25 にんげんはまだわたしのしらないちからをもっていました
「やー、盛り上がりましたね」
「……うるさい」
アビゲイルを揺らさないよう抱きかかえて、舞台近くに用意されていた領主控室に飛び込んで。
間をおかずにロドニーがひっぱってきた医者の「身体的には鼻血は止まったようですし……あとは筋肉痛みたいなものですかね」との言葉で、俺が椅子から倒れ込みそうになった。アビゲイルを膝にかかえたままだからそこは耐えたが。
「お前だって焦ってただろうが」
「いやだって、主が焦ればそりゃ執事としてはねー足並みそろえますよー」
自分だけすっかりいつもの口調を取り戻したロドニーだって、かき乱した髪の根元に汗の名残がみえる。冷や汗だろうそれ。
人込みの中で剣をつかうわけにもいかず、夜会で会った時の華やかさなどまるで面影もなく暴れるナディア――アビゲイルの義姉をなんとか取り押さえたけれど、水気もなくからからになった魔物寄せの花は風に散った。ナディアは護衛に任せ、俺とロドニーが飛びついたけれど全てを掴み切れるわけもなく。
よりにもよってその瞬間に吹いた突風に息をのんだとき、軽い音をたてて火が消えた。
突然の意味が分からない事態に思考が追いつかないまま、それでもとりあえずはこの魔物寄せを燃やさずに済んだらしいと気を抜きかけた。アビゲイルに大丈夫だとは言ったが、これだけの領民が集まる中、何の被害も出さずに大火を即座に消す魔法をすぐに発動はできなかった。そう、なのに何故消えた?
『魔法は使えないのです。この身体では魔力の放出に耐えられないので』
アビゲイルの以前の言葉がよぎったと同時に心臓が強張るような感覚に襲われて、壇上を振り向けば。
舞台の上で主役が独白でもするように、アビゲイルが両足をしっかり踏み締めて威風堂々と立っていた。
鼻から胸元までを真っ赤な血で染め上げてだ!
冷静さなど彼方に吹き飛んだわ!
「……坊ちゃま、ちょっと奥様に毛布をかけて差し上げたいのですけど?」
タバサが毛布を広げて構えてるから、かけやすいように膝に載せたままアビゲイルの上半身だけをちょっと離した。わかってるからため息をつくな!ロドニーも吹き出すな!しかたないだろ。ここには寝かせてやるベッドもソファもないんだから。
毛布にくるまったアビゲイルをもう一度抱きなおして鼻をすすった。くっそ。
広場の騒ぎは父上たちに任せて、俺たちは城に戻ってきた。
あの女はとりあえず地下牢にぶち込むよう指示を出してある。
念のために連れてきた医者にもう一度きっちり診察させて、大きな問題も見当たらないとのことに、やっと少し安心できた。
ただ、魔力の放出に身体が耐えられない現象自体、けしてよくあることではない。
具体的なきっかけも原因も見当たらないことが気になるという医者に、あいまいな返事で濁した。
「旦那様」
綺麗に拭いてもらい着替えさせられたアビゲイルが、ベッドの中から不満げに俺を呼ぶ。
今日は早めに夕食をすませていたから、もうすっかり寝支度は整っている。
「どうした」
「こっちのお部屋じゃないです。旦那様のお部屋がいいです」
「――っ」
確かにここのところ、ひとつの寝台で休むことも多い。本当に休むだけだ。
アビゲイルはなぜかそれが気に入ったというか、妻ですのでといそいそと俺の部屋にきて寝台に潜り込んでくる。本当に、休むだけだ。
――俺は全く休まらない。なので毎晩は勘弁してもらっている。
アビゲイルは妻で、初手こそ俺の手落ちで最悪ではあったが、立派に妻なのだ。
もう不健康というほどではないくらいには体調も良く、それなりに成長もした。
だから名実ともに夫婦になってもなんら問題はないし、望むところではあるのだが。
もうどうしようもなくまだ今じゃないんじゃないのかと理性がささやくわけで。
そんなこんなでずっと本当に一緒に眠るだけの夜を過ごしているのだが、いやまあそれとは別にだ、取り乱しかけた頭を振って、寝台脇の椅子に座りアビゲイルと向き合う。先にしっかり話さなくてはならない。
「アビゲイル」
「はい!」
「魔法、使ったんだな?」
「できました!」
うん。あれはいざというときだったんだろう。実際そうではあったし、いつだってアビゲイルはいざというときはと言っていた。
そうして今やりきった感満載の顔をしてる。
「使わん約束じゃなかったか?」
何か目論見と違うことになってると気が付いたらしく、少し視線をさまよわせるアビゲイル。
「タバサに聞いた。君、詠唱しないで魔法を使えるな?」
「えいしょう」
「……ロングハーストでの家庭教師は魔法学は教えなかったんだったか」
そうだ、確かにそういっていた。だから普通は魔法を使う時には詠唱をするのだと知らなかったか。
「もしかして、魔王の時と同じに使ったか」
「同じにつかえました!」
そうだよな。詠唱する魔物なんていない。つまり魔法――魔力の使い方が人間と違うんだ。
「魔法、使いたいか?」
「つかいたい……ちょっとよくわからないです。つかえるのでつかいます」
アビゲイルなりに考え込んだのであろう間をおいて返ってきた答えは、なるほど、手が動くから動かしたくらいの感覚なんだと納得するものだった。
「おそらくだがな、魔王の時と同じには使えないんだろう。だから鼻血も出たし身体も痛い。人間と同じ使い方をしないとなんだ。なあ、アビゲイル」
どこかこことは違う場所にいるような眼をして俺を見つめるアビゲイルの手を、痛くないように、でも離れないように掴む。
「だったらちゃんと教師をつけて人間のやり方を習おう。最初は俺が教える。だからもうその使い方をしないでくれ」
「――はい」
多分本当の意味では分かっていないのだろうけれど、こくりと頷いたアビゲイルをもう一度緩く抱きしめた。
「君が血だらけになってるのを見た時に息が止まった。いいか。君が痛かったり血を流したりすると、俺も痛い」
「旦那様も?どこですか」
腕の中でもそもそ顔をあげたアビゲイルの手をとって、俺の心臓のあたりに触れさせる。
「ここ」
「ここは痛いとだめなとこです」
「だろう?君は俺が嬉しいと嬉しいよな。俺もそうだ。そして君が痛いと俺も痛いんだよ」
「――にんげんにはそんな力が」
「ははっ、そうだな。タバサもイーサンもだぞ。君が痛いと痛くなる」
え、俺はー?と後ろで呟いてるのは無視だ。
わかりましたと神妙な顔をしてから、アビゲイルはもう話は終わったと思ったらしい。
「旦那様、ご褒美がまだなのです」
「ん?」
「私ちゃんと妻のお仕事しました。だから旦那様はここに口づけするのです」
「――っ」
そういって自分の頭を指さした。いやほんとはもうちょっとしっかりと叱らないととは思ってるんだ。思ってるんだけど無理だろうこれ。だって助けてくれようとしたんだぞ!
タバサの冷たい視線を感じながら、しっかりとご褒美をしてアビゲイルを俺が使っている隣の客室にある寝台に寝かせたんだが。
ガラスのフードカバーにいれてサイドボードに飾った花の飴を、微笑みながら持ち去ったタバサの背中を見送るアビゲイルは、みたことがないくらいに愕然と目を見開いていた。
なるほど――さすがだなタバサ……。
たくさんのお祝いありがとうございます!
ひとつひとつにお返事をつけられないでいますが、うはうはして何回も読んでますので!
ええ、明日の分まだ一文字も書いてないのに余裕かましてるくらいには!
だいじょうぶです。間に合いますとも!







