36 しょくばではおつよいだんなさまをいっぱいみられるってききました
旦那様のお仕事場に来ています。蔓の飾りがついた鋳物門扉の横にある詰所に向けて、御者さんが声をかけました。馬車の中から見てたら、衛兵さん?がこっちをちらっと見て、ちょっとのけぞりました。振り向いてみたけど、隣にはタバサしかいません。
「この馬車はノエル子爵家の紋章付きですから、ちゃんとこのまま通れますよ」
だからちゃんとお座りくださいませ、ってタバサが言うので座りなおすと、私の前髪をささっと整えてくれました。向かいの椅子においてあるバスケットを膝に抱えたら、タバサはそれをまた向かいの椅子に戻してしまいます。
「降りた後もタバサがお持ちしますからね。奥様は従僕の手を借りてお降りになってください。危のうございますので」
「ひとりでおりれます」
「飛び降りてはいけません。お行儀悪いですからね」
お行儀悪いですか。じゃあ、やったらダメです。きちんと頷いたら、タバサも頷き返してくれました。大丈夫です。
エントランス前に横づけた馬車から、従僕さんがさっと用意してくれた小階段を使い、手を借りて降ります。振り返ってタバサに手を出したのですが、タバサはくっと一瞬俯いてから、にっこり笑って大丈夫でございますよと、従僕さんの手をとりました。降りてから私の手を包んでとんとんってして、バスケットを持ち直します。タバサのこのとんとん好き。
旦那様がお勤めしているこの軍施設は指令本部がある基地だそうです。旦那様は武功をあげて子爵になったくらいお強いですからね。人間は偉いからと言って強いとは限らないみたいなのですけど、旦那様はお強いから偉くなったってイーサンも言ってました。
建物は大きくてどーんとしてますけど、あんまりでこぼこがなくて四角を積み上げただけな形です。正面入り口であろうここの扉は見上げるほど高いです。奥様お口ってタバサが囁きました。いけません。お行儀悪かった。
旦那様が普段着ているのとは違いますが、かっちりした軍服を着た方が案内してくださるそうで、そのあとをタバサとついていきます。今日は旦那様にお昼ごはんとおやつの差し入れにきたのです。もう一度バスケットに手を伸ばしてみましたけど、タバサはおすましですいっと私の後ろについてしまいました。
◆◆◆
アビゲイルとは政略結婚ではある。けれど俺自身には益らしい益のない話でもあった。
出世争いにも派閥係争にも興味はなく、騎士のように王室へ忠誠を捧げているわけでもない。さりとて強固な縦社会である軍組織において、俺の能力を買い後ろ盾となってくれている将軍の地固めになるのだと勧められれば断る由もなく。そもそも貴族女性に受けも悪くて俺自身苦手でもあったから、貴族の一員としての政略結婚はいずれするだろうという諦めとともに受け入れている程度のものだった。
それは将軍もわかっていてくれていたからこそ、婚姻後の挨拶をそれとなく延ばし延ばしにしていたことに何も言わなかったのだと思う。実際はアビゲイルが当初あまりにも体調を崩しやすく、何を言い出すか読めなかったせいなのだが。
「――ロングハーストの堕落のほどが聞こえてきた。知らなかったとはいえ、いや、知らなかったことこそ申し訳がないな。常に職務へ挺身し続けてくれたジェラルド君に報うものではなかった……」
沈痛な面持ちで俺の執務室まで来た将軍が告げた内容に、一瞬頭がついていかなかった。
壁際で控えているロドニーの【だから話通しとくようにって言ったじゃないですかー】な視線が痛い。
あれか。ナディア・ロングハーストがドリューウェットで領主裁判を受けて、すでに処刑執行待ちなことは報告があがってるはずだ。ロングハースト家自体も領の経営は破綻寸前で、領主であるロングハースト伯爵は結局行方が知れない。結婚は将軍が直接俺に命じたわけでもないが、その取り巻きだかなんだかが勧めたことだ。そんな家と縁づかせた原因だとなれば、こうしてやってくるのももっともかもしれない。
「君が望むなら、婚姻そのものの取り消しも計らおうと「やめてください」」
なるほどなぁなどとのんびり思ってる場合ではなかった。慌てて将軍の提案を遮れば、いやしかしだなと普段は人当たりの良い柔和な顔をしかめ苦々しく返された。好々爺な風情を持つこの恩師を、何も知らない輩は侮ったりするけれど、それすら逆手にとる御仁なのだ。滅多なことで強硬手段をとる方ではないが、だからこそ余計に本気で手をだされるなどたまったものではない。
「まずはご心配をおかけしていたこと、お詫びします。婚姻後の挨拶には本来とっくに伺っていなくてはならないところを、事情があるとはいえ先延ばしにしていた自分の落ち度です」
「というと、結婚に不満は今もないということか?……あのロングハースト領は今回のことがあってざっと調べただけだが、かなり厄介な縁だぞ」
「当初は流されるままに受け入れた縁であったのはその通りなのですが、得難い縁であったと自分の実家であるドリューウェット家でも認識しています。つないでくださった将軍には感謝にたえません」
「……そうなのか?いや、確かに夜会で君が別人のように細君を愛でていたという噂は聞いていたが」
「愛で……っ、あ、ま、まあそうですね……」
いやいいんだ。それは狙ってやったことだからいいんだそれはやめろロドニー視界の端で震えるな。
「細君に甲斐甲斐しく給仕のように世話をして」
「……」
「仏頂面の影もなく顔を緩めて」
「…………」
「男の視線を感じようものならどぎつい威嚇をふりまいて」
「………………」
「一時たりとも手放せないとばかりに熱烈に寄り添ったダンスは周囲が赤面するほどだったと」
「いやちょっとそれ盛りすぎてませんか」
上司に真顔で行動を羅列されると厳しいんだが!ほんと震えるのやめろロドニー!
「……おおまかにいって事実か」
「……ま、まあ、おおまかにいうなら」
妙な汗が出始めた時、薄く開けた扉越しに廊下から伝言を受けたロドニーが一歩踏み出した。
「閣下、歓談中恐れ入ります!丁度ノエル子爵夫人が訪ねてきたと報告がありまして!」
今か!今なのか!?ロドニーなんだそのいい笑顔!お前知ってたな!?







