9 これがはなしにきくへんなひとなのだとおもったのですけど
鋳物で装飾された両開きの大きな扉は、朝来たときと同じに開きっぱなしでした。旦那様の制服よりずっと簡素なものを着た兵士が扉の左右両端に立っていて、通り過ぎる旦那様にぴっと敬礼をします。目の前にはお迎えの馬車。護衛たちは馬に乗ったままで、従僕がステップをもう用意して待ってくれていました。
旦那様の手をお借りして、ステップに一歩足を乗せます。一人でできますけど、これはお手伝いしてもらうのが正しいってタバサに習いましたし。一段乗っても旦那様のお顔はまだ高いところにあります。おそらくそろそろ私も同じくらいまで大きくなるはず。十七歳ですので。
旦那様はちょっとかがんでほっぺに口づけをくださいました。
「いつも通りの時間に帰るからな」
きらきらした青い瞳が、春の陽射しを受けた泉のようにゆらゆら柔らかく揺れます。きらきらしてるから、お可愛らしいってきっとこれのこと。ならばわかりますけど、それなら今だって可愛いなのに。
「……アビー、俺は大人の男だから可愛くない」
「えっ」
「やっぱりか。それよりお返しは?」
「そうでした!」
お返しのための背伸びをすると、旦那様もまた少しかがみます。いってらっしゃいといってきますの口づけなのですが、今は私がいってきますでいいのでしょうか。跳ねたくなるのは同じなのでどっちでもいいのですけども。
「ジェラルドじゃない!久しぶりね!」
いつも通りに旦那様が私の額にお返しのお返しをしてくれたとき、少し離れたところから弾んだ声がかかりました。
ジェラルドって。でも義母上とは全然違う声です。私の前髪を直す手がびたっと止まりました。こちらに駆け寄ってくる足音の方向を覗こうとしましたけども、旦那様が素早く立ちふさがったので大きな背中しか見えません。
「ちょうどよかった!これからあなたの部屋に行こうと思ってたの」
「――ハイドン。何故王都にいる」
旦那様の声がものすごく低い!とても怒ってる声な気がします。ロングハースト視察のときに、変な人が来たら旦那様の背中にしゅっと隠れるようにと言われました。もしやこれは今がそのとき!
「やだ。ジェラルドったら相変わらずね。せっかく四年ぶりに地方から帰ってきたっていうのにお帰りの言葉もないわけ?」
はきはきとした元気な声に続いて旦那様の腕に触れようとする細い指が見えましたけど、旦那様はそれをすかさず叩き落します。ぱあんって鳴ったのに、ひどぉいって声は楽しそう。変な人であってる気がします。
そそそっと寄ってきたロドニーの顔がものすごくおすましです。口をあまり動かさないで「奥様、馬車へ」と囁きました。え。でも私は旦那様の背中に隠れてないといけないのでは。
「名を呼ぶなと何度も言っている」
「もう!同期でそんなこと言う人なんていないってば」
「むぐ」
「少佐だ。役職が上の者への態度じゃない。わきまえろ」
旦那様が後ろ手に私の腰を引き寄せるので、顔が背中にぶつかりました。ロドニーがその手をぺちんと軽く叩いて、私を馬車へ乗せようとします。どっちに行けばいいのですか。
「……ちょっと、何隠してるの」
こちらを覗き込む気配がしたので、しゅっとずれてみました。隠れるって約束したので。旦那様も背中で私を巻き込むようにぐるりと彼女と私の間に身体を割り入れます。
「……まさか結婚したって噂、本当だったりする?」
見えちゃってた!すごく早く隠れましたのに!
旦那様はおっきな舌打ちをしてため息をつきました。それからいつものようにひょいと私を両脇から持ち上げて馬車の戸口に立たせてくれます。こうすると私は旦那様より背が高くなるのです。変な人も見下ろせました。旦那様よりちっちゃ――お胸おっきい!軍服の胸元を寛げてるのですが、シャツのボタンがぱっつぱつです!新しい服を買ってもらえないのでしょうか。
高い位置でひとつにくくられた、桃色にも見える茶色がかった金髪は毛先がくるんくるん。ぱちりと視線の合った瞳はくすんだ暗い赤で、揺らぐと鮮やかに明るい赤が差します。なかなかの魔力量ですが義父上ほどでもありません。そして。それから。
「妻のアビゲイルだ。アビー、あれはウェンディ・ハイドン。ハイドン伯爵家の三女だが、ここではただの少尉だ。君が関わる必要はないからな」
「ひどい!仲良くしましょうよ。ね?」
ウェンディ・ハイドン。ウェンディは、ほんの一瞬だけびきっとした口を大きく開けて笑顔をつくりました。アルカイックスマイルとはまた違うつくりかたの笑顔です。多分タバサにお願いしたら私も教えてもらえるはず。でも今はできないので、習った通りにちゃんとご挨拶します。旦那様のごつごつした長い指をきゅっと握ったら、馬車の奥へと軽く押す手を止めて小さく首を傾げられました。
「アビー?」
「ノエル子爵が妻、アビゲイル・ノエルです。ハイドン伯爵令嬢、どうぞよしなに」
お行儀よくそろえた指をお胸の真ん中に軽く当てて、おすましのにっこりをします。奥様とってもお上手ですよってタバサが褒めてくれたにっこりなのに、ウェンディはびっくりしたみたいに目を見開いてから、ぷっと小さく噴き出しました。
「やだ。かしこまらないで。とってもかわいらしいのね」
ちゃんと貴族のご挨拶できましたのに、ウェンディはお返しのご挨拶をしません。ご挨拶、苦手なのでしょうか。
「……この通り、何を言ってもわきまえることを知らん人間だ。アビー、これには君が礼を払う価値がない。さあ、もうお帰り」
「タバサみたいに優しく教えてくれる人がいないのかもしれません。ならば仕方がないことです」
「――っ、そ、そうだな。俺の妻は実に寛容だ」
ロドニーと旦那様は同時に斜め下を見つめて震えました。でもそんなことはいいのです。
「ウェンディはおいも好きですか。今度一緒においも食べますか」
「はぁ?」
このにんげんは、魔王に初めておいもをくれたちっちゃいにんげんです!







