4 ほうこくはだいじなおしごとですので
最近覚えたらしい花摘みの言い回しを元気よく宣言して広間を出て行ったアビゲイルを、化粧室へ続く廊下が見える温室あたりで待っていれば、領都で流行のレストランをいくつか営む実業家に声をかけられた。それとない探りのような立て板に水の機嫌伺いを受けながす。爵位はあっても領地を持たない次男に媚びたところで、たいした益にもならないだろうに。
「主、奥様がグレン子爵令嬢に絡まれてます」
ロドニーの耳打ちに、はぁ?と漏れ出そうになった声を飲み込んで、そつなくその場を切り上げた。ロドニーの目配せの先、広間へ続く廊下が見える窓の向こうには令嬢数人の後ろ姿。
「なんであんなところで立ち止まってるのかと思ったんですけどねー奥様の好きそうな料理見せたのに動かないってことは動けないんじゃないですかねー」
どこか声を弾ませてるロドニーは、完全に面白がっている。そりゃあうちの小鳥はたくましいしな……。母方の従妹であるパティ・グレン子爵令嬢と顔を合わせたのは数年ぶりだったか、最後に会ったのはいつだかも思い出せない。
「あれがなんだってアビゲイルにちょっかいを出すんだ」
「僻みとかじゃないですかー?小耳に挟んだんですけど、十九歳にもなろうというのに見合いにすらたどり着く気配もないらしいですよー」
「ああ……」
「昔から根性悪かったですし?なるべくしてなったというか?」
広間から出た途端に、あははっと快活に毒を吐くロドニーに苦笑が漏れる。主に兄に対してではあったけれど、俺や兄にはしなを作ってまとわりつくのに、ロドニーや使用人に対しては当たりが強かったんだよな。乳兄弟をコケにされて気分のいいわけがないだろうに、その浅はかさに嫌悪感がわいたのを思い出す。
角を曲がったその先で、ちょうど令嬢たちが二手にわかれて空けた道を通り抜けるアビゲイルが見えた。同時に見覚えのない令嬢のドレスの先から伸びたつま先が、アビゲイルの足を掬う。倒れかける体を支えようと駆け寄ったはいいが――見事な飛び込み前転に急停止させられた。はぁ!?え?ドレスで!?
「できました!」
「すごいな!?」
両手をぴっと前に伸ばし、しゃがんだままぴたりと静止して報告されれば、そりゃとりあえず褒めるけれど、後ろではロドニーが激しく咳込んでいた。やめろ。俺までわき腹が痛くなってくる。
「きれいに決まってたが、どこかひねったり打ったりはしていないか?」
差し出した俺の手をとるアビゲイルは、ダンスの誘いを受ける時のおすまし顔で、立ち上がり方は妙に優美だ。ロドニーはもう咽せてるといっていい。
少し首を傾げながら手を握っては開き、軽く足踏みをしてから大丈夫だと俺の問いかけに頷いた。
「よし、おいで」
すんなり抱き上げられて俺の腕のいつもの定位置に収まるなり、きりりとした報告を続ける。
「旦那様。パティ様が旦那様のお妾になりたいそうです!」
「あ"あ"?」
「ちょ!!」
パティは慌てた声を上げるが、連れらしき女達はびくりと肩を揺らしてお互いの身を寄せ合った。
「やめてよ!ジェラルド兄様!嘘よそんなの!」
「アビゲイル、妾の意味はわかっているか?」
言葉通りの意味はわかっているとは思うが一応確認してみると、当たり前だとばかりに姿勢を正した。
「お妾も妻の仕事をする人です。旦那様はすぐにでもパティ様を妻としてお迎えになりたいはずだって、パティ様はおっしゃいました。でも妻は私ですから、パティ様はお妾です」
「お、おう」
「ちょっとなんなのこの人!ジェラルド兄様!」
また説明しにくい微妙な理解をしてるな!?どこでこういう中途半端な理解をしてくるんだ。
「アビゲイル、アビー?俺は君だけがいればいいから、妾は要らないぞ」
「はい!――パティ様、要らないそうです」
しっかりと俺の目を見て頷いた後に、パティに視線をうつして、なんの感情ものせない顔でただ事実だけを告げた。感情というか、なんとも思ってない顔だなこれ。パティの顔がみるみる真っ赤になって屈辱に歪んでいく。ロドニーは少し静かになったかと思いきや、ひきつけを起こさんばかりになっていただけだった。
「ロドニー、大丈夫ですか。さっきのお料理はちっちゃい卵のミートローフでしたか」
「――っげほっけほっ、し、失礼しました。さすが奥様、この距離でしっかり見え、っく、ましたか。ちゃんととっておいてあります、からね」
「はい!」
俺の肩越しに交わされたロドニーの返事に満足した様子で、さあ戻ろうとばかりに俺の襟をつまんでひいてくる。まあ待てと背中を軽く叩いて宥め、パティとその取り巻きであろう女二人の顔を順に見下ろせば、二人はさらに身を寄せ合い、パティは上目遣いに目を潤ませた。なんだそれ。
「パティ・グレン子爵令嬢」
「……ジェラルド兄様?」
「今日のこの会は何の披露目なのか理解してないようだな。こんな場で、よりにもよって俺の妻に虚言を投げつけるとはどういうつもりだ。ただの子爵令嬢が子爵夫人に対して許される振る舞いだとでも思ってるのか」
「や、やだ。ジェラルド兄様ったら」
「気安く呼ぶな。後ほど、ノエル家からグレン子爵家に正式な抗議を送る。ああ、君たちもだ。子爵夫人に対してわざと足をかけたのだからな」
ロドニーに目配せをすれば、心得たとの大仰な礼が返る。俺は知らんがロドニーは女二人の身元をおさえてるだろう。わざと見せつけた俺たちのやりとりに、女二人はひっと息を飲み込んだ。かろうじて謝罪を絞りだそうとしているようだが声になっていない。パティは口元を引きつらせながらなおもまだ食い下がろうとする。
「どうしちゃったの!従妹じゃない!小さな頃から仲良く」
「仲良くした覚えはない。人前で恥をかかされたくなければ、このまま控室で親が戻るのを待っていろ」
記憶の改ざんでもしてるかのような口ぶりに、嫌悪感が募る。昔からこの従妹はこうだ。パティの母親も同じようなタイプだから、治るものでもないんだろう。姉である母ですら何かと口実をつけてこの母娘を敬遠し続けているというのに、全く堪えてないあたりが救えない。縋るように伸ばされた手を躱して、踵を返した。
責任の擦り付け合いをしているのであろう囁き声が、背後から追ってくるけれど付き合う義理もない。
「一体何をどう見たらあんなつけあがり方ができるんだか」
王都での披露目と同様に、俺は今日もしっかり仲睦まじく振る舞っていたはずだ。
「まあ、周りを見る知恵があれば、とっくにどこか嫁ぎ先くらい見つかってますしー。あんな崖っぷちになんて、はなからいませんよー」
「崖は高いから楽しいです」
「あー、奥様高いところ好きですもんねーでも木登りはもうやめてくださいねー」
「ちょっと待て。なんだ木登りって」
「屋敷の南側にちょうどいい木があります」
ちょうどいいとかいう木が、どれだけ登りやすくいい感じなのかを聞きながら、旅行の道中に高いところはなかったかどうか脳内の地図を確認した。ほんと目を離すと何するかわからんな!







