第50話 ジメっ図書
戸を開けて室内を見渡すと、閲覧テーブルが海に佇む孤島のように二台ずつ一塊で置かれ、椅子に関してはまるで奥への侵入を拒んだ意志が働いてるみたいに乱雑に通せんぼしている。唯一、本棚だけが四列規則正しく配置されているのを視野に入れると、窓側のちっこい本棚の中から何か蠢くのに気付く。
孤児院の何処へ行っても薄暗く、恐らく生物であろう謎の物体も上手く判別できない、が、それは突然俺の視界から消えて、目の前で空気抵抗をシカトしたバネみたく押っ立つ。
「わぁっ!?やられる!未確認生命体にタマ取られちまう!」
「だぁーーれが未確認生命体ですって!この女神も嫉妬するシェープを見ても同じセリフが言えるのかしら!っ」
羽織っていた黒い布切れを丸めて脇に抱え込むとその喋りだした生物の全貌が露になった。
それは活火山のド真ん中で咲き誇る薔薇とヒドく類似していて、この施設にいることの場違い感が半端ではない。
「また視姦しにノコノコやってきたのねー?このヘンタイっ!チビちんっ!エロ&スケンベっ!」
「スケンベとは何ぞ?」
彼女は目尻を吊り上げて頼りない手つきで見えない壁を作って警戒する。めっちゃ嫌われてね?この体の主人が一体どんな失態を犯したと言うんだ、一度問い詰めたいところだ。
「なあ、ホントにコイツが俺と親しいヤツなのか?会って早々熱烈な歓迎を受けてるんだが…」
「自業っじ、とくだっ……は、は…」
はは…じゃないよ、何だその呆れた愛想笑いは、さっきワープポイントで話した時にそんな表情しなかっただろ?
やはり主人は過去に重罪を犯してしまっているらしい、この少女が別世界の麗亡なら約束通り早く現世に戻してくれ、少しだけど会話は出来たんだから条件を満たしているはず。
あっちに呼び戻すにしても時間がかかるのだろうか、ひとまず場を繋ぐ程度にお喋りしとこう。
「あ、あのさ、おまえ、此処にいて不自由してないか?辺りはカビで汚えし」
「自覚してるなら部屋から出てってよ」
「俺ってカビと同価値の扱いなのっ?!っっ」
「何言ってるの?カビに『様』付けしなきゃだめでしょ」
「それ以下じゃねえかっ!!っ?っっ」
ちきしょう、なんで俺がココまで言われなくちゃいけねえんだ、事の真相を明らかにしなければ仲良くなれない。
そのためにはまず距離を縮めないとな、さてどうしたものか………!
おいおい、うっかりし過ぎだぜ、初対面の者同士が行う当たり前の作法をまだ孤児院に着いてから一度も実践していない。今こそクラスメイトの女子達を惹き込んだ華麗なテクニックを披露する時じゃないか!
「やあ、麗しいお姫様、君の色白な素肌は白銀の世界を連想させる程に煌びやかだ。もっと近くで見せ─」
「私、適度な湿度と温度と栄養源を与えてあげられないから近づいてもがっかりするよ」
んんっ!?
「ゲホ、ゲホンっ!俺の名前は──」
あ、しまった!この主人の名前がわからない、、、あ、そうだ!そういえば今俺はボケてる設定になってるんだった!テキトーに外人っぽい名前でもつければ……
「イノセカ=ヴィンバディと言うんだ、よろしくね!俺ばっかりじゃなくて君のことも知りたいな!」
「最近のカビは凄いわよね、人語を話せるんですもの、ご褒美にこのモコモコで美味しそうな埃をあげ──」
「お願いだから人として接してくれっ!!っ!」
クソ、そこまでなのか…コイツの犯した過ちはそこまで根に持たれるくらいに大罪だったのか?
か弱い手のバリケードを崩さずに依然として警戒を宿した目つきで立ち尽くす少女。
「そ、れくらっ、い、にっしとけ、、アスっキキュっートォっ……おま、もっじこしょーっ、、かい、しとぉけ」
「何で改まって自己紹介なんてしなくちゃいけないのよ、此処へきて間もない頃に孤児院のみんなで済ましたでしょ」
「コイ、ツはっ、、、頭、がっ、ボケ、っるか、、らぁ、ひつよっっなんだ」
「ハァー、仕方ないわね、えっと…カビセカさんだったかしら?もう二度と口にしないからありがたく聴き惚れなさい、私の美声による自己紹介を」
良くも悪くも、いや、悪意100%で距離を縮めてきた少女の風姿は明らかに天敵を相手取るものではなくなり、勝ち気な眼で余裕を覗かせていた。
つまりどちゃくそナメられてる、よし決めた!後で絶対泣かすっ!異論は認めないっっ!元はと言えばこの体の主の責任だ。因果に基づいて受けるべき報いがやってくるだけのこと、その間に俺は現世にトンズラしてるはずだ。
「えーと…イノセカなんですが……」
「イノセカ、、、、、カービィさんね!」
「そんな吸引力のありそうな名前では断じてない」
「いちいち細かいわね、まあいいわ、私はアスキュート=ダイビュ、趣味はオカルトで主に人の実話怪談聴くのが好きね。だからそういうのに打って付けなロケーションを求めて遥々この施設に足を運んだの、来訪してから千年に一度の天使降臨にみんな感極まっているわ…」
一見自分語りに花を咲かせる少女の口元は終始ニヤけているように見えたが時折引きつらせるようにも見えた。
冷静に考えればわかるだろう。子供想いなマザー、温もりのある施設内、活気のある子供達、それらの条件が揃っているなら来たくなる気持ちもまだ理解できる。
でも、この孤児院にはその要素がどれも微塵も当てはまらない、オカルト好きだからと言って劣悪環境に長居しようとするのも理由としては無理があるように思える。
さっきの仕返しをするわけじゃないが、デリカシー皆無と罵られるの覚悟で聞きたいことができた。
「そのーーーなんだ……別に野次馬根性を発揮するつもりはないんだけどさ………」
「何よ歯切れ悪いわね、言いたいことがあるなら言いなさい」
「嘘……だよな?…ここへ来た本当の理由を教えてく──」
張り詰めた心臓の揺らめきを気遣ってか、それとも単なるお邪魔虫なのかははっきりしないが質問の途中、突然俺の身体中から眩い光が溢れ出して意識がプツリと切れた。




