22 くうそうのものがたりはほんとうのことではないのだとわたしはちゃんとしっています
前に使ったのと同じ客室を与えられ、寝る前の時間を寛いで過ごす。ソファに座る俺の足の間に陣取ったアビゲイルは、絨毯にぺたりと座り込みローテーブルの上のホットミルクをじっと見つめていた。熱いからな。微動だにしないつむじを見ながら、ブランデーを口に含んで鼻に抜ける香りと喉を転がっていく熱を楽しむ。父は随分いい酒をまわしてくれたようだ。
「旦那様、これいつものと違います。甘い匂い……ザクロ!ザクロとハチミツの匂いと?なんでしょう……あ!お酒!お酒の匂いします!」
覗き込むと、湯気を顔に浴びながら匂いをかぎ分けていたらしく、うっとりと目を細めていた。薄く開いた唇をついばんでからぺろりと舐めると、細められていた金色が見開かれる。
「この匂いだったか?」
「これです!ということは!これはお酒!あっ旦那様熱いですよっ」
「少しだけな」
ホットミルクをちびりと舐めると、うん、確かにブランデーだが、フルーツブランデーか。母が気に入って飲んでるやつだろうか。しっかりとアルコールは飛んでいることを確かめてからテーブルに戻すと、アビゲイルはまたじっと見つめだした。
「もう熱くはないぞ」
「はい!」
俺の言葉をそのまま信じて警戒心なく両手でカップを包み口に運ぶとか、もうどこからどうみても俺の小鳥は可愛い。
「美味いか」
「はい!旦那様、私もうお酒飲めます」
「お、おう。だけど俺がいいと言ったものだけ飲むのは同じだからな」
「……はい!」
返事はいいんだよな。いつもすごく返事はいい。ただ時々そうくるかという理屈で目を盗もうともするし……と思ってる先から俺のグラスに手を伸ばそうとするから、さっと遠ざけた。同じ匂いのミルクを飲んでもいいといったのだから、これも飲んでいいと思ったとかそんなところだろう。これはまだ駄目だと言えば素直に引き下がってちびちびとミルクを飲みはじめた。
嫁いできたのが十六歳直前だったアビゲイルは先日十七歳の誕生日を迎えた。十五歳で成人なのだから酒を飲むのに本来問題はないのだけれど、なにせ虚弱だったし今もけして丈夫とは言えない。当初からみればずっと丸みを帯びたとはいえ、まだまだ薄い肩を両腕で囲い込んだ。
「なあ、君が読んだというその絵本、勇者がどうのってやつな」
「はい」
アビゲイルは、竜を倒した勇者が城でご馳走を食べたってところしか注目していないようだが、タイトルが『魔王を倒した勇者と姫君』なのだから物語の主題はそこではないのだろう。俺は勿論絵本に詳しいわけじゃないが、父や母も聞いたことないタイトルのようだった。絵本なんて貴族の中でも特に裕福な家で所蔵するようなものだ。大衆娯楽の本はあれど、子ども用のものというのはあまり数がない。しかも書斎だか執務室に一冊だけあったものだという。
魔王の話はロングハーストの民だけに言い伝えられている昔話だと調査の報告にはあがっていたが、絵本のような形あるもので残されているとは聞いていなかった。もしロングハースト伯爵家では、そういうもので受け継がれていたのであれば、伯爵は想定よりもどっぷりと金瞳への忌避感に浸かっていたのではないだろうか。
直接的な暴力はなかったと聞いている。ただ、ごはんをくれなかっただけだとアビゲイルは言っていた。それは義母や義姉が中心となって行われていたもので、伯爵自身は特に何もしていないとも。まあ黙認してりゃ同じだと思うが。大体嫁いできたときだって、身ひとつも同然で護衛もつけず年老いた御者に連れられてきていたと、後からロドニーに聞いた。
飼い殺すように幽閉していたと思えば、追い出すも同然の嫁がせ方をし、それなのに今さら襲ってくる集団やら攫おうとする奴が湧いてくる。ちぐはぐすぎて、あそこでは一体『魔王』はどういうものとしてとらえられているのかがわからない。
「言いたくなければいいんだが、その本はどんな話だったんだ」
「竜を倒して認められた勇者が、魔王も倒してお姫様と結婚する話です」
「あ、タイトル通りそのままなのかやっぱり……」
少なくともこの国で魔王という言葉は、神話の中にちらりと出てくる程度のものでしかない。滅多にお目にかかることはないけれど実在する竜のほうがずっと人間にとっては恐怖の対象だ。けれど物語でその順番ならば、竜よりも恐ろしいものとして扱われているのだろう。
「旦那様?」
黙り込んだ俺を不思議に思ったのか、腕の中で身体をひねって見上げてくる金色の瞳はいつも通りに煌めいている。
魔王であった頃に考えたことや感情は覚えていないと言うけれど、時折語られる魔王はなぜか感情豊かに思えてならない。それは今のアビゲイルが魔王の記憶を外側から見ているかのように語るからなのか、無意識に魔王の感情をなぞるように語るからなのか。
魔王は自分を裏切って殺した人間たちを、憎まなかったのだろうか。
もし、魔王の記憶だけではなく、感情をも思い出してしまったなら。
その時、今この腕の中にいるアビゲイルはどうなるのだろうか。
「――いや、なんでもない」
もうすでに伯爵はこの世にはいないし、ロングハースト家は断絶された。その絵本を読み継ぐものはいないのならば、今聞き出すことに意味などないと、額に口づけを落として頬ずりをした。
「旦那様、本当のことではないですよ」
「ん?」
両腕を緩めると、よいしょと俺の膝を跨ぐようによじ登ったアビゲイルは俺の両頬を細く小さな手で包み、真っすぐに目を合わせてきた。
「竜はそんなに強くないですし、魔王が生きてた頃にいた竜は今も同じところに住んでいます。勇者に倒されてなんていません」
「お、おう?」
「絵本に描いてあった魔王の絵は全然似てませんでしたし、あれならサミュエル様の絵のほうが似てました」
「なるほど……」
いや、なるほどじゃない。どこから聞きなおしていいのかわからんぞ。
「そりゃ、お城のご馳走がすごいのは同じでしたけど、でも絵に描いてあるご馳走は今思うとそんなに美味しそうでもなかった気がしますし」
そしてソファに膝立ちしたアビゲイルは俺の首に両腕を回して抱きしめてきた。ええええ?どうした?
「絵本は絵本で本当のことじゃないので、怖くないです。大丈夫です」
とんとんと俺の背を叩くのはタバサの真似か!?俺の真似か!?え、もしかして俺が怖がってると思ったのか!
「ふっ、ふはっははっ、ああ、おかげで怖くなくなった。ありがとう」
さすがに俺の腹筋も耐えられないし、可愛すぎて抱きしめ返さずにはいられない。
よし、とばかりに頷くアビゲイルに口づけを繰り返していると、あっと思いついたような声をあげられた。
「閨ですね!閨します!」
「えっ」
いそいそと膝から降りて寝台へと向かおうと俺の手を引くアビゲイル。いや、明日には王都へまた出発だし、一応屋敷に着くまでは控えるつもりでだな。
「あー、ほら、痛みとかまだ」
「ないです!治りましたし!閨は気持ちいいですし!」
どうぞ!とまた寝台に飛び乗って両腕を広げられれば、それはもう。
ほんとうに俺の妻の可愛さはとどまるとこを知らんな!
ストックは完全になくなりました!
ちょっと週末色々とたてこんでまして、月曜日の更新がもっぱら私の中で危ぶまれております。
もし更新なかったらそういうことなのだと思ってください!木曜日は更新しますので!ので!







