第43話 想いが届くように
──インターハイ最終日、午後十八時頃、残すトラック競技は一種目のみ。空を見上げると淡い夕焼けが夜に向かって加速しているのを実感する。
予選は余力を残しながらも三着でゴールできた。無事に決勝進出したのは素直に嬉しいがこのまま何事もなく終わるとは到底思えない。昨年も一昨年もこの夢舞台で散々な目に合わされたのだから。
「今年も君はトップにはなれない、僕の下僕によってね」
ゴール地点まで200mあるバックストレートの左側にイベントテントを構え、レース前に軽いダッシュを入れたりと体を解す選手達。
そんな中、何もかも自分の思い通りと言わんばかりに自信たっぷりな顔で宣戦布告してきた。
「言ってろばーか」
まともに取り合わずに右から左へ受け流す。
間もなくして最終コールで名前を呼ばれた順にスタートの前の位置つく。アナウンスが流れるとそれぞれの代表校の選手名が呼ばれ、選手達は自分の学校先にお辞儀をする。紹介が一通り終わりガヤガヤしていた観客席が一斉に静まりかえるといよいよだ。
『On your marks…』
「「 お願いしまーすっ!」」
気合を鼓舞する発声が綺麗に揃い、スタートラインに足を一歩近づける。どんなに実力をつけても「よーい」までの間隔を長く感じてしまうのはしょうがないのかもしれない。
『Set…』
"パンッ"
静寂な競技場に号砲が鳴り響くと、それを皮切りに観客席から爆発的な応援の嵐が巻き起こる。
「モアイーっ!頑張れーっっ!!優勝したら──」
ん?何だって?今、俺のこと呼んだよな!?外部の情報が多いから断定はできないがたぶんあの声色は麗亡だ。しっかり最後まで聞き取れなくてけっこう気になる。いや、それはてっぺん取っちまえばわかることだし今はレースに集中しよう。
レースの位置取りは毎度同じでインコースに入らないようにしてる。なぜなら距離は短縮できても前後左右によるポケットを恐れているからだ。ポケットとは主に中長距離で使われる陸上競技用語で、自分の身の回りの走者に囲まれることによって思ったレースができないという意味だ。ペース制限はストレス半端ないだろな。だからこそ多少距離は増えてもいいから外側を走るようにしている、集団がある程度バラけるまではね。
だがやはりさっきも言った通り、そう簡単には終わらせてもらえないらしい。外側で走る俺よりもさらに外側へ走者が集まってくる。前後も同様に。これで完全にポケットされてしまったわけだが彼らの目的はそこでは終わらない。
「くっ………くそったれ…」
いきなり隣の走者が肘打ちを食らわしてきた。とうとう始まった、アイツの妨害作戦が。普通こんなをことしたらタダでは済まないはずだが、俺に目をつけた相手は想像以上にやっかいな高校生だった。
赤雨堀薪有、現在高校三年生、成績は普通で陸上競技ではトップクラスの実力を持つ。それだけなら問題ないが、なんと裁判官の父を持っている。そのため様々なコネを使って事実をいくらでも捏造できてしまう。神聖な職業を冒涜しやがって、他の裁判官もいい迷惑だろうに。
「俺は屈しない、お前らがどんなにグルで潰しにかかってきても残り1000mまで耐えてやる」
それから集中的に浴びせられる暴力を乗り切るために頭の中でひたすらしりとりをすることに決めた。名付けて『マヌケしりとり』、ルールはシンプルでとにかくアホみたいな言葉を繋げていけばいい。さあ、はじめようじゃないか。
「ボク、成人したけどママとお風呂入りたいの〜」
「の」か、う〜ん。
「ノロノロおじいちゃんおくちくひゃい」
「い」ね、そーだな〜
「幾らかいくらを頂いてクラっときたー」
「た」ぁーーーあっかなー?あっ!
「タカラクジ?そんなめでたい九時代があるんだべか?」
──レース開始から大体十三分経過……やべ!あと一周じゃん!ホームストレートのゴールラインに差し掛かると最後の鐘がけたたましく鳴らされた。
ここに至るまで全然痛みを感じなかった事実に驚きつつも、ギアを一段階上げる。妨害を仕掛けてきた選手達は200m後方に集団で走っている。残るは俺と薪有の二人だけだ。
「あの役立たず共がぁっ!お前は一位になるべきじゃない!去れ!されぇーーーっ!」
「べきとかべきじゃないとかさ、他人の努力を踏みにじる奴に言われたかないわ」
茹でダコのように顔全体を真っ赤にして語気を強め吐き散らしてくるが、そんなのどこ吹く風。
爽やかな汗を散らしながら、残り数百メートルでやっとタータンから受ける恩恵を噛みしめた。これで高校の夢舞台は見納め、いつしかトラウマ対象でしかなかったこの場所でトップを掴み取れたことは一生の思い出になるだろう。
脚のリズムに畳み掛けるように客席からのエールが熱を帯びていく。盛大に祝福される中、まだ誰も踏んでいない横白線を踏みしめた。
「ナベチ、ついにやったぜ、そっちまで届いたかわかんないけどお前の分まで走ったかんな!」
色濃く青みがかった空へ力強く拳を突き上げた。
──インタビューを終え、ジャージに着替えて競技場の外へ出ると、麗亡がおどおどしながら待っていた。俺の姿を見つけると一目散に駆け寄り、お祝いムードで迎えてくれる。
「モアイやったねっ!おめでとうっ!」
「おう、ありがとな」
「最後の最後で夢叶えられてホントによかったよっ!」
「そうだな、ただ兄ちゃんにも取ったところ見せてあげたかったな」
「お兄ちゃんなら大丈夫だよ、きっと見てくれてるよ」
優しい眼差しで頭上に広がる暗がりを見つめ始める麗亡。そこには無数の星々が活き活きと輝きを放っている。
あれ……なんか忘れてるような…………っ!
「そういえば、レース開始直後になんか言ってたよな?」
「う、うん………モアイ、ちょっとしゃがんでくれる?」
「っと、これでいいか?」
「うん…じゃあいいって言うまで目を瞑ってて…」
瞼を閉じて数秒後、柔らかな感触が口に当たりすぐさま離れていく。なんとなくシチュ的に予感はしてたけどまさかの唇?ほっぺじゃなくて!?
「えっと……これはどういう…?」
このキスの意味を問うと、俯いてしばしの沈黙が訪れる。やがて気まずい空気感に耐えきれず口を開いた。
「私が彼女第一号だからねっ!」
麗亡は恥ずかしさを誤魔化すように駐車場へ走っていった。
「成人して気が変わらなかったらまた言いにおいで」
小さくなっていく後ろ姿を見送りながら口角を緩ませた。まだ生まれてこの方、恋愛経験ゼロだからその時はお手柔らかに頼むな。




