23 やくそくはちゃんとまもれます
ブリアナたちが逃げて行ってから二日経ちます。屋敷を手薄にするほうがよくないって追いかけて捕まえたりはしませんでした。
その代わり巡回する護衛を増やしたとイーサンが言ってました。捕まえるのは旦那様が帰って来てからにするそうです。
そしてイーサンが今日しゅっと出してくれたのは青のクレヨンです。どこから出してきたのかは、やっぱりまたわからなかった。なんで。
「奥様、今日は少し風がつようございます。お部屋で手紙を書くのはいかがでしょう。きっとそろそろサミュエル様がお待ちですよ」
「はい!私のクレヨンは青色のが小さくなってきてたのでちょうどよかったです!」
サミュエル様はいつも絵を送って来てくれるので、私も絵をお返しします。この間送られてきた絵は、お城の池にいたおたまじゃくしだとステラ様の説明が添えてありました。
やっぱりお返しの絵は蛙でしょうか。新しい青いクレヨンもありますし、フロストトードがいいかもしれません。あれは大きくてねじれた角がみっつもあって強そうなのですが、実はびよんびよんとなるくらいに柔らかいのでサミュエル様も怖くないはずです。
中庭に面した温室で、イーサンが用意してくれた紙をテーブルに広げます。
屋根は細かな透かし彫りの板がガラスを支えていて、そこからこぼれる光の模様が手元に落ちてきていました。
風は強いけど晴れてますから明るくて細かなところもきっと上手に描ける。
そうしてばっちりに描き上げるころ、エントランスのほうが何やら騒がしくなったことに気がつきました。知らない気配がします。メイドや従僕、多分護衛たちもばたばたと駆け回っている音もする。みんな普段は廊下を走ったりしないのに。
ホールに出ていくと、イーサンが従僕や護衛に何やら指示しています。従僕が一人、外に駆け出ていきました。知らない人はそこにいなかったので、もう出て行ったのかもしれない。
私に気がついたタバサが小走りに駆け寄ってきて、私の両手を握ってくれました。壁際の肘掛椅子に私を座らせて、タバサは膝をついて手を握ったまま見上げます。
「今、伝令が参りました。遠征から帰還中の隊列が、落石事故に巻き込まれたそうです。まだ詳細はわかりませんので、軍へ人をやりました」
さっきの知らない気配は、軍から来た伝令の人だったようです。階級が上の人のおうちに知らせて回ってるって。
遠征はたくさんの人間が長い隊列をつくって行軍しています。渓谷を進んでいるときに崖が崩れたために列が分断されて、旦那様の隊はその後ろのほうだったそうです。
「イーサン、地図を、いえ、どの方角ですか。どっちですか」
どこから出てきたのかやっぱりわからない地図を広げたイーサンが、指差した方角に意識を向けます。大体の距離もイーサンは教えてくれました。
毎晩ちゃんと確認してたのに。ゆうべだって寝る前に確認しました。魔物たちだっておとなしかった。
人間の住む土地はよく見えないから、途中にあるいくつもの村や町が邪魔をしてはっきりとはわからなかったけれど、――渓谷なら見えるはずなのに。
「なんででしょう。近くに町がありますか」
「――はい、ちょうど渓谷から出たところに大きな町がございます。その入り口手前の道が狭まった関所で起きたため、伝令鳥が運んだ一報ではまだ後方隊の確認ができていない状態とのことでした」
「奥様、軍では災害時に備えた訓練もきちんとしております。今はその崩れた岩をどけているところでしょう。すぐに次の報せがまいりますから、それまでこうしてタバサとお待ちしましょう」
ドリューウェットで昔事故が起きたときは、まだ子どもだった旦那様も復旧作業に加わっていたのだから、きっと今も指揮をとっているはずだと年かさの護衛たちも口々に教えてくれました。大きく構えてくださいと笑って、それぞれの警備位置に戻っていきます。
にんげんはすぐ嘘をつくし、忘れちゃうし、いなくなっちゃうけど。
「旦那様はすぐ帰ってくるからなって」
「ええ、ええ、主様はちゃんとお約束を守ります」
「はい。旦那様おつよいですし、私に嘘をつきません。でもタバサ。なんででしょう。落ち着かないのです」
お胸がすうすうします。
おなかももぞもぞ――痛い?ちょっとだけ痛いかもしれません。
タバサが手を何度もさすってくれますけど、いつもより冷たい気が――あ。
「ロドニーは」
「あの子はいつだってしっかりと主様のおそばにおります。大丈夫ですよ」
主様はご無事なのですからと、タバサはにっこりしてくれました。
そうです。旦那様が大丈夫なのだからロドニーだって大丈夫。
だけど落ち着かないままですし、だからタバサの冷えた指をぎゅっと握り返してそのまま立ち上がります。
「奥様?」
「一番外側の城壁まで行ったらわかるかもしれません。あと高いとこ。ここは人間多すぎてわからないです」
タバサの手を引きながら外に出て閉じた門へ向かいました。
旦那様とロドニーはきっと大丈夫。だけどおかしいのです。いくら関所といっても、それは人間と魔物の世界の境目です。その外側なら、もう少し見えてもいいのに。
それともその渓谷のそばにある町が広すぎるのでしょうか。
にんげんがたくさんいるのでしょうか。
――とても、じゃまです。
「奥様、奥様。いけません。外に出ない約束を主様としていらしたでしょう?」
「そうでした!」
ぐっと足を踏ん張ったタバサに引っ張られて立ち止まったのは門扉の内側です。普段は門の両側にいる護衛たちが困った顔で道をふさぎました。
「それにまだ、あのロングハーストの輩がこの辺りにいないとも――」
護衛が立つ向こう側の一点に視線を止めたタバサは、ぎゅっと目を細めます。
「アビゲイル!やっと出てきたね!知りたいことがあるんでしょう?教えてやるからここを開けなさい」
ブリアナが腰に手を当てながら、お供を連れて道路を悠々と渡ってきます。まだいた。







