7 ぶろんずほっぱーはたぶんジャーキーよりかたいです
旦那様は軍の偉い人ですし、数日のお泊りがあるお仕事だってあります。遠征とは多分そのお仕事のことでしょう。屋敷の留守を預かるのも妻のお仕事ですよってタバサが言ってましたから、そういう夜はイーサンが鍵をかけて回るのをお手伝いします。ちゃんとできますのに、旦那様は「あー」と額に片手をあてながら、そっぽを向いてしまいました。
「えーっとだな」
「私お留守番できます」
「お、おう。そうだよな。うん。去年もできてたし、うん…………ひと月ほどなんだが」
「ひとつき」
去年……そういえばノエル邸に来てしばらくした頃に、そんなことがあったと思います。旦那様とロドニーがいなかった。
聞けば、毎年この時期には南の国境線近くで同盟国との合同演習があるとのことで、なんだか色々あるからとても大事な行事なのだそうです。お茶をもう一口飲もうとしたら空っぽでした。
「アビー?」
旦那様が少し眉を下げながら、カップを見つめる私の顔を覗き込みます。
「お留守番できます。妻なので」
「あー、うん、さすが俺の頼もしい妻だ。帰ってからちゃんと話そうな。おいで」
お膝に乗せてくれたので、手の匂いを嗅がせてもらいました。いい匂い。
「わわわわたしなにか余計なことを」
「ああ、そろそろ伝えなきゃいけないことではあったからかまわん」
女性文官はカップとソーサーの音をかちゃかちゃと立てながら、隣の文官やロドニーを順番にちらちら見ています。旦那様がもう片方の手でうなじのあたりの髪を撫でてくれるので気持ちよくなってきました。ちょっとお胸のあたりがすうすうしたのですけど、気のせいだったのだと思います。
「そそその、ふ、夫人は何を」
「君、控えめに見せかけて意外にぐいっと聞くな」
「すみませんすみません!そ、そのノエル様の、ふ、雰囲気が随分と、変わって、て」
旦那様が、ん?と顔を上げる気配がしました。撫でる手も止まってしまったので、私の頭のほうを動かしましたら、お、おうって撫でるのが再開されました。そうですそれです。それでいいのです。
「前回が初対面だと思ったが」
「あっ、い、いえ、ご挨拶し、したのは、そう、前回がはははははは」
「落ち着いてくださいねー。ほら、主、魔法学校の一学年下にいらっしゃいましたよ。リックマン男爵令嬢です。ねー?」
「ははははいいい、えっ、おおおおおぼえ」
「主と同時期に在籍してる貴族家のことを一通り調べておくのは従者の基本ですから」
「ロドニーはすごいのです」
「え、えー……?」
「リックマン、高位貴族の従者は下位のそれとは違うのですよ」
男性文官に窘めるようにそう言われて、女性文官は、はぁ、と抜けるような息を吐きました。
「それにドリューウェットに仕える者は総じて有能だと聞きますしね」
「おそれいります」
ロドニーがおすましです。なんといってもドリューウェットはお城ですし、タバサもイーサンもすごいですから。
男性文官は片眉を上げて女性文官を一瞥し、軽く頭を振りました。
「リックマンはこの通り挙動不審ですが、処理能力はそれなりに高いのでお目こぼしいただければ助かります。緊張が抜ければもう少しましになりますので」
「予定通り進むのであればこちらは問題ない――なんだ?」
もっと縮こまった女性文官のほうへ、旦那様が視線を向けました。ので、さっきの飴の瓶をしまったと思われるあたりの引き出しに手を伸ばしてみると、その指が大きな手にきゅっと包み込まれます。駄目だった。
「いいいいえっなにっなにも!その!お、女嫌いが堕ちたって噂ど、どおりだと!」
「おんなぎらい」
「この奇行は緊張故か?」
「これは素です。申し訳ありません。黙れリックマン」
「は、はいぃいい」
ロドニーが私や文官たちのカップを片付けたので、またお仕事の続きをします。お仕事は午前中だけの約束で、終わったら旦那様とお昼ごはんを食べるのです。ちゃんと料理長がお弁当を持たせてくれましたから。
ずらっとリストになった質問事項を男性文官が読み上げては、その資料に女性文官が私の答えを書き込んでいくのを繰り返します。字を書くのなかなか早い。私も早いですけど。
「この青銅蝗とは」
「土の中に巣をつくる虫の魔物です。知りませんか。この村の辺りにはよくいます」
領の地図上の一点を指差してそう伝えると、男性文官は困惑顔で指先と私の顔を見比べます。
「いえ、青銅蝗は聞いたことがあります。ただ、虫の魔物を飼ってたと……?」
「虫の魔物は飼えません。……知らないですか」
何を言っているのでしょう。たまに人間になつく魔物もいますけど、虫の魔物はそんなに賢くない……もしやこれは言ったら駄目なやつ!振り向くと旦那様が口を開くところでした。
「あの領では魔物の知識を独自に蓄えていたようだと殿下から聞いてないか」
「あー……これがそうですか。飼っていないとなると、共存、が近いのでしょうか。畑にいる青銅蝗を討伐しないんですよね?」
「畑をつくったところが青銅蝗の通り道だっただけです。通り道だと地面がもこもこになって丁度いいですし」
お話ししても大丈夫みたいでした。青銅蝗はその硬い頭をぐりぐりしながら地面の下を掘って進みます。時々ぴょこんと飛び出してはまた潜って地面は掘り返されていくのです。あれは人間を食べませんし、村の者では捕まえられないからやっつけてなかっただけです。たまに討伐の要請状が届きましたけど、それは丸めて庭に埋めました。でも文官は、なるほどなるほどって納得してるみたいなので黙っておきましょう。
「ふ、夫人は」
声をあげた女性文官は目が合うと、慌てて手元の書類を見つめなおしてから言葉を続けます。
「の、ノエル様とななななななな仲が良い、のですね?」
「はい!旦那様は私をあいしてるっていつも言ってますので!」
ばさばさばさっと紙の落ちる音が後ろからしました。







