8 だんなさまのおようふくもぜんぶおなじにみえるのですが
行商人は、いえ、行商人ぽいだけで本当にそうかは知りませんけど、私を物干しにひっかけるように乗せて背中を押さえつけてきますから、かろうじて落ちることはなさそうでした。でも、駆ける馬の背で弾むたびに、おなかがぐぇっとなります。
「アビゲイル!跳べ!」
「はい!」
案外と間近に聞こえた旦那様の声と同時に、頭上から男の悲鳴が降ってきました。ばたばたと大粒の雨に打たれるような感触がありましたけれど、私は旦那様が飛べと言ったとおりに飛びます!この身体に翼はないのですけどなんとか!
押さえつけられていた背中が悲鳴とともに軽くなったので、膝をつかって空中に飛び出します。
走る馬の速度から投げ出された割には、ふわりとした浮遊感があり、これはもしや翼がと思いました。が、すぐにしっかりとした安定感に変わったのです。
いつものいい場所。旦那様の腕の中です。
「アビー、アビー、痛いところはないか」
頬を撫でる旦那様の指が冷たくて震えています。汗だくなのに寒いのでしょうか。旦那様がしている鍛錬ほど動いてないと思いますのに、こんなに汗をかくだなんて。
繰り返し私の名を呼んで頬ずりをする旦那様に、ああ、と気が付きました。これはあれです。きっとまた痛くなったのです。旦那様の胸をさすって差し上げます。
「痛いところはないです!大丈夫です!旦那様、火を消さないといけません!」
抱きすくめる旦那様の腕から、首を伸ばして行商人が最初にいた場所を確認しようとしましたら、ロドニーが笑顔で指さしてました。あ、消えてます。焚火があったあたりの地面の色が変わっているのは濡れているからでしょう。ロドニーが水魔法を使ってくれたに違いないです。これならばきっとと、今はまだ静かな森の気配を探ります。
「旦那様、魔物は六匹くらいしかきません。大丈夫です」
「んんん!?」
お任せくださいと言いましたのに、旦那様は慌てて私とタバサを馬車にしまってしまいました。
◆◆◆
すでに興奮状態で森から躍り出た魔物は、アビゲイルの言葉通りに六頭だった。森の比較的浅い場所によくいるこの枯草狐は、慎重に身を隠して獲物を狙うタイプの魔物だ。こんな見通しの良い場所に身を晒して襲ってくる性質のものではない。護衛五人と俺だけでなんなく討伐はできたものの、これが不意打ちであればもう少し手こずったことだろう。捨て身といえる狂乱状態の魔物は、常よりも攻撃力が高くなるものだからだ。
「旦那様っ」
ロドニーが差し出したぼろ布で剣に纏わりつく魔物の血を拭っていると、アビゲイルが駆けてきた。攫おうとした奴の血を浴びたドレスは簡素なワンピースに着替えられ、顔や髪も綺麗になっている。そこら中にある血だまりを軽やかに跳ねながら避けて、その勢いで飛びつこうとするのを両手をあげて制止すると、その場で小さく跳ね始めた。
「せっかく綺麗にしたところだろう。俺が着替えてからな」
「はい!タバサっタバサっ旦那様のお着替えです!」
くるりと背を向けると、魔物にあちこち噛まれて転がっているロングハーストの奴らを、ちょっと大きな血だまりかのように飛び越え荷馬車へと戻っていく。走る馬から放り出された衝撃の名残はなさそうだ。荷馬車傍で待つタバサは、何の合図を送らなくても心得ているだろう。しばらくの間、アビゲイルは屋根付き荷馬車の中で俺の着替えを選ぶことになる。本人が全く気にしなかろうが、俺はアビゲイルに見せたくない。
「さて、話せるうちに色々と吐いてもらおう。場合によっては治癒魔法を施さんでもない」
森の中から付け狙ってきた三人は、アビゲイルを攫おうとした行商人風の男を把握していなかったようだ。三人のうち一人は枯草狐に喉笛を噛みちぎられていたし、残り二人もそれぞれ手足を一本ずつ失っている。こいつらを守る義理などないのだから、なるべくしてなったとしか言えん。この状態で治癒魔法を餌にされれば嘘など吐く余裕もないことだろう。
大体、例の魔物寄せをあのタイミングで燃やされていたんだ。仲間であれば巻き添え前提の行為を受け入れはしない。
「こいつらよりあっちのほう生かしておいたほうがよかったかもしれないですねー……」
「そんな余裕あるわけないだろう」
「もー、主ったらー奥様のことになるとほんとに色々ー」
まあ仕方ないですかねーなどとぼやくロドニーに舌打ちが出る。
妻を目の前で攫われて冷静でいられるものか。まあ、そんなことが我が身に起こると、一年前には想像もつかなかったことではあるけれど。
気が付けば風の刃を放ち、跳べと叫んでいた。
何の迷いもなく俺の言葉通りに走る馬から飛び降りるような妻を、俺から奪おうとする輩に手加減など思いつくわけがない。
アビゲイルを押さえつけていた右腕を肩から失い落馬した男は、あっさり事切れていた。
金瞳を殺せとわめいていたこいつらのことは、ロングハーストでのアビゲイルの扱いを考えれば予想の範囲内ではある。納得はできないが。
けれど攫う目的はなんだ。
アビゲイルは確かに領地経営に大きな貢献をしていた。ただしそれは表立ったものではない。災害予知やその対応は、領主のサインを真似た書類に指示を書き込んでいたのだから、知っていた人間がいたのだとしてもごく僅かな、そう、補佐にあたっていた者たちくらいだろう。だが領地はすでに王室へ接収されているし、管理も王城から派遣された者たちで構成されている。アビゲイルの有能さを理解して戻そうと思う者が仮にいたとしても、そいつらはもうそんな立場にいないのだ。
「ロングハーストは厄介な土地、まさにその言葉通りというわけか」
土魔法で掘った穴に魔物の死骸と死体二人を放り込み終わったと告げる護衛たちに、二人追加だと返す。
これだけの傷を癒せる治癒師など、侯爵家であろうとそうそう用意できるものじゃない。当然この場にそんな者はいない。あとは俺が燃やし尽くして土をかぶせるだけだ。
魔物の躯を放置するのは、新たな魔物を呼ぶ忌むべき行為だからな。







