29 ひりひりはあとではちみつをぬってもらえました
旦那様は、ううんって困ったお顔で原石を手の中で転がしました。
部屋の明かりが反射して緑色にきらめきます。
「いやー、あの竜はアビーのことすごく好きだと思うぞ?」
「前は触るのもさせてくれなかったですし。いっつも私が触る前に持って走って行っちゃうんですけど、途中で振り返ってまた見せるんです。意地悪って思いました」
「お、おう。そっかぁ、それ多分構って欲しかったんじゃ……アビー?」
苦笑いした旦那様は、ふと気がついたように私を覗き込みました。なんでしょう。きらきらの青がいつになく頼りなさげに揺らいでるように見えました。
もうひとつライスクラッカーを口にいれてから旦那様の口にもいれて差し上げます。
旦那様は口の中でかけらを転がしてから「……思ったのか」と私に聞いてるようでもなくつぶやきました。
これ美味しいけどちょっと舌とかほっぺの裏がひりひりしてきたような?でもまだ食べたいから黙っておきましょう。
「あー、うん。竜にな、一度くらい会わせてあげたほうがいいんじゃないかと思ったんだが」
私を足の間に座らせて横抱きにした旦那様が、つむじの上でごりごりします。私のよりずっといい音。
「前に人間は森で暮らせないって言ってただろう? 俺が暮らせないから君も暮らさないって」
確か去年のドリューウェットからの帰り道でそうお話ししました。ちゃんと覚えてるので頷きます。旦那様はもう飲み込んだみたいです。早い。
「それはちゃんと俺もわかってるんだ。だけど人間はあまりにも君にひどいことばかりしてきた。魔王の頃からずっとだ。俺なら絶対もう人間とは関わらない。むしろどうして人間を憎んでいないのかわからないくらいなのに、君は俺といてくれると言う」
「だんなひゃまはずっとやさひいです」
よだれが出てしまいそうでお行儀悪いですけど、何がわからないのかわからなかったのでそう答えました。
旦那様の腕の力が少し強まります。苦しくはありませんし、毛布でぐるぐる巻きされてるみたいだから、私も旦那様の背中に腕を回してぎゅっとしました。
「どうかな。ブリアナたちもそうだが、君を狙うロングハーストの輩はこれから総ざらいで国に捕まるはずだ。完全に安心はできないが……アビーは森とか好きだろう?もうどこにだって行きたいとこに行ける。俺だって君が行きたいと思うところならどこにでも連れて行ってやりたいとは思う。だけどな、それは俺と一緒じゃなきゃ嫌だ」
これは心配しているのかもしれません。でも何が心配なんでしょう。妻ですから一緒が当たり前ですのに。
「情けない話だが、いつか君が森に帰ってしまうんじゃないかと不安になるんだよ。だからあの竜が君に会いたがっていても、もしかして君が会いたいと思ったとしても、会わせたくない気持ちがある。とても優しいなんて言えるようなもんじゃない」
本当に情けないなと、旦那様は息を吐くように静かな笑い声をあげます。私もやっとライスクラッカーを飲み込めました。
「旦那様は私が大事だから」
「ん?」
「いつでも持って歩きたいってお話ですね! サーモン・ジャーキーみたいに!」
「そ、そうか……?」
わかります。私と同じです。あとなんでしょう。そうです。竜。
旦那様が遠征に行っている間、その方角あたりにいるボスたちとお話ししていました。竜のほうは少し方角が違ったので気にしなかったです。
元々魔物たちとそんなにお話しをしたりはしていません。賢い子しかちゃんとお話しっぽくはならないし。竜は意地悪だし。
こっちを見てる子が、いた、いる、って思ってるなってわかったくらいです。たまに気が向いたら、いるよってお返ししてあげたりはしました。
それにアビゲイルになってからは、前よりわかりにくかったかもしれません。今はまたわかるようになりました。他のボスたちとは結構お話しできたので、竜にも聞いてみることにします。旦那様が気にしてますから。
「――やっぱりその石、旦那様にあげたみたいですよ」
「は? 今聞いたのか?」
「この石なにって聞いたら、どんぐりくれたから! って」
「気前いいな⁉」
「なんかうれしそうでした。多分踊ってたと思います。あの子、どんぐりも好きだったんですね」
「い、いやー、うん、そっかー……あいつあんま素直じゃないんだな……」
心配はもうなくなったでしょうか。まだでしょうか。横抱きの体勢から旦那様の膝をまたいで腰かけなおすと、ちょっとだけ目線が旦那様より上にきます。天井から下がるランタンの明かりが旦那様の瞳をきらきらゆらゆらさせていて、やっぱりこの青が一番好き。
「旦那様」
「うん」
「私は森とか、山とか、人間がいないとこならなんでも見えますし、わかります」
「……うん」
「だから別に帰ろうと思ったことないです。でも旦那様が行きたいなら連れて行ってあげてもいいです。私はつよいから大丈夫ですよ」
「そっちかー」
旦那様は口を少し開けたままびっくりしたお顔をしてましたけど、そのうち笑いだしました。私の首元に顔を埋めて、くっくっと笑い続ける旦那様の背中をとんとんして差し上げます。
「心配はなくなりましたか」
「ああ、これほどの信頼を疑うなど男がすたる」
笑んだ形のままで口づけをして、そしてそのまま唇をついばみながら旦那様は答えてくださいました。
しょっぱ甘くて美味しいです。







