第45話 へーきなのに…
完全に考えが甘かった、先頭までの距離は指先で摘めるくらい小さい。そんな長蛇の列に並び、ギラつく太陽に晒され続けるのは体力、精神共にタフネスさが要求される。
個人的に暑さを分けるとニ種類あって、まずひとつは運動時に体温が上昇してくるヤツ。ヒートアップすれば熱を下げるために汗が吹き出して、適度な温度調整を保ってくれる。汗腺から熱が逃げていくあの感覚は好きだ、特に風を切って走る時はひんやりして気持ちいい。止まると一気に肌寒くなるけど。ふたつ目は現在、挑戦しかけてる静止による体温上昇、今日みたいな真夏日にはこれが一番堪える。動かない分汗は穏やかに発散されて熱がこもりやすいし、そのせいで思考もトぶ。もう暦は九月間際だというのに、夏のアグレッシブさはこの期に及んで留まることを知らない。
あぁ、帰って乙ゲーやりてー、こうしてる間にもクラスの奴らは着々と男気を磨いてるはずだ。別に疚しい気持ちでプレイしてるわけじゃない、これはいつ誰と恋に発展してもいいように、女の子との様々なシチュを想定した訓練なのだから。てか今思えば日本一の願いも叶えたばっかだし律儀に遊びに行く必要もなかったよな?まあ、とりあえずクレープは諦めてそこら辺のバーガー専門店で我慢してもらうか。
「あのさ、せっかく早く来たけどこの行列に並んであと二時間近く待つのはしんどいだろ?クレープ店の向かいに二十四時間営業のバーガー店があるからそっちにいかね?今なら空いてるみたいだし」
機嫌を損ねないように低姿勢でプラン変更を告げると、前を向いたままの麗亡からるんるんとした抑揚で返答がくる。
「私はへーきだよ、鬼ソフトミルクティーが食べられるなら何時間でも待つよ」
「つってもこんなに日差しが強いと熱中症にならないか?いくら水分補給しても限界はあるし、せっかくの休日に体調崩して時間無駄にしたら勿体ないじゃん?」
「………んだ…」
すると明るかった声は急に低くなり、何か言葉を発したが大衆の喧騒に掻き消されてしまう。
「え?ごめん、聞き取れなかった」
「だからぁ!行きたくないんでしょっ!」
突然声を荒げる少女に列を形成していた数十名が呆然とした面持ちで後ろを振り返り、その他の人達も入店しようと伸ばした足を思わず止める。
「行きたくないわけじゃない、ただ流石に俺達の番が回ってくるまで待ち続けるのは無謀というか、あくまでも先頭近くで並んで買うこと前提で来てるんだしさ」
「どんなに行列が長くてもはじめから待つつもりだったよ、日本一のランナーになったのにモアイは情けないね」
「インターハイの話は今関係ないだろ、いくら一流の選手でも猛暑をずっと体感してれば体調を崩すんだ。とにかく並ぶのは却下だ」
「へーきだって言ってるのに。誘った時も家に籠もりたいってシブってたよね、どうせ麗亡とだってイヤイヤ遊びに来たんでしょ?ごめんね無理させちゃって」
拗ね気味で謝られた瞬間、ワイヤー並の硬度を誇る(自称)俺の堪忍袋の緒が切れた。
「……いい加減にしろよっ!俺はお前の体を心配して言ってるんだ、熱中症になったら最悪命を落とすことだってある。誰にでも起こりうることで例外はないんだ」
「だって…暑いの慣れてるもん……そんなに嫌ならひとりでバーガー店にいけばいい、モアイの大嘘つきっ!」
「れいなぁっ!!」
前を見据えたままこちらを向こうとしない麗亡の肩を思いっきり掴んで顔を覗き込んだ。するとそこには寂しさを閉じ込めるようにぎゅっと眉を歪ませて、潤んだ目を落とした切なげな表情があった。そんな様子を目の当たりにして動揺するとなんと声をかけたらいいかわからなくなる。
「そ、その…」
「っ!…………」
心情を悟られないためか顔をプイッと背けると肩に置かれた手を勢いよく振り払い、行列の真横を霞めて一直線に走り去っていった。
「れいなっ!どこ行くんだっ!?」
意外な脚力の強さであっという間に離れていくのを慌てて追跡し始める。
やっちまった…いくら我儘を言われたからってさっきのはやっぱ言い過ぎたな……年上の俺が受け止めてやれないでどうする…………いや、今は反省してる場合じゃない!早く連れ戻さないと。
真夏の陽気に負けず商店街が賑わう最中、二人の追いかけっこが勃発。その活発的な光景を微笑ましく見つめるひとりの人物がいた。頭と鼻にベール、光沢のあるベロアマントを羽織り、全身ダークグレーの妖しい雰囲気を纏っている。
「今度のホラーシリーズは彼らを題材にしようかしら……クフフっ…………はぁ〜あっつ…脱ぎてー」
マントに隠された両手で真ん丸の物体を抱えながらひっそりと企んで眉間に深くシワを寄せる。
彼女の後ろにはアンティークな見栄えが特徴の店舗が建っていて、入口前にはまるで入るのを拒むかのように二体の神々しい石像が飾られている。
「来るのが女ばっかりだからたまには男にも来てほしいよ、そしたら君の友達との橋渡しもしてあげられる、だからおいで」
大理石の看板には【黒泉の館】と刻まれていた。




