様が、またにっこりとつくった笑顔を私に向けました。これタバサが教えてくれたやつです!タバサは旦那様がこれ得意じゃないって言ってましたけど、私にはちゃんとできてるように見えます!
「旦那様、お上手です。タバサに教えておきます」
「何がだ――食べたいものは決まったか」
「そうでした。あのお花みたいなのお肉ですよね。あのお肉がいいです」
「……っ、そうか。わかった」
旦那様はぐっと肩を揺らしてから近くにいた給仕を呼び止めて、お花を、違います、お肉をとりわけるよう言ってくださいました。
……すごい!テーブルの上にあったときは大きなお花でしたけど、給仕は小さなお花にしてくれました!
「あ、あの、ノエル子爵」
「美味いか」
「もちもちしてます!美味しいです!あと何かいい匂いします。お肉と違う匂い!」
お皿が透けて見えそうなくらいに薄っぺらいのに、歯ごたえがちゃんとあります。もちってした後に、なんでしょう、そう、樹が燻ったときみたいな匂いです。魔王時代、うっかり森を燃やした後にこんな匂いがした気がしますけど、ちょっとだけならこんな美味しい匂いになるのですね!
「あのっ!ノエル子爵!」
「――まだ何か」
この添えられている葉っぱと一緒に食べても美味しいです。もちっとしゃきっとします。
「お初にお目にかかります。わたくし、ロングハースト伯爵家が長女のナディア・ロングハーストと申します」
「ご丁寧にどうも。ジェラルド・ノエル・ドリューウェットです」
「あの、妹のアビゲイルはご迷惑をおかけしてませんでしょうか。この子は本当に」
嫋やかな手つきで旦那様の腕に伸ばされた指先を、ふいっと躱した旦那様は少し屈んで私のつむじあたりに頬を寄せました。お花のお肉もう一枚食べたい気がしますが、その隣にある艶のあるソースがかかった柔らかそうなお肉も食べたい。あ、でもその隣の透明なゼリーに包まれた色とりどりの何かも捨てがたい。
「アビゲイルは素晴らしく有能で愛らしい妻ですよ。ドリューウェットにとっても得難い幸運であったと父も喜んでおります」
「ど、ドリューウェット……侯爵家で……?」
「ところでロングハースト領では色々と災難が起きているご様子、まさかここでお会いするとは思っていませんでした。ああ、ご令嬢はむしろこちらで励まれるほうが領のためなのかもしれませんね。いやご立派です。さすがアビゲイルの姉だ。よきご縁に恵まれますようお祈りしております」
「え……」
「さあ、アビゲイル、少し食休みしたほうがいい。風に当たりに行くぞ」
流れるように私の手からお皿がとりあげられましたけど、代わりに柔らかお肉が載った小皿を渡してくださいました。いつの間に!これお庭で食べていいってことですか。そうですよね!?