5 そういえばまだきていないようなきがしたのです
旦那様は広間の手前で私を降ろして、大丈夫だな?と確認しました。だいじょうぶです。どこも痛くありません。上手にできましたし、ロドニーがとっておいてくれたちっちゃな卵のはいったお肉を食べなくてはなりません。
エスコートをされて目的のテーブルに向かうと、ステラ様とスチュアート様を何人かが囲って歓談していました。……ステラ様は深い赤の飲み物を持っています。あれはお酒だと思うのですが、いいのでしょうか。
「どうした?」
旦那様が差し出してくださった小皿には、白と黄色がきれいな丸をのぞかせるお肉がのっています。これはちっちゃい卵なので一口で食べられるのです。普通の卵が入ったお肉だとすぐにお腹いっぱいになっていけません。これはちょうどいい。
ステラ様、今はグラスに口をつけずに持っているだけですけれども。
「アビゲイル?」
どうしましょう。ここはドリューウェットのお城です。王都のノエル邸ではありません。天恵のこととか魔力のこととか普通の人間はわからないことを、お外で言っちゃいけないって約束したのです。約束はしたのですが、どれがそうなのか私はまだちょっとわかってないらしいのです。
でも、お披露目で出すお食事とか飲み物のことは、義母上から習いました。苦手だったり食べられなかったり、お酒を飲めなかったりする人のために、色んなお料理や飲み物を用意しますって。
それなのになんでステラ様はお酒持ってるのでしょう。お酒じゃないのでしょうか。
「……アビゲイル、俺にだけ聞こえるように言えるか?」
こっそり内緒話なら大丈夫ってことですね!やっぱり旦那様はすごい。すぐわかってくださいます。
旦那様はかがんでくれますけど、私も背伸びして旦那様の耳元でお話しします。
「ステラ様の持ってるのはお酒ですよね?お腹に子がいるときは、お酒を飲んだらダメって習いました」
「お、おう?あーっと、ステラ義姉上がか?それ、義姉上か誰かから聞いたのか?」
「お酒はダメって義母上から習いました」
「いやそこでなく、その、子がいることだ」
「見たらわかります。おなかの中にステラ様のと違う魔力あります」
「――あー、わかった。うーん……兄上でいいか、ちょっと兄上に言ってくるから、ここで待ってなさい」
「はい!」
旦那様がお兄様であるスチュアート様のそばにいって耳打ちをすると、スチュアート様はすごく驚いた顔をしてステラ様からそっとグラスをとりあげました。やっぱりお酒だったのです。一昨日の夜にはもうステラ様のおなかに違う魔力あったのですけど、誰も気がついていなかったのでしょう。よく見たらわかりますが、これはお外で言っちゃいけないことであってたみたいです。旦那様が内緒の声で聞いてくれてよかったです。
ちっちゃい卵のお肉はやっぱり一口で食べられました。口の中でほろっとほどけた卵が、お肉とまざって柔らかい味になります。美味しい!
◆◆◆
新婚旅行は、この領都から馬車で三日ほどの港町で過ごすことにした。海を見たことがないというアビゲイルのために選んだ場所だ。本当ならもっと南の海に連れて行きたかったが、栄えていて治安のいい港町となると、選択肢はさほどない。最適なのがそこだった。
昨日の披露目は何事もなく終え、無事予定通り出立する俺たちの見送りだと、両親や兄一家が馬車まで来てくれている。
「あびーちゃん!ぼくもです!」
父がアビゲイルを抱擁し、母がアビゲイルと頬を合わせてと、そのたびに甥のサミュエルが同じことをせがむ。俺の後ろで、ロドニーが「大人げないですよっ」と囁くけれど、何も言ってないし何もしてないだろ!うるさい!
「アビゲイル、君のおかげでステラに早くから気を配れるよ。ありがとう」
両手を包んで礼を告げる兄のスチュアートを、アビゲイルは心当たりがない感いっぱいの顔で見上げている。
披露目が終わった後、まだ確定ではないとしつつもほぼ間違いないだろうと医者の診断を受けたそうだ。
嫡男のサミュエルはもうすぐ四歳を迎える。うちの両親が何も言わないとはいえ、それでも二人目のことで耳障りなことを抜かす周囲はいたらしい。そういう意味でも待ち望んだ知らせだったのだろう。ステラ義姉上は満面の笑みで、アビゲイルと頬を寄せた。
「ふふっ、ドリューウェットの男が過保護なのは血筋なのかしらね」
サミュエルだって安産だったのにというステラ義姉上に、アビゲイルが首を傾げる。
「その子、魔力がすごく多くて強い子です。ユスリナの葉は今時期この辺りに生えてないのですが、スチュアート様はとりにいかなくていいのですか」
「……え?」
「ステラ様の魔力量では、その子が腹で大きくなるほど支えきれなくてステラ様の体は弱ります。だからユスリナの葉を食べないといけません」
「待って、待って、アビゲイル様、ユスリナって、え?」
確かに魔力量の差が大きいと母体に負担がかかるというし、俺も難産だったと聞いているが。
――ああ、アビゲイルがあの顔をして、淡々と告げる。
間近で顔を合わせているステラ義姉上は、気圧されたように棒立ちのままだ。
「食べないとステラ様は死んじゃいます」
「アビー」
アビゲイルを抱き上げて目をあわせれば、すぅっといつものアビゲイルの表情に戻った。
「ユスリナって、夏場に割とよく見かける雑草のユスリナのことか」
「はい。魔物もそういうとき、雄はユスリナを探しに行きます。今時期だと、うーん、あっちの山のふもとにあります」
大雑把に指さした南の方角には、間違いなく小さめの山が馬車で四日ほどのところにある。ロッサリー山だったか。
「食べれば、無事に出産できるか?」
「そういう草なので」
「よし――よく教えてくれた。ありがとう」
いつものようにつむじに口づけを落とすと、アビゲイルは満足気にくふんと鼻を鳴らした。
ステラ義姉上から手渡されたナッツのマシュマロバーをちまちまと齧りながら、馬車の窓の外を眺めるアビゲイルはご機嫌だ。美味しいらしい。
ユスリナの食べ方や必要な量を聞き出すのに時間をとられたが、今日泊る予定だった宿まではなんとかたどりつけるだろう。どうやら人間も当然知っているものだと思っていたらしいアビゲイルは、兄上の食いつきのよさにのけぞっていた。
夫婦や母子の魔力量の差が、子の出来やすさや出産時の危険性に関わってくることは、よく知られている。魔力量があまりない平民では関係ない話だが、魔力量の多さを重視する貴族にとっては切実な問題だった。
対処法のなかったそれが、まさかその辺に生えてる雑草で解決するとか誰が思う。そりゃ貴族がわざわざそんな薬草でもなんでもない雑草を食べてみるわけがない。
真偽は出産後までわかりはしないが、アビゲイルの言うことだし、おそらく有効だ。
ステラ義姉上の出産で、ユスリナの効果が証明されれば結構な騒ぎになるのは目に見えているけれど、それは多分、まあ、父や母がなんとかするだろう……きっと。
つやつやの真っ赤な髪を指に絡めて手遊びしていると、ふと何かを思いついたような顔で膝の中のアビゲイルが目を上げた。
「旦那様」
「ん?」
「人間の発情期っていつですか」
「んんんっ?」
閨教育受けたって言ってたよな!?ほんと何やってたんだロングハースト!







