1 ごはんをくれるやさしいにんげん
三万字くらいの短編予定です
見切り発車でゴーです
「君を愛することはないだろう」
何用なのかしらと思うほどの大きなベッドと、おそらくは名のある職人の手によるものであろう一揃えの家具がいかめしく配置されてるお部屋で、今日旦那様となった方が家具に負けない厳めしい表情でおっしゃいました。
ちょっとよくわからなかった私はそのまま次の言葉を待ちます。
「……理解したか?」
次の言葉ないみたいでした。ということは質問してもいいということな気がします。
「それは具体的にどのようなことでしょうか」
「……あ?」
旦那様となったジェラルド・ノエル・ドリューウェット様は低いお声をさらに低くさせて眉をひそめます。でもこれはもしかして私の死活問題になるのではないかと予想されるので、確認はしておきたいのです。
「……ごはんは欲しいです」
「は?」
「ごはんだめですか!?」
なんてこと!ほんとうに死活問題です!
「君は何を言ってるんだ。衣食住で不自由させるつもりはない」
「ごはんはくださる」
「当たり前だ」
「ありがとうございます!」
つい両の拳を握りしめてしまいました。アビゲイルはやりましたよ。もう厨房にこそこそ忍んでいかなくてもいいのです。生家であるロングハースト伯爵家の料理人は見ないふりをしてくれていましたが、やっぱり隠れながら食べるのは落ち着かないものでした。
義母と義姉はこう生かさず殺さずの見極めがとてもシビアだったのです。人間二日食べなくても死にはしないとあの方たちはどこで学んだのでしょうか。
しかしもうそんな生活とはさよならです。きっとおなかいっぱいとまではいかなくても、おなかが空きすぎて吐き気がするようなことはなくなるはず。
そうと決まれば旦那様の気が変わらないように妻として励まねばいけません。私はすっと背筋を伸ばして、旦那様の目を真っすぐに見つめました。あ、青い瞳はゆらゆら濃淡を変えるのですね。これはなかなかに魔力量の多い証です。
「私は何をしたらよいでしょう?」
「何をとはなんだ」
「初夜で妻は旦那様に全てお任せするのだと学びましたが、あまり旦那様のお手を煩わせるのもあれかと思いまして……あら」
「待て待て待て脱がんでいい」
薄い生地の寝衣の襟元にあるリボンを解くと、はらりと前身ごろが全開になりました。お世話してくれたメイドさんたちは手早く着付けてくださったので気づきませんでしたが、随分と脱ぎ着しやすいものだったようです。
旦那様は、ぎょっとした顔をして先ほどソファにかけていたガウンをかぶせてくださいました。
「――聞いていなかったのか。愛さないと言っただろう」
「え、それ関係あったのですか」
「っ……聞きしに勝るだな」
眉間の皺をますます深くさせて、旦那様は部屋を出ていかれてしまいました。
……私、ここで眠っていいということでしょうか。
◆◆◆
旦那様はドリューウェット侯爵家の次男で、軍にお勤めだそうです。温かいふかふかのお布団はとても気持ちがよくて、熟睡してしまった私が目覚めた時にはもうお仕事に出られてしまっていました。お見送りとか本当はするべきだったのではないかと思います。起きた時にお部屋にいらした侍女長のお顔が、びきってなってましたから。……もしやこのお部屋で眠ってはいけなかったのでは?とも思いましたが、いらないことを言って万が一煽ることになるのもおそらくよろしくないので黙ってることにします。
だってこんな温かい心地でしかも清潔なベッドですもの。できればまたここで眠りたい。
「……奥様、お口に合いませんか」
旦那様は侯爵家の次男ですけれども、軍の功績で子爵位も賜ってるそうです。ノエル子爵です。確か何年か前の紛争だか戦争だかで手柄をたてたとか。なので、このお屋敷は旦那様のもので、そうなると私は女主人であり奥様ということになるのです。まあ、そんなことはいいのです。私はじっと朝食のお皿を見つめました。
ふわふわとろとろのオムレツには何か入ってました。チーズと何かです。おそらく野菜を刻んだもの。
くるんと丸まったつやつやのパンは、表面がぱりっと温かくて中がやっぱりしっとりふわふわでした。
ソーセージは弾けた皮から脂がしみていて、齧るとじゅわっと肉汁が!
スープだって金色の透明でなんともいえない色んな味がしました。
きらきらとした果物は色とりどりで義母が気に入っていた宝石の類より輝いて見えます。これはまだ食べてないですが。
まだ食べたい。果物も食べてみたい。でも入らない。もうお腹が苦しいのです。目移りしてどれも一口ずつ食べてしまいましたけど、もうそれでお腹いっぱいになってしまったのです。食べたいのに。
「とっても美味しいです。……これ、残ったのはお昼に食べます」
侍女長がまたびきってなりました。わかってるんです。お残しは使用人に下げ渡されるから無駄にはならないのです。でもそういう話ではありません。私だってまだ食べたい。不本意なのです。この小さい胃が!小さい胃が!情けない!
「――お口にあったのならようございました。昼食は新たにおつくり「え!?」」
かぶせてしまった声に、侍女長は一、二度ぱちぱちと目を瞬かせました。お昼に新たに?お昼もちゃんと食べられる!?それって本当にお腹すく暇なんてないってことじゃないです?そうですよね?
「なんてこと……お昼にもあったかくて美味しいごはん……奥様ってすごい……」
「……」
侍女長がなんといいますかとても何か言いたげだけど言うのもはばかられるみたいな顔をされていますが、この方はごはんをくれる優しい人だと思います。
私がアビゲイル・ロングハーストとして生まれる前、いわゆる前世で魔王というモノだったときにごはんをくれた人間はやっぱり私に優しかったのですから。