31 つまとしてあらたなおしごとがきまりました
旦那様が唸るような声をあげて、ぎゅうっと抱きしめてくださいました。そしてつむじに頬ずりしてるみたいです。
――なんだか落ち着いてきた気がします。旦那様はいいにおいがするので多分そのせいです。
「昼食は部屋でとろう」
朝買ったものももう届いてるはずだしなって、旦那様はお部屋の方へと歩く方向を変えました。なまこですね!
マリネは酸っぱいけど美味しいのです。森にいた魔物によく似ていたけれど、あれはぐにぐにしてるだけで美味しくはなかった気がします。なまこは美味しくなるでしょうか。
なまこはこりこりしてて美味しかったですけど、マリネが美味しかっただけのような気もします。一緒に食べた玉ねぎと味は同じだったので。
食後のお茶をいただいてると、旦那様が半透明で四角いものを口にいれてくださいました。きらきらまぶしてあるのはお砂糖でしょうか。あ、果物の味!これは、オレンジ!むにって噛み応えとふわっと甘くて爽やかな香りします。
「旦那様!これオレンジ!」
「奥様にどうぞって厨房から伝言付きだ。果汁ゼリーだと。色ごとで味は違うみたいだな」
差し出してくれたガラスの器には、今食べたオレンジ色の四角の他に、ピンクや白や黄色のもあります。色ごと!つまりこれは全部味が違うってこと!
「次は何色だ?」
旦那様はずっとご機嫌ですので、私もほかほかします。もう落ち着かないのはどっかいっちゃいました。
何色がいいでしょう。何色がなんの味なんでしょう。
「赤!赤がいいです!」
きっと苺です!苺の味です!
旦那様が赤い四角をつまんで口にいれてくれます。あれ?
「ぶどうです!ぶどうでした!」
でも美味しい。ぶどうも美味しい。むちむちしててちょっと酸味もあってほっぺの奥がぎゅってします。
「おっと、残りはまた後でだ」
「はい!」
お茶をすぐ飲んだらぶどうの味が逃げちゃうので、もうちょっとあとで飲むことにします。
あとひとつくらい食べられる気はするのですが、旦那様やタバサがおしまいって言ったらおしまいにしないとおなかが痛くなるので、おしまいにするのです。次は黄色から食べます。
「あー、アビゲイル?」
「はい!」
旦那様が何か言いにくそうです。どうしたのでしょう。ゼリー食べたいのでしょうか。
「その、だな。俺たちは式をあげてないだろう?」
「しき」
なんのしきでしょう。こほんと旦那様が軽く咳払いしました。
「結婚式な。その、俺もあまりそういうことは疎くてだな、今更と思うかも……いや、君は気にしてないんだろうが」
「はい」
「……だろうなー、うん。そうだとは思ったんだ」
結婚式というものがあるのは知っています。見たことはないですが。
「旦那様は結婚式したいのですか?」
「お、おう、そうだな」
「わかりました。タバサに習っておきます」
旦那様は何故か両手で顔をかくして、ロドニーがその旦那様の背中をつついてます。
「いや、君は、あー、うん――それで頼む」
「はい!」
妻ですので!旦那様がしたいことをお手伝いするのです!
◆◆◆
「で、ジェラルド。あなた式はいつするの」
「――は?」
市場は早起きで行くのですといつもより早い時間に眠ったアビゲイルを部屋に残し、父の書斎へ向かうと母までいた。普段この二人が一緒の部屋にいることなどないから少し驚く。
社交の場では仲睦まじく振舞っているが、俺が物心ついたころから両親の私室は城の端と端に離れていた。
……てっきりナディアの処遇についての話だと思っていたんだが。呼び出した父を窺えば、しれっとした顔でグラスに蒸留酒をつぎたしている。……やられた。
「……もうすでに届を出してから半年以上たつんですが」
「あら。関係ないでしょう。落ち着いてから式を行うことはよくあることですし。特に急な必要にかられた政略な場合はね」
背すじを伸ばして紅茶を口にする母は実に領主夫人然として、お披露目だって領と王都で行わなくてはと続ける。俺はすでに他家の者だと何度言えばいいんだ。
「妻はあの調子ですから必要以上に衆目に触れさせたくは」
「必要でしょう」
「妻はそういったことに興味は」
「知らないだけでしょう」
畳み込まれて眉間に力がつい入ると、母は片眉をあげてわざとらしいため息をついた。
「ほんとうにドリューウェットの男ときたら――いいですか。貴族に籍をおく女にとって、婚家に歓迎されていると示されるのは社交においても重要なことですよ」
「ですからアビゲイルには社交など」
「あの子は気にしないでしょうが、あなたは気にするべきでしょう!だからこそドリューウェットに庇護を求めたのではないの?」
「――いやまあ、それはそうなんですが」
「当家の庇護を示すのにこれ以上のパフォーマンスがあって?ロングハーストの意向を気にする必要などないのですから、王都に戻ったらすぐに衣装の手配にとりかかりなさい。マダムポーリーに伝令鳥を飛ばしておきましたから。そうね、王都とここでお披露目もするのだから最低でも六着は必要ですし本当なら十着は欲しいですが時間もさほどありませんからね。マダムポーリーもそのくらいが限界でしょう」
……俺でも知ってるぞ。それは王家御用達の人気デザイナーじゃないか。予約が向こう三年びっちりで無理だと娘に強請られた部下が嘆いていた。
「いやそんな無理で」
「私を誰だと思ってるんです?彼女がひよっこの頃から目をかけていたのよ」
「あっはい」
「後は宝飾ね、あなたの審美眼をあてにしてはいないから必ずタバサとロドニーを連れて行くように。格と流行を押さえた助言をくれるでしょう。ああ、本当にこの時期でなければ私が王都で付き添ったのに」
「……もしかして母上」
「あんなろくでもない家の出で、これからもうロングハーストはおしまいですよ。姉ときたらこの地で処刑までされる重罪人!うちが歓迎していることを派手に示すことくらいしなくては醜聞を打ち消せないでしょう!」
くわっと見開いた目でまくしたてられた。いやこれ絶対自分がやりたいだけだろう……。







