35 だれなのかたしかめずにとびらをあけてはいけませんってちょっとだけしかられました
旦那様をご案内です。お庭や雑木林には美味しい実がなっているものが割とあります。いっぱい食べてもすぐにおなか空いてきちゃうのが難点ですが、もらったカチカチのパンより美味しいし、大切な食糧でした。今となってはもっと美味しいものも私は知っていますけど、それはそれです。
今時期でしたら桑の実がそろそろでしょうか。旦那様はなぜかどんぐりを気にしていましたが、それは後のお楽しみにしてもらいます。お庭をぐるっと回りましたので、その奥の雑木林の方へと旦那様の手を引きました。
「アビー、ちょっと待て。俺が先に立つから……何故ためらいなく突っ込むかな……」
ちょっとちくちくするとげのある藪に入ろうとしたら止められました。
前はこっそりとよく通っていたので藪が薄くなっていたのですが、さすがにもう今はみっちり藪だったからみたいです。風の魔法で切り払って小道をつくってくださいました。お上手です。通りやすくなった道をするする抜けると、お馴染みの大木がありました。
「旦那様これです!ほらたくさん!」
「アビー!登らない!」
いつも使っていたちょうどいい枝ぶりのところをつかんで幹に足をかけたところで、腰を抱き寄せられました。でも登らないと桑の実とれないのに。葉がわっさりと重なっている間から覗く黒い実が、下からもよく見えます。
「食べごろで美味しいですよ」
「俺がとるから」
「桑の実はすぐほろほろってこぼれてつぶれちゃうから、そうっととらないといけないのです」
「うんうん」
「旦那様ご存知でしたか」
「まあ遠征での食料は現地調達もするし、士官学校でも叩き込まれるからなっと」
”切り裂け"と旦那様がまた呟くと、桑の木の高いところにある葉がざざっと揺れました。ばらばらと散った実がつむじ風にのって旦那様の大きな手のひらに収まっていきます。その手のひらを覗き込むとまさに食べごろ!黒々と艶のある粒々が寄せ集まって大きな粒になった実です!
「――なんだこれ」
「桑の実です!」
「大きいだろう!?苺くらいあるぞ!?」
ひとつ摘まんで食べましたら、ぷちぷちと舌でつぶれて甘酸っぱさが広がりました。美味しい。そりゃ庭師のお爺が育てたベリーはびっくりするほど美味しいですが、これだって負けてないくらい美味しいです。
「旦那様!大丈夫です!」
旦那様の口元にも持っていくとぱくりと食べてくれます。
「美味いな……桑の実ってこんなに雑味のない味だったか……?」
ものすごくじっくりと旦那様が味わっている間に、もうひとつ食べました。美味しい。
「木に登れるようになってからは、毎年この時期はずっとこれがお昼ごはんでした。旦那様、何か胸がほわほわな気がします。なんでしょう」
「……懐かしいんじゃないか」
「なるほど!そういえば去年は食べれませんでした!」
もうこの時期は旦那様のところにいましたから桑の実食べてないです。
ざわりざわりと梢がおおきくゆれました。
ことしもおまえはおいしいですよ。
桑の木のてっぺんを見つめて褒めてあげていたら、旦那様は突然慌てたように私を抱き上げました。
「アビー?」
「旦那様、もっと欲しいです。タバサとロドニーたちの分です」
「お、おう」
またざざざっと鋭い風が枝を薙いで、広げたスカートの上に桑の実が次々たくさん落ちてきます。やっぱりお上手!
◆◆◆
――連れていかれるのかと思った。
梢を見上げるアビゲイルの金瞳が、またここではないどこかを見ていて、そしてそのどこかから応えがきてしまいそうで、慌ててその身体を抱き上げた。
赤く染まった指先で休むことなく実を口に運びながら「お上手です旦那様お上手」と囀るアビゲイルに強請られるまま、桑の実を落とし続けて膝に山盛りとなったところで我に返る。
「あれっどんぐりはいいのですか大丈夫ですか」
「大丈夫ってなんだ。それだけ膝にのせてたらもう拾えないだろう」
何故か気を使い始めたけれど、抱きあげたまま部屋に戻った。なんで俺がどんぐり欲しがってることになってるんだ。というか、どんぐりの季節じゃないだろう。
「主……?」
「……桑の実だ」
「桑の実です!タバサの分とロドニーの分と!いっぱいあるから護衛や従者にもあげていいです!」
「くわのみ」
「アビー、スカート持ち上げすぎだ」
「はい!」
つまんだスカートに載っている桑の実を、木のボウルに移しているタバサが送ってくる鋭い視線から顔を背けた。ドレスに点々とついたあの赤い染みはやっぱり落ちないものなんだろうか……。
アビゲイルが着替えるためにタバサと隣室へ出て行った後、ロドニーが囁き声で叫んだ。
「でかいよねー!?これでかいでしょー!?しかも季節少し早いよねー!?」
「だよな!?でかいし早いよなぁ!?」
騎士団を先行させているとはいえ、血生臭い事件が起きた場所にお忍びでと駄々をこねたどこぞのボンクラ王子は当然料理人など連れてきてはいない。俺もそうだが騎士たちも王族の食卓に載せるどころか野営だから食わざるを得ない程度のものしか作れない。よって、元伯爵家の料理人たちを使うしかないわけで。うちの護衛からも厨房へ監視に出した。そしてタバサも今厨房に入っている。
「タバサ、お菓子もつくれるなんてすごいです。やっぱりタバサはすごい」
アビゲイルはずっとそわそわしている。桑の実をつかって菓子を作ると聞いてからずっとこうだ。いつもなら厨房へついていってるところだが、屋敷の中をあまりうろつかせたくなくてここで待たせている。
「わー期待値たかーい……」
「タバサの作るコブラーは美味いだろう」
「や、そうですけどー」
ベリーや桃にビスケット生地を載せて焼くタバサのコブラーは、子どもの頃にコフィ家で食べた以来だから少し楽しみではある。それしか作れないとか言える空気じゃなーいとロドニーは呟くけれど、タバサは元々男爵令嬢なのだし一品でも得意料理があるなら上等だろうにと苦笑しているところに、少し遠慮がちなノック音がした。
「はい!どうぞ!」
「こ、こら!」
「早っ」
飛びつくように勢いよく扉を開けたアビゲイルを引き寄せて背中に隠すと、叩いた手をあげたまま突っ立っているドミニク殿下と目が合う。
「しょ、食事でも一緒にどうかなって」
無駄に爽やかな笑顔を見せた殿下に渾身の笑顔を返して扉を閉めた。







