42 たるとたたんはたるとたたたたんってかんじします
侯爵様がお土産にもってきてくださった林檎は、木箱二つ分もありました。木箱の蓋をあければふわっとたちのぼる甘酸っぱい香り。傷がつかないようにでしょう、細い藁が隙間に埋めてあります。ぴかぴかでつやつや。鳥とか虫が齧った跡なんてどこにもありません。
料理長は味見ですって薄く切った一切れをくれました。瑞々しい白い果肉に半透明で黄色い蜜の道がついています。しゃくっとした歯触りに爽やかな甘酸っぱさでほっぺの裏がぎゅってなりました。にんげんの育てたものは森でなってるのとひと味違うのです。美味しい。
夜ごはんは侯爵様とご一緒しました。侯爵様は旦那様ほどではありませんが、とてもたくさんお食べになります。私のお皿を見て「揃いに見せかけてサイズ違いとは……」って驚いてました。そうでしょう。屋敷に帰ってきて私もびっくりしました。旦那様と同じだけ食べてると思ってましたので。
デザートはタルトタタンです。ちょっと楽しいかんじがします。侯爵様の林檎でつくりました。つくってるところを見てたので間違いありません。火が通って透明になっていく林檎と、バターのじゅわって音が楽しかった。
「アビゲイル、食べながらでいいから聞いてくれるか」
「……おい、ジェラルド」
「はい!侯爵様の林檎は生でもとっても美味しかったです」
「そ、そうかい。気に入ってくれたならよかった」
「ロングハースト伯爵が亡くなったそうだ」
フォークを刺すとちょっと手ごたえがあります。火を通したあとは柔らかくしんなりとしてましたのに、カツンってなりました。林檎の層を抜けてクッキー生地の層でまた手ごたえが変わります。
一口食べると、林檎の甘酸っぱさの他に飴の甘さがさくさくほろほろのクッキーとまじって溶けました。美味しい!
「侯爵様!」
「……なんだね」
「生の林檎も美味しかったですけど、料理長は違う美味しいにしました!」
「あ、ああ……」
「アビゲイルはロングハーストを継ぐ権利があるが、欲しいか?」
「いらないです。旦那様、タルトタタンっていうそうです。これ」
「そうか。子どもの頃に食べたな。久しぶりだ」
そえられた生クリームも一緒にもう一口食べます。美味しい!
「いやいやいや、アビゲイル、君ちゃんと聞いてたかね今」
何故か侯爵様がちょっと慌ててます。ちゃんと聞いてますのに。私は美味しいものを食べてても、お話は聞けるのです。……そういえば旦那様も、前はこうして確かめることがあった気がします。やっぱりよく似ていらっしゃる。
「ロングハースト伯爵が亡くなったから、私はロングハーストを継げるけど、いらないですってお話でした」
「聞いてたか……」
「はい!」
旦那様が自分の分のタルトタタンから、私の口に一口いれてくれました。美味しい!私もお返ししてさしあげます。
「――私は明日城でそのことを報告する。アビゲイルは領地も爵位も要らないということで手続きも進めてしまえるが」
「……もしかすると私がその手続きしなくてはなりませんか」
「いや、それは構わない。私が報告することでおそらくロングハーストは王室に没収される方向で動くだろうからね。君が継承を望まないならそのまま放っておけばいい。そのうち召喚されるか使者がくる。あとは渡される書類にサインするだけだ」
「はい!ありがとうございます!」
サインは得意ですからね。ちゃって書けます。ちゃって。手続きも多分ちゃんとできますけど、旦那様も頷いてくれるのでしなくていいんだと思います。
「……君はロングハーストの領地経営に少なからず関わっていたと聞いている。本当にいいんだね?」
「ロングハーストのお仕事は伯爵がやりなさいって言ったお仕事でした。でも伯爵はやれっていうだけでごはんくれませんし、もうしたくないです」
「そ、うか……伯爵、か。……確かに彼は父と呼ばれるには相応しくないな」
侯爵様はなんだかどこかが痛そうなお顔をしました。ロングハースト伯爵は、人間になったアビゲイルの素ですから父親です。別に私が伯爵と呼んでも変わらないと思いますが、相応しくないとかあるのでしょうか。
「伯爵と呼ぶのは、お父様と呼んだら怒られたからです」
「……は?伯爵にか?」
あら。旦那様がきりっとしました。お二人で眉間に皺をぎゅっとして、そっくりです。
「怒ったのは義姉と義母です。義姉がお父様と呼ぶから、きっと私もそう呼ぶのだろうと思ったんですけど違いました。でも伯爵にはあんまり会うことなかったですし、伯爵って呼んでもちゃんとお返事は返ってきたので困らなかったです」
「なるほど……そうか。そうか。ではそれに相応しくはからってやろうな。私に任せておきなさい」
「父上「任せておきなさい」……ありがとうございます」
侯爵様はお泊りはせずにドリューウェットの王都邸にお戻りになるとのことで、旦那様とお見送りしました。侯爵様は私の目をじっと見て。
「私も偉そうなことを言えるほどの者ではないが……アビゲイル、君は私の息子であるジェラルドの妻だ。だから私の娘でもある。君さえよければ父と呼んでくれていいし、そうしてもらえると私も嬉しい」
「――父!」
「う、んん?」
「間違えました。えっと、義父上!」
「お、おう、凛々しいな……嬉しいよ。我が娘アビゲイル」
侯爵様――義父上は、にこにこしてつむじに口づけを落としてから「おやすみ。いい夢を」とお帰りになったのです。旦那様はちょっと面白くなさそうな顔で、私の頭を撫でるように払ってました。
寝支度を済ませて、旦那様のお部屋のベッドに入りました。旦那様はヘッドボードに立てかけた大きな枕をいくつか背もたれにして書類を読んでいます。その脇のあたりにいい感じの位置を探しました。ここだってところで落ち着くと、旦那様は背中をぽんぽんしてくれるのです。
「旦那様」
「ん?」
「義父上ができました」
「――そうだな」
旦那様は書類をベッド横のサイドチェストに置いて、私を抱きなおすように横になります。これもいい場所です。
魔王だった頃、おおきなにんげんはちいさなにんげんを連れて逃げていくのをみました。時にはちいさいにんげんを抱えこんでうずくまるのも。あれはきっと親子でした。魔物もおおきな魔物がちいさいのを背にかばうことがありました。あれもきっと親子でした。
でも、魔王と同じ姿のものはいませんでしたし、そもそも気がついたらなんにもないところにいたものだったので。
「旦那様と同じです。私にもちちうえがいます」
「――うん」
私も旦那様と同じ。そう思うとほかほかしてきました。
旦那様が私の髪の先をくるくるして、それからまぶたに口づけをしてくれて。
ほかほかしてくすぐったくてそわそわして、もう眠たいのに跳びたくなってくるこの感じを、旦那様はいつも私にくれるのです。
「おやすみ、アビゲイル。俺の小鳥」
明日は旦那様のために何の鳥の鳴き真似をするか考えようと思います。
 







