21 みどりのぶどうなのにおっきくてすっぱくないのです
やらかした――っ。
癖とは恐ろしいもので、食卓のエビにアビゲイルが釘付けになってることに気がついたらもう食べさせていた。
一気に熱くなった頭で思わず周囲に視線をめぐらせれば、執事の無表情さを保ったロドニーが、自分のトラウザーズを強く握りしめているのが見えた。くっそ……っ。
それに言い訳じゃないが仕方がないだろう。あれは丸かじりする気満々だった。
アビゲイルは習ったことは忠実に実行するから、作法に問題などない。けれど習ってないことに関しては大胆かつ野性的だ。そう、飾りの花を迷わず食うくらいに。王都の屋敷では入手できなかった食材での練習はできなかった。
それにしたって、海産物が特産であるこの領で育った者とはそもそも土台が違う。外部の客人を招いたときのもてなしとして、この晩餐のメニューのほうがむしろマナー違反だ。常ならばもっと食べやすく抵抗の薄いものも合わせて並べるし、客人に恥をかかせない配慮をする。
母の意図としては貴族夫人教育があって、けして悪意だけのものでもないことはわかる。普通の貴族令嬢もしくは貴族夫人であれば必要だし、アビゲイルには学ぶ環境が皆無だったものだ。悪意が全くないとも思えないけれど、行動に表さなければそれでいい。
何食わぬ顔でエビの半分を食べさせて残りは俺が平らげた。アビゲイルは満足げに目を細めている。
……この顔のせいで余計達成感がわくんだ。癖にもなる。
こうなったらもう普段通りでよしとすることにして、残りの料理は全部食べさせた。別に普段の食事でも必ずしているわけではないが、一皿の量が多いんだよ!これじゃアビゲイルが色々な種類食べられんだろう!
淡い緑色が鮮やかな葡萄のタルトに口元を僅かに緩めているアビゲイル。これは自分で食べている。もうデザートだから量の調節いらないしな。気になった料理は制覇できたようで何よりだ。
母たちも達観したような顔つきで粛々と食事はすすんでいたが、父が仕切りなおしとばかりに口火を切った。
「お前の趣味はおいておくとしてだ」
またロドニーが拳を握りしめたのが目の端に映ったけれど、父の揶揄いだか戯言だかもろとも貴族らしく受け流す。
「確かにここのところのお前からの進言で、本来受けたであろう領の損害が激減したことは感謝しているし、お前の要望通りアビゲイルへの庇護を公にすることに異論はない。だが私たちはその進言が天恵によるものとしか聞いていない。どんなものであったにせよ、進言してきた対策そのものはお前の判断なわけだろう?何かが起きるとわかったところで対策を打てなければ意味がないのだから」
だからこそお前がそこまでアビゲイルを隠そうとするほどのことか判断がつかないのだと続いて、ああ、なるほどと納得した。天恵という核心を隠すほうにばかり意識がいっていたからか。俺の脇が甘かったってことだ。もっと天恵だけでもなく、夫人としてでもなく、別の価値も強調すべきだった。
タバサの言っていた貴族夫人の在り方とはこのことだ。侯爵夫妻、特に侯爵夫人はこの夫人の役割を他に知らないし、そうであることは義務だと思っている。まあもっともな話だ。
これは貴族であれば当たり前の取引なのだ。それくらいにはこの侯爵家の庇護は重い。だからこそアビゲイルを隠す盾として選んだんだ。悪評さえおさえれば後は表に出さなくとも、領地と領民を守る侯爵家の瑕疵どころか益しかないのだと示さねばならない。
「誤解させていたようですみません。俺じゃありません。対策そのものもアビゲイルです」
「……え?」
訝しそうに首を傾げた母の視線を真っ向から受け止めた。
「ロングハーストの調査結果を共有するべきでした。まあ、そちらでもある程度調べたのだとは思いますが……そうだと思って見ないと気づかなかったかもしれません。近年のロングハーストの領地経営は実質アビゲイルが行っていたものです。母上、貴族夫人の役割は重々承知していますし軽視するつもりもありません。実際、こんなやり方ではなく、普段の母上の振舞いを普段の母上らしく指導されるのであれば得難い経験でもあるでしょう。ですが、アビゲイルは貴族夫人の社交に根本的に不向きなんです。そのかわりとばかりにアビゲイルが差し出したのが領地経営の手腕でした。俺は領地を持ちませんが、俺の役に立とう、俺が喜ぶであろうことだと思って、ロングハーストで行っていた対策とともに助言をくれたんです」
実際のところでいえば本人にその意識は薄いことはわかっている。アビゲイルは他者への共感性がひどく低い。自分が食事の対価にすぐにできるお仕事としてしか認識はしてないだろう。
それでも俺が喜んだとわかると嬉しそうにもするようになったのだ。
普通は幼い頃に多かれ少なかれ経験するはずの、褒められることや喜ばれること、受け入れられることを全く知らないで育ってしまったアビゲイルは、おそらくはその前世の記憶のせいで自分が人間であることの意識もほとんどない。
魔王という存在に同種族はいなかった。
世界にただひとつの存在であることしか知らないアビゲイルは、今もまだどこかこことは隔絶されたところにいる。
「さきほども話したとおり、アビゲイルは根っこの部分が強いですから他者の悪意など気にとめはしません。無関心といっていい。ただ――俺が嫌なんです。母上は貴族社会で渦巻く悪意に対抗する術をというのでしょう?」
「……ええ、今のままでは隙だらけだわ。そういうものだと知らなくては自衛できないもの」
「自衛も何もそもそも傷つかないので意味がないんですよ。アビゲイルは悪意を知らないわけじゃない。むしろずっと晒され続けてきている。今はこれ以上必要ないし、仮に俺に何かが起きたとしても、タバサやイーサン、ロドニーに後を頼んであります。俺の意を汲んでアビゲイルを隠してくれるでしょう。自ら望むようになるなら別ですが、少なくとも現時点では貴族夫人の仕事として社交をさせる気はありません。どうかご理解を」
殊勝そうに見えるであろう表情を保って頭を下げた。
というか、本人が無意識に魔王時代の話や能力を垂れ流すんだから野放しにしたら、あっという間にかっさらわれる。魔物の異常繁殖まで予期するどころか、なんならコントロールすらやりかねないなんてどこの国でも欲しがるに決まってるのだから。
冗談じゃない。いい感じに丸め込むためなら頭だって下げてやる。
「ごちそうさまでした!」
葡萄のタルトをちまちま食べていたアビゲイルが、いつもと同じにほわんととろけた顔をきりっとさせてみせた。何故そうするのかはまだいまいちわからん。
くっそロドニーこっそり拍手してるんじゃない!お前、後で覚えてろよ!







