19 あのこはかまってほしいとすぐがおーってするのです
共同演習地がある領とロングハーストに挟まれた飛び地が、元公国である王領だ。
次々と天災に襲われ、公主は民を見捨てて真っ先に逃げ出したという。残された地を王領として取り込んだこの国は、ロングハーストの時と同様に土地に関する資料を持ち出した。それらは今ドミニク殿下がこっそり調べている禁書庫にあるらしいが、当然それがすべてではない。残されたものもあるはずだからと、今は最低限の手入れはしつつも閉鎖された城に立ち入って調べるよう依頼を出してくれた。
続く災害の対応に追われて人手不足な殿下にとっても、内情のわかる俺を使えるのだからお互い悪くない話だ。
「ロングハーストを復興させるためとはいえ、二百年前の資料に意味があるとは思えないけどねぇ。でもまあ、王族の依頼を無下にもできないし、君のことだから奥方のためでもあるんだろう?――いや、聞きたくない。聞かないからね」
演習地から王都への行軍二日目の野営地で、ふらりと俺とロドニーの天幕を訪れた閣下は答える隙も与えずに、ひらひらと手を振った。
ロドニーが淹れたコーヒーの香りを堪能しながら一息ついて、閣下は片眉をあげながら意味深に一瞥を寄越す。
「で、医務院を奥方に見学させたらしいけど、やらかしてないだろうね」
「そこは大丈夫です。見学しかしてませんので」
「ハイドンとの仲を疑う奥方を宥める口実だったというのは」
「なんですかそれ!ロドニー!」
「――っ、ま、まあ害のない些細な噂で、す、し」
「ははははっ、あの奥方がそんな勘繰りをするとは思えんかったが、やはりガセか!……本当に回復魔法は使えないんだよね?」
ひとしきり笑ってから、すっと真顔になって問うのは警告の意味もあるからだ。閣下にはアビゲイルが魔法に関してただならぬ能力があることを見逃してもらっているが、重宝される回復魔法まで使えるというのは、知らせておけということか黙っておけということか。
「……試そうとはしてませんでしたね。試す気もなかったようです」
いつもであれば俺に見せようと張り切るところなんだが、ほんの少し首を傾げてから「やっぱりにんげんとはルールが違う」とだけつぶやき、それっきり回復魔法への興味を失ったようだった。そもそも入隊資格を知ったせいもあるか……。
アビゲイルはアビゲイルなりにしきたりやルールを守ろうとするけれど、時々俺にはよくわからないルールがでてくることがある。
そしてそういうときは大抵、金色に魔王の気配をにじませているのだ。
以前、アビゲイルが魔物と人間は違う場所に住んだほうがいいと言っていた。その踏み越えてはいけない一線のような気がして、俺はいつもそれ以上の追求ができないでいる。いや聞けば身振り手振りを交えて教えようとしてくれるだろうとも思うし、唐突に説明されたりもするんだが。
「ふぅむ……なんにせよ、私も年だからね、奥方を隠すための伝手はいくつかあったほうがいいだろう。ドミニク殿下は悪くない線だ。売れる恩は売っときなさい。それに急げば王都に予定より早く帰れるだろうしね」
明日の朝早く、俺とロドニーは行軍から離脱して元公主が住んでいた城へ向かう。六百人を越える大所帯の移動より、遠回りになっても俺とロドニーだけで馬を駆けさせるほうが断然速い。しっかりねと閣下は俺の肩を叩き、自分の天幕へ戻っていった。
馬を駆けさせて半日ほど。
王都より夏の訪れが早いこの地域では、夕刻といっていい時間なのに陽射しの熱が引かない。目的地に到着しても周囲はまだ明るかった。
「……最低限の手入れがしてあるって言ってたよな?」
「崩れないよう補強はしております!」
「認識の相違ー?」
あまり特徴のない面構えを力ませて主張する王領管財人に案内された城は、岩壁から削り出したかのように半身を土石に埋めている。
規模としてはドリューウェットの城より小さい。けれど精緻な飾り彫りがされたバラ窓の名残がある尖塔は、公主が権勢を誇っていた時代もあったのだと思わせた。
アビゲイルはよく頭の中で思う距離と地図が違うと言うけれど、それはそうだろう。実際の距離や方角は人間が少ない地域ほど地図とは差異が出てくるものだ。
この地も王家が管理しているものの、旨味のなさゆえに手がかけられているとは言い難いし住人も少ない。こうして直接来てみれば、城のある場所は地図上よりもずっと魔王の森を囲む岩山に近かった。
「元々麓にあったんですかねー?いやそれにしたって」
「あの頂上まで登って見下ろせばはっきりするだろうが、城が岩山に近いんじゃなくて、岩山が城に近いんじゃないかこれ……山と言うには高さが城よりちょっと高いくらいだから地図に載らないのだってわからんでもない」
管財人が住む町を囲む畑や牧草地から少し離れたところに位置する城は、切り立った崖に抱きこまれていて。
その崖は魔王の森がある方角から、まるで大剣を突き出すように伸びているのだ。
「土魔法で岩壁を隆起させたみたいですよね」
「人間技じゃないでかさだけどな」
「やだなんかちょっと怖くないですー!?」
「俺もなんか深く考えたくなくなってきたけど……どうする。資料どころか、これ立ち入ることも危ういぞ」
森を囲む岩山は魔王の時代にはなかったと言ってなかったか。囲むほどの大きさではなかった、だったか。竜が棲む岩山はあったんだよな確か。
ロドニーと若干呆然としながら見上げていると、管財人が恐る恐る声をかけてきた。
「公国時代の資料、ですよね?当時城から持ち出されて王城へ運ばれた以外のものを納めた資料庫は別にありますが」
「ああ、そうなのか。ここから近いだろうか?」
「役場庁舎に併設されています。その、まずは城をとのことだったので」
「いや、こちらがそう頼んだのだから問題ない。気にしないでくれ。この時間なら役場庁舎はどちらにしろ開いてなかっただろう?」
「ええ、はい、いえ、勿論資料庫の鍵はいつでもお渡ししますが、よろしければ是非我が家でもてなしを――っ」
急にやる気を漲らせた管財人の声にかぶせるように、城や岩山よりずっと遠くから足元を揺らすような唸り声が響き渡ってきた。
とっさに身を翻して剣を構えた俺たちに、たった今その音で飛び上がった本人が「ああ」と抜けた声を上げた。
「驚きますよね。岩の隙間に風が抜ける具合なのか、時折響くんですよ。年に一度あるかないかくらいなんですが」
ロドニーと無言で目を合わせると同時に、お互いの顔がゆがんだのを認める。
絶対聞いたことあるぞあれ!あいつだ!あの竜だ!







