12 あるきながらだとおもいもよらぬうごきがあったりします
「旦那様旦那様、もう港はあんなに遠いのにまだずっと海ばかりです。あの向こうはまだまだ海ですか。いつ向こう側が終わりますか」
「この方角はこっちのとは別の大陸があるはず……船で何日もかかるからな。背伸びしても見えないぞ」
湾の向こうは外海というそうです。外海に出ると揺れるからなって、旦那様はデッキの手すりを両手で握って、その中に私を閉じ込めてくださってます。つま先立ちから踵をおろすと、旦那様はかがんで私のつむじに顎をのせました。船はゆったりと大きく揺れて、私たちもそれに合わせて左右にゆるりゆるりと揺れています。面白くて旦那様に背中を預けました。
右に揺れて右足をとんと出して、左に揺れたら左足……旦那様は足を肩幅くらいに開いてて、そこから一歩も動きません。旦那様より足を開けばいいでしょうか。
「……アビー、張り合わなくていい」
腰に腕が回ってそのまま引き上げられました。
「ほら、網も引き上げられるぞ」
旦那様は含み笑いしながら、船尾のほうへ私ごとくるりと向きを変えます。ちょうど引き上げられた網から、どさーっと中身がデッキに広げられたところでした。いっぱい!何かわかりませんがいっぱいびちびちしてます!
「だんなさまっだんなさまっ」
「はいはい、走らない」
大きな魚がデッキの上でびちびちと跳ねながらどこかに逃げようとしています。逃げられませんし。
「……アビー、それあっちの木箱に入れてあげなさい」
「はい!」
船員さんたちが魚を次々放り込む木箱に両手で抱えた魚を入れました。
「お、奥方様、一瞬で抱え上げましたね……」
「しかも一番でかいやつ……」
船員たちが褒めてくれたので旦那様の方を振り向いたら、タバサから受け取ったタオルでお胸やおなかのところを拭いてくれました。右手、左手と順番に拭いてくれているのはタバサです。ロドニーはしゃがみこんでます。
「旦那様、サーモンはどれです、か」
「あー、どれだ……?ああ、そこの君、サーモンはってアビー?」
すごいのがいます。ぬるりぬるりびたんびたんって、いっぱいある足をあちこちに伸ばしてるぬるんとしたのがいます。びたんってした足が床にくっついてずるりと移動しました。足……足……足、八本?しゃがんでのぞき込んだら重そうにたわんだ頭の下に目らしきものが二つあります。数は魔王の勝ちですけど。
「旦那様、これは海の魔王ですか」
「タコだ」
「タコ」
聞いたことありました!タコのカルパッチョを城で食べたことがあります。これが!だとすると確かに魔王じゃないです。そうですよね。捕まってるし、足の数も目の数も少ないし翼もない。あ、でも。
「旦那様、タコは泳ぐのですか。魚みたいなひれがありません」
「えっ、いや、どうだろうな……なあおい君」
「は、はいっ、今のではサーモン揚がりませんでしたし、タコ、タコは……海流に乗って動きますから泳ぐといえば泳ぐ、と言えるかと」
作業の手を止めた船員が旦那様に教えてくれました。サーモンはないしタコは泳ぐ。
「旦那様、私泳いだことはないですけど、頑張ったら泳げないでしょうか。難しいですか。旦那様は泳げますか」
森に大きな湖はありましたけど、魔王は湖底を歩いていけましたし泳いでたことはなかったと思います。アビゲイルになってからも勿論泳いだことはありません。
「今度は何に張り合ってるんだ……今の時期はまだ寒い。暑くなったら王都近くの手頃なところに連れて行って教えてやるから」
「はい!私は一回教えてもらえればできるのです!旦那様まだべたべたします。お水なのに」
「海水だからな……今濡れタオルを取りに行かせてるからそれまで我慢しなさい」
「はい!」
まだまだたくさんびちびちしてる魚をしゃがんで見ようとしたら、そのままもっと後ろにずらされました。なまこもうにもいなかったです。
「旦那様!足がふわーと勝手に歩きます!どうして」
「船から降りるとなるよな。転ぶなよ」
船から桟橋へと降りたら勝手に足が横に歩いていくのでびっくりしました。旦那様が腰を引き寄せてくださいます。そのまま市場に行ってお昼ごはんをするのです。昨日は朝ごはんを食べた後、またいつのまにか眠ってしまいましたのでお出かけできませんでした。目が覚めたらもう外は真っ暗だったのです……。
ドリューウェットの領都で行った市場も賑やかでしたが、ここも負けないくらい賑やかで、肌や髪が見たことない色の人間もたくさんいました。港にいるときも、よその船からは異国の言葉で掛け声や怒鳴り声が飛び交っていましたし、市場でも同じです。ここは漁港でもあり交易港でもあるのだと、前に屋敷で教わりました。ドリューウェットの勉強だってしたのです。旦那様の妻ですので。
香ばしさがのった煙の、おなかがすいてくるような匂いがしてきて、どこから流れてきてるのかとあたりを見回すとすごいものが目に入りました。
「旦那様!旦那様!おっきい!おっきいお肉です!」
「ドネルケバブといったか。かなり遠い国の料理だが、この辺りは交易があるから移民もそこそこいるしな。ここ以外ではまだ見かけないんじゃないか」
「ですねー」
斜め後ろに控えるロドニーが答えてます。おっきくてご立派なお肉……これは何のお肉のどこの部分でしょうか。私の腰より太そうな筒型のお肉が串刺しにされてぐるぐる回っています。骨?いえ、あれは金属の棒です。なんで回すの。
「旦那様……あんな太くてご「アビー、あれ塊肉じゃないからな。薄い肉に味をつけて何枚も巻き付けてあるんだ」」
あんな太い足なら普通の動物ではないだろうし、なんの魔物なのか考えてしまいましたが違うようでした。旦那様の注文に答えた店主がナイフで肉を削り取りはじめます。わぁ。しゅるって。しゅしゅって削れていきます。薄いお肉をかためていったのにまた薄く削るなんて!これもまた薄いパンに細く刻んだ色々な野菜と一緒に乗せてくるりと巻いたものを、旦那様がふたつ受け取ってひとつを私にくださいました。旦那様の目線の合図で、ロドニーと護衛たちもそれぞれ受け取って、みんなで歩きながら食べるみたいです。私も歩きながら食べられます!タバサは船を降りた後、別荘に先に帰ったので怒られませんし!
薄いパンは薄いのにもちっとしていて、野菜はしゃくっとしてて、薄くそいだはずのお肉は甘辛いソースが絡んでしっかりとした歯ごたえがあります。美味しい!ちょっとだけ辛いけどこれくらいなら美味しいのです!
「……アビー、あっちで座って食べような」
なにか残念そうな顔をした旦那様が、私の額から野菜を取ってくださいました。いつのまに。







