34 どんぐりはさみゅえるさまもあつめていらしたので
アビゲイルがロングハーストでの過ごし方を語ることはよくあった。いつだって淡々と何かの話のついでになんということはないように話していて、それを聞き、その状況を想像して怒りをため込んでいたものだ。
――聞くのと見るのとじゃこれほど違うのか。
アビゲイルにはタバサをつけ、旅装をといて一休みするようにと言い残してから、割り当てられた客室から出た。もちろん護衛を三人ほど廊下においておく。手の空いたものは周囲の警戒にと外回りに出し、適当な空き部屋に入り込んで、そこにあった椅子だのテーブルだのを力任せに蹴り倒した。
戦場にだって出てきた。荒れて飢えた村も、華やかな王都の裏にある貧民街だって見てきた。哀れな子どもたちなど、見すぎてもう心が動くことなどさほどなくなっていた。
けれどこれはない。気候や魔物による災害を予知して回避方法を授けるという領地経営のくくりに入らないほどの恩恵を享受しておきながら、誰も使わないであろう地下室の掃除を命じるような嫌がらせとパンひとつが対価だと?
豊かなロングハーストであれば、本来与えられる生活はそんなものとは縁遠いものだったはずだ。腹を空かせることも荒れた指が痛むことも、凍えて眠ることだって想像すらできないまま育っていただろう。
怒りで涙が出るなど初めての経験だ。袖で乱暴に目元を拭って、乱れた呼吸を整えてから、しれっと部屋の中までついてきて壁際に控えていたロドニーに声をかける。
「使用人が伯爵令嬢にした仕打ちとして、一番重い罰はなんだったろうな」
「鞭打ち五回の後で解雇ってとこですかね」
「足りんな」
「ですねー。うちの侍従や護衛たちに尋問を指示しておきました。あの仕上がりの使用人たちなら余罪もごろごろ出てくるんじゃないですかねー。どんどん積み上げていきましょう」
ロドニーはいつもの笑顔をつくりきれないのか、その口元が強張っている。さっきアビゲイルとともに部屋に残してきたタバサは、さすがに表情に出していなかったが喉が震えていた。
脚の折れた椅子はそのままに部屋を出ると、ドミニク殿下がばつの悪そうな顔をして突っ立っていた。面倒だから放っておいたが、野次馬根性丸出しで地下までついてきてたからな。今になってここまでアビゲイルを連れ戻したことへの罪悪感を覚えたとかそんなところだろう。こちらからわざわざ気を使って水を向ける必要もないしと会釈だけで済ませれば、すれ違いざまに「すまなかった」と一言がかけられた。
「俺が受け取るべき言葉ではありませんし、妻はその意味を理解できないでしょう。だから遠ざけたままでおきたかった。おわかりいただけましたか」
「……使用人たちの処分も先輩に任せるよ」
貼り付けた貴族の笑みで受けてアビゲイルの待つ部屋に向かった。任せられて当然の裁量権をもとに、あいつらをどうしてくれようかと段取りを考えながらノックも忘れて扉を開けると。
「こう!こうし、て!こう!?」
メイドの手を拘束したやり方を、アビゲイルがタバサに習っていた。あー、跳ねながらみてたもんな……。
「あっ旦那様!いま!タバサにさっきの習ってて!」
駆け寄ってくるのと同時に俺の袖をつかんで再現しようとするのを、腕をくるりと回すことで外し、そのまま抱きしめた。
「あれ!?今旦那様どうやりましたか!あれ!?」
もう一度やってみせてくれと腕の中で強請る姿に、胸を重く塞いでいたどす黒い塊が溶けていく。知らずこぼれる笑みをそのままに、小さく跳ねてる柔い身体の感触を堪能していたら、ぴたりと動きがやんだ。
あら?と俺の胸元を確かめるようにさすってから、覗き込むように見上げてくる。
「旦那様のお着替えがまだです」
「ああ、これからちょっと屋敷の周囲を見回ろうかと思ってな。君はゆっくり」
「ご案内です!ご案内ですね!」
元々ここにいた使用人どもは排除したのだから、ゆっくりできるだろうと休ませるつもりが前のめりにくいつかれた。
「どこから回りますか。えっと、東のほうにはどんぐりのなる木があって!西側からは、あれ、違いました。西はこっちです西側には卵を産む鳥、鶏の小屋があって!」
その場でくるくる回りながら指さす方向にあるものをあげていく。着替えた部屋着の柔らかく軽い生地は、アビゲイルの動きに一拍遅れてひらひらなびいた。飛ぶ蝶を網でとらえるように抱き上げて疲れはないかと問えば、元気だと言葉以上に弾んだ声が返ってくる。馬車で昼寝をすませてたせいもあるか。
「だったらもっと暖かい上着か何かを羽織ろうな。そうしたら少し散歩でもしよう」
「はい!タバサタバサ!上着がいりま、わあ!もうあった!」
振り返るともうタバサが複雑な模様で織られたフード付きマントを広げていることに歓声があがる。わかるぞ。生まれた時からの付き合いがある俺ですら、コフィ家の先回りにはびくつくことがある。意地でも顔に出さないが。
この領都辺りは高地にあるから、初夏とはいえ今日は少し肌寒い風が吹いていた。
マントの襟元まできっちりと閉じて、ぴょこぴょこ跳ねながら俺の手をひくアビゲイルは、王都のノエル邸での姿と変わらない。どんぐりと、リンゴンベリーと、アプリコットは庭に植えられていて、庭師が手を付けない奥の方にあるこじんまりとした雑木林にあるのは桑の実、うん、全部食い物だなと納得しかけてから、最初にあがったどんぐりを思い出して首を傾げた。
「……どんぐりは美味いのか?」
「え。美味しくないですよ?」
なぜ心配げにされるんだ。食わないぞ。







