7 わたしはめがいいのでみはりのおしごとはじょうずにできます
予定通りに進めば目的の港町には、昼過ぎにでもつくだろうと旦那様はおっしゃっていました。
オルタというそこは海が陸を三日月のように削った湾となっていて、小さな山々の連なりに抱きかかえられています。その山々の間を縫うように曲がりくねった谷間を、馬車はゆっくりと進んでいました。
先頭はタバサとロドニーの乗る馬車、それから私と旦那様の馬車。最後に荷馬車です。護衛たちが五人、馬で並走しています。馬車がすれ違える程度に街道が広いのは、商人が行き来するためだそうです。
谷間といってもなだらかな起伏はあり、道の左右には密集した木々が奥の暗がりを隠すように壁をつくっていて、私はずっと馬車からその奥を眺めていました。山と森に私は詳しいので!来たことがなくてもわかります。
「随分長いことそうしてるが、足は痺れていないか?」
「はい!見張りのお仕事なので!」
窓ガラスに映っている旦那様は、読んでいた書類の束から私へと目を向けます。私は今旦那様のお膝にはいません。座席に膝を折って、窓に向かって一人で座っています。外を見張るのには、これがちょうどよいのです。靴だってちゃんと脱いでます。
「なんだってまた見張りなんだ」
くすりと笑いながら、旦那様は私を後ろから囲うように両手を窓枠にかけました。
「ずっとにんげんが道なりに森の中を走ってるのです」
「は?」
ドリューウェット領都や王都ほどではありませんが、それなりに整備された街道ですから、馬車も歩くよりは速く進んでいます。それなのにずっと同じ速さでついてきてるのですから、多分走ってるのでしょう。
「どこだ?」
「暗いからきっと旦那様には見えません」
「……君は?」
「目では見えませんけどわかります。魔物ではないからにんげんです。んっと、三匹います」
「ふむ……」
旦那様は私のつむじに顎をのせて、髪をくるくるいじりながら考え込み始めました。背中があったかくて眠くなりそうで、いけません、見張りをするのです。あれは獲物を追ってる魔物と同じように走ってますから。
ちゃんと眠らずに見張りを続けていると休憩場につきました。馬車を数台並べてもゆとりがありそうな広場です。先に馬車を降りた旦那様に続こうとしたのに、靴をはいているうちに扉が閉められました。開けようとしても開かないので、窓を開こうと手をかけたのに、旦那様が向こう側で押さえてます。反対側の扉を開けようとしたら、タバサが入ってきてにっこりしました。
「奥様、タバサとここでお待ちしましょうね」
仕方がありません。タバサの言うことはきかないといけないのです。また靴を脱いで窓の外を見張ります。
旦那様に指示を受けた護衛たちは森の中へと散っていき、あっという間に三匹のにんげんを縄でぐるぐる巻きにして引きずってきました。護衛たちは私がノエル邸に来て割とすぐに、ドリューウェットから呼び寄せた人たちです。ずっとお城にお勤めしていた人たちですからね。やっぱりすごい。
馬車を挟むように少し距離を置いて待っていた旦那様とロドニーが迎えます。もうお傍に行ってもいいでしょうか。あ。旦那様とロドニーがこっちを向いた。と思ったのに、すぐに顔をそらして片腕に埋めています。護衛たちもそっぽ向きました。
「……奥様。窓から離れましょう」
タバサに呼ばれて振り向いたら、ハンカチで口元とほっぺを優しく拭いてくれて、それからさっと窓ガラスも拭いてました。早い。タバサはお掃除も上手。でも私は口がちょっとお行儀悪かった。失敗です。
やっと旦那様が迎えに来てくださったので、手をお借りして馬車から降りました。窓からは見えませんでしたけど、余所の荷馬車が一台と知らない人が広場の端の方にいます。行商人のようなその人は、こちらの様子を不安げに窺っていながら、それでも出立の準備をしているようでした。使っていたらしい焚火はまだ消えてません。ちゃんと消さないのでしょうか。危ないから消さないと。
「あの三人で間違いないか?」
「はい!間違えません!」
ぐるぐる巻きのまま折り重なって転がる三匹は、護衛たちに取り囲まれています。その輪と私たちの中間地点にいるロドニーが、のんびりした声で言いました。
「あいつら、びっくりするくらい素人っぽいですよー。問答無用で攻撃してきたらしいですから、やましいことは企んでたんでしょうけどー」
「薄汚れてはいるが、装備や服装も野盗らしくないしな……」
「食い詰めた領民っぽくもないんですよねー。貴族の護衛を襲ったんですから、町の衛兵に引き渡すとしても、どうしますー?」
「先に目的は知っておきたい。少し絞っとけ。――アビー、あっちで休憩するぞ」
旦那様が私の手を引こうとしたとき、一匹のぐるぐる巻きが叫び声をあげました。
「金瞳だ!この人もどきが!お前のせいでっ――ぐぁっ」
叫んだ人間を、旦那様が前蹴りで倒しました。あれ?今手を繋いだところでしたよね。ここはちょっと離れてますのに。わぁ、さすが旦那様。すごい速い。
「あ"あ"?お前らロングハーストか」
倒れたぐるぐる巻きの喉元を踏みつける旦那様をよそに、残りの二人が口々にわめきます。あの金瞳のせいで、忌まわしい、汚らわしい、あんたたちがたぶらかされてるんだと。殺せの声があがったとき、旦那様が鞘に入ったままの剣でなぎ倒しました。
「奥様、馬車に戻りましょう」
促すタバサの手をとったとき、いがいがするような苦い匂いを風が運んできました。鼻の奥に粘りつくようなそれは、そう、さっき行商人がいたところからだと思ったのと同時に、蹄の音が大きく響き渡ります。
「奥様!!」
視界を一瞬塞いだ濃茶の短い毛肌。
タバサの悲鳴。
叩きつけるようにおなかに回された腕に、ぐぇっと声がでました。
視界は、均された地面と曇り空と鬱蒼とした木立、倒れながらも私へと手を伸ばすタバサ、それから駆け出した旦那様たちと、激しく移り変わります。
「だん、なさま」
どうやら馬上の誰かに私は引っ張り上げられたようです。一瞬目の前に現れたのは馬の肌だったのでしょう。
「アビゲイル!!」
「旦那様!火を消してくださいぃぃぃ!!」
森のそばで焚火を放っておいてはいけないのです!







