5 きっときにいるとおもってました
結局アビゲイルは週に一度だけ軍にある俺の執務室で、ロングハーストの資料解読をドミニク殿下の部下に教えることになった。別に暗号で書かれているとかでは勿論ない。それは体裁も整っておらず要領も得ない殴り書きのような各地からの報告書から、何がどうしてこの結論になったんだという指示に至るまでの解説という形になるだろう。
確かに時間をかければ、アビゲイルなしでも因果を理解し説明がつけられるに違いない。それくらいには優秀な人材を城は揃えているはずだ。
『待って待って、ここはこの報告書の数字が入るところでしょう。なんでこうなるの』
『それ計算間違ってますから、正しいのを書いたのです』
『間違ってたなら元の数字も修正しよう!?』
ロングハーストで繰り返されたこんなやりとりは、成果を最短であげる一番効率的な方法はアビゲイルが一通り解説することだとドミニク殿下に気がつかせてしまった。
どこの領でも地方すべてに文官を配置できるわけじゃない。村が小さければ小さいほど読み書き計算ができる人材はいなくなる。上がってくる報告書や帳簿が間違っていることなど多々あるし、それを精査修正していくための人材だっておいているのが普通だ。ロングハーストにも補佐が数人いて、彼らもそれぞれ部下を何人も抱えていたはず。本来であれば、領主館に保存されている資料や帳簿は修正済みでなくてはならない。そうしてあげられた点の情報は結び付けられ線となって結論へと導かれるものだ。でなければ領主が判断などできないのだから。
なのに、各地の資料ってここにあるだけかな?とドミニク殿下に招かれた執務室で。
大きさも揃っていなければ通し番号すら振られていない紙が散らばった床の中心に立ったアビゲイルは、それらをぐるりと一度見回して、どれがどの村で何年に収穫された何の作物の出来高なのかを指差し示した。
優秀なのは知っていた。記憶力の高さや計算の早さにイーサンが驚いて報告してきてたし、実際今では俺の仕事だって手伝ってもらうことがある。本人も喜ぶしな。ただ身びいきではないが、イーサンだけでなくロドニーだって不備のある書類なんぞ俺たちに上げてこない。間違っているものをそのまま修正することなく、脳内だけで次々正解をはじき出す場面が登場する余地などなかったのだ。
こんな一瞬で有能さを見せつけるなんて思わないだろおおおおお!
『ねえ、先輩、僕は王族だけど臣下に降っちゃえばただの一貴族になるんだよ。父上の気持ちを無下にしたくないけど、この地はいらない。だけどそれは尻尾を巻いて逃げ出す形では駄目なんだよね。王領としてせめて可もなく不可もなくくらいまで引き上げてからじゃないと』
『……そうですね』
『先輩の言う通り、城には有能な人材が揃ってる。ただ卓越した事務処理能力があるだけの夫人のことを、わざわざ僕は陛下に報告したりしないよ?だから一貴族同士、助け合お?』
ドミニク殿下とは王都への城門で馬車に乗ったまま別れ、俺たちは無事イーサンが出迎える我が家へたどり着いた。
にこやかな家令の視線が馬車や荷車の数を数えてたから、牛はいないぞの思いをこめて頷いて見せる。牛はな。
「これはっ泥蝸牛の帽子でっ、これはぴかぴかのきのこです!干してもぴかぴかですよ!それでっこっちが蛇の抜け殻で、いい毛が生えててっ」
「は、はい」
「これはつるつるで握り心地のいい石でっ、あっ、でも泥蝸牛の角も握りやすくてっ、こっちの種は振るといい音がして!どれが好きですか!イーサン!泥蝸牛の帽子もかぶったらっ、もわーんって音しますし!」
「こんなに……好きなの……」
いそいそとロドニーに持たせていた袋からひとつずつ土産をとりだしてローテーブルに並べていくアビゲイルに、イーサンの目が泳ぐ。ロドニーは壁にはりついて同化しようとしてるし俺もわき腹が痛い。
「どれが好きですか!イーサン!泥蝸牛の帽子ですか!」
「――さすが奥様。この艶といい造形といい、まさにこのイーサン好み、の帽、子です」
【やりました!】と達成感にあふれた顔で俺を見上げる小鳥のつむじを、指の震えを抑えつつ撫でる。
「きっとイーサンにぴったりだと思ってたのです!」
「くふぅっ」
タバサの方から鼻を抜ける息が聞こえた。
イーサンから不在中の報告を受けながら、この視察旅行のせいで溜まった書類に目を通していく。
ロングハーストでのとっちらかった報告書の体もなしていないものを眺めた後だけに、その要点が簡潔にまとめられた書類と報告のありがたさが余計に感じられるというものだ。
系統立てるどころか年ごとにすらなっていないとドミニク殿下はわめいていたが、そもそもアビゲイルにそんな必要はなかった。たった一人でこなすものであれば、他者にもわかるようにつくる意味などない。
「なるほど。では第四王子殿下は奥様の天恵にはっきり気づいているわけではないのですね?」
「明確にするつもりはないという取引、だな」
「彼の方は浮ついた評判も多くありますが、そのお立場を有効に使われる如才なさがございます。取引としては上等ではないでしょうか。お言葉通りに主様のことを好ましく思われている故かと」
「……イーサンが言うならそうなのかも、なっ……ふっ」
「――主様」
「いや、ほ、ほんとに、ぴったり、だな」
アビゲイルがかぶると前が見えないくらいだった泥蝸牛の頭蓋骨は、イーサンの頭には測ったようにフィットしていた。何の我慢比べだこれ。







