41 だんなさまにおこられるのはすきじゃないです
こういうことを盲点というのだと思います。
言われてみれば、あの竜は前からきらきらした石とかにしか興味なかった。だからいつも岩山のそばあたりにいましたし、森の外にも出たことはないに違いないです。もしかして人間を直接見たことすらないかもしれません。
いえ、存在は知っているはずです。一応あれもボスですから、森の中で起こることはなんとなくでもわかってるでしょう。そういうものなので。でもそれは、今日は風が強いから森の葉っぱがうるさく揺れてるなぁとか、そういうのとあんまり変わらないのです。
「アビー、俺たちが撤収する時間はありそうだろうか?竜は今」
「踊ってますね」
「おどってる」
森の方角、岩山あたりに意識を向けて、旦那様にお知らせしました。どんどんと足を踏み鳴らしてるから、岩山も森の梢もびりびり揺れています。すごく盛り上がってる感じがするのでまだもうちょっと踊ってそう。あれはあんまり自分の縄張りから出ないですからね。勢いが必要なんだと思います多分。
「奥様……おどるって踊るですか」
ロドニーがどんな顔していいのかわからないような顔をしています。踊るって他にあるんでしょうか。仕方ないので踊って見せてあげます。どんどんと力強くかわりばんこに足をあげて!
「こうです!右腕をあげて!右腕さげて!左腕あげて!こう!しっぽは、ないですけど!しっぽもこう!」
「――くっ」
旦那様が勢いよく膝をついて、ロドニーが壁に体当たりしました。ぴょんぴょんはねて!ぐるぐるってお部屋を一周して!タバサもうずくまってます。まだでしょうか。ちょっと息が切れてきました。
「あ、あびー、それ前に花祭りで踊ってた「違い、ます!あっちのが!難しい、です!おしりもこう!」ぐふっ」
魔王が練習してた踊りは腕も足もいっぱいある魔王の踊りだからもっと難しいのです。竜は手も足も二本ずつですし!しっぽありますけど!両手をいっぺんにうんと高くあげて!
「おぉっと!待て待て待て!君鳴き真似上手すぎるから!」
がおーって、しようとしたら、旦那様に抱きしめられてできませんでした。顔が旦那様のお胸に埋まっちゃいましたので。息が切れましたから旦那様の匂いもいっぱい吸い込みます。いい匂い。背中をとんとんされて、ふわーっと眠くなりかけました。いけません。
腕の中から旦那様を見上げると、笑いをこらえてる笑顔です。
「旦那様」
「うん」
するりと髪を梳いて撫でてもらうの気持ちいい。
汗ばんだ地肌に、すうすうとひんやりした空気が触れていきます。
「なので、私ちょっと行ってこようと思います」
「ん?」
「竜のとこです。旦那様たちはやっつけちゃダメですって」
「……君の言葉は通じるのか?」
「えっ」
またも盲点でした。人間になってから試したことはありません。いえ、魔王のときだって通じてたかって言われるとちょっとわからないのですけど。
あら?旦那様の笑顔がすとんと消えました。
「駄目だ。まだ竜は森の中にいるんだろう?そこにたどり着くまでだって危ない。俺が守るにも限界がある。ここの森は俺も行ったことがないからな」
「旦那様はお留守番ですよ?」
「何を言ってるんだ君は」
「だって危ないです。人間はあの竜がいるあたりまできたの見たことないですし」
「アビー、君も今は人間だ」
それはそうなんですけど、私は大丈夫だと思います。なのに旦那様の眉間のしわがどんどん深くなります。
これはいけません。これは心配してるのだと思うので、ちゃんとわかるように説明して差し上げなくては。
「だって私は強いですし。それにもしこの身体が死んでも、今度はがんばってすぐ人間に生まれます」
「――は?」
「そうしたら旦那様のとこに行きますのでまた妻にしてください」
旦那様は口も目もぱっかり開けてしまいました。え、でも私は旦那様の妻だから、次だって妻になりますのに。
「赤ちゃんの頃はさすがにちょっと動けないから二年くらいかかるかもですけど、そのくらいなら割とすぐですし、でも別にきっと死なないと思いますし」
「駄目だ!」
旦那様はいきなりマントを脱いだかと思うと、私をそれでぐるぐる巻きにしてしまいました。それから硬く強い声でタバサを呼びます。
「アビゲイルから目を離すな。ロドニー、あいつら全員森に捨てに行くぞ」
ぱふんと私をマントごとタバサに押し付けて、ロドニーが差し出す皮鎧を身に着け始める旦那様は、私の方を見てくれません。近寄ろうとしたら、タバサにぎゅうってされました。
旦那様が怒ってる気がします。私に怒ってる。どうしてでしょう。
「旦那様」
ロドニーは自分の皮鎧を肩にかけながら部屋から飛び出していきました。
旦那様がふりむいてくれません。
ナイフとか、地図とか、ばばばばって用意して装備していきます。
私がよんでるのに。
「旦那様」
旦那様が私に怒ったことなんてないのに。
ロングハーストではよく怒られましたし、そんなのは気になりませんでしたが、旦那様が私に怒るのは困る。
ぐるぐる巻きになったマントの上から私を捕まえたままのタバサを見上げると、うるうるの目でじっと見つめて首を横に振られました。
「駄目なのですか。次も旦那様の妻がいいですのに」
「違いますよ。奥様、それは違います――坊ちゃまっ」
タバサが肩を何度もさすってくれます。旦那様は私に背を向けたまま、頭をがしがしと掻いてうめき声をあげました。
「旦那様は私に怒ったらだめです」
「あ"ー!もう!違う!アビー!」
旦那様がぐるって勢いよく振り向いたと思ったらもう私を抱き上げてました。
「君が痛いと俺も痛いんだと前に言ったな?」
「はい」
「例えもう一度人間に生まれるのだとしても、君は怪我するのも俺より先に死ぬのも駄目だ」
「――はい」
「すまん。君に怒ったわけじゃない。ただ……いや、あいつらはこれから俺が森に捨ててくる。時間稼ぎになるかもわからんが、すぐに戻って撤収するから出発する準備をしてなさい」
ぎゅうぎゅうと抱きしめてくれるので、多分もうきっと旦那様は怒ってない。よかったです。
でも旦那様だけで森に行くのはよくないし、やっぱり私が行って旦那様がお留守番のほうがいいと思うのです。
だけどまた言ったら怒られるかもしれませんから、仕方ないので今は黙っておいてこっそりついていきましょう。







