第42話 いざって時
小学生時代、クラスのヤツらは口を揃えてこう言うんだ、『なんであんな並スペックを尊敬するの?』と。それを聞いた俺はムキになっていつものワンパターンで切り返す。『尋奈辺くんはスロースターターなの!バカにすんな!こいつはとんでもない才能を秘めたスゴい奴なんだよ!』って飽きもせず毎日言いふらしてた。
はじめはそれでみんな納得してたけど、いくら日数が経っても一度もそれらしい成果を上げられなかったことから、徐々に庇っているという認識が伝播していく。
ある日、本来の力を発揮できてない様子から我慢ならず本人に問い詰めた。
「どうしてあの時の速さで走ってくれないの?」
「いや、全力なんだけど……一応」
「嘘つくなよ!前はこんなにトロトロしてなかったじゃないか!本気だせよ!」
力があるのに手を抜いている事実にイラついて目をギラギラと煮え滾らせるが、それとは対照的に飄々と持論を語りだした。
「人にいいように見られることがそんなに大事か?確かに持て囃されるのは気持ちがいいだろうな。でもさ、そういうのはいざって時に発揮できてナンボじゃん」
「いざっていつだよ」
「誰かが困ってる時とか」
「結局、全力出すのが面倒いから屁理屈つけて楽しようとしてるだけでしょ」
「俺の場合は緊急事態にしか真価を発揮できないって感じかな」
「わかった、もういいや」
コイツには全力で走る気がまるでないと諦めた。俺はあの時の速さのおかげで救われて、感謝感激しもっと近くで彼の一挙手一投足を見たくなったんだ。あと数秒遅れていれば掴まりどころに乏しい岩場に引っ掛けた指は離れて、奈落の底へ真っ逆さまだったのだから。なのに期待はずれもいいとこだ。
──それから時は過ぎ卒業式の前日、紅白幕に囲まれた在校生、卒業生が合唱練習をしているとシャトルドアが力強く開かれ、その衝撃音が体育館中に響き渡る。そこには白髪で小柄な教員の首元に腕を回し、反対の手で真横からナイフを突きつけるニット帽にマスクの黒ダウン男が佇んでいた。生徒達の注目を浴びると同時に男は警戒心を宿して怒号を上げた。
「おっおい!てめぇらっ!がきんちょなんだから親から猫可愛がりされてお小遣いたんまり貰ってるよな?このジジイの命が惜しければ今すぐこの貯金箱にありったけ入れろっ!」
突然の緊迫した状況に石像のように硬直してしまう生徒とその他教員達、誰も彼も進んで行動しようとする奴は現れない。けどこの俺は違う、いつだって最大限の実力で危機を乗り越えられる、今回もそのうちの一つに過ぎない。
自分のパイプ椅子から男の方へ歩みを進めて、規則正しく並ぶ生徒達の間を横向きで潜っていく。
「なんだ小僧?もうお金持ってきたのか?テキパキ動ける奴はいいね」
「ぷっ、アンタさぁ、こんなド派手に登場しておいてこのちゃちな貯金箱で金集めようと企んでんの?しかも百均の三万円専用貯金箱って、目標額少な過ぎでしょ、もしかしてギャップとか狙ってる?」
「なんだとこのクソガキ…」
挑発してみれば呆気なく頭に血が上る、駆け引きもクソもない。古典的だけどあの子供騙しで十分押し切れる、ちゃちな貯金箱にはちゃちな作戦で。
相手を侮り、これから実行する作戦のために静かに腹に空気を溜め込んでいく。
「あーっ!あっちに警察がキターーーっ!!」
「なにっ!?」
ステージと真逆の方に指を指すと男も釣られて目線を向ける。その一瞬を逃さなかった。間合いを詰めてナイフを持つ腕に渾身の一発をお見舞いし、武器を取り上げる。
そうするはずだった、でも実際はその場から一歩も動けなかった。鋭利な刃先が俺に躊躇いを生んだ。
「ちっ、なんだよ誰もいねぇじゃねえか、騙したなこのガキ…」
「く、くそっ、何で動かねえんだ…」
刃物に物怖じしている自分に激しく憤りを感じて唇をキュッと結ぶ。男は逆上し、自暴自棄になったように残酷な選択を迫る。
「あーもう、いーや、やる気失せたしムカつくし人質関係なく殺すわ」
「ま、待ってくれ!」
人質にされた教員は懇願するように目を閉じて瞼をひくつかせる。怯える姿を見て、より事態を悪化させてしまったことを深く悔いた。
俺は馬鹿だ、自分なら何でも乗り越えられる気になってた。周りよりも多少うまくやれるからって本番で力を発揮できなきゃ意味がない。
ここから一体どうすれば……
「必殺っ!はがねのしゅとぉっー!!」
取って付けたような技名を叫ぶ声が想定外の場所から聞こえ、それと同時に男の握っていたナイフが床に落とされた。今度こそ隙を逃さずに凶器を回収する。
だが、まだ諦めていないのか近くまで拾いにきた俺を捕まえようと男が両腕を広げてくる。
「あ、必殺っ!お尻ドリルぅーー!!!」
「はがっあっ?!」
背後の生徒に急所を貫かれた男は声にならない声を漏らし、地べたに転がり悶まくる。すかさずまた誰かに危害を加えないよう上から覆いかぶさり、身動きを取れなくした。
「オレじゃあこの人を押さえられません、誰か暴れられないように手を貸してください!」
周囲に助けを求めると驚きの連鎖により麻痺していた数名の教員が、数秒遅れて男を取り押さえにきた。
俺が男と絡んでいる間に教員の誰かが警察に連絡したため到着までもうすぐだそうだ。
「大丈夫?ケガはないか?」
「ああ、問題ないよ………助けてくれてありがと、俺にはなんにもできなかった」
そう言うと彼は腑に落ちない感じで瞳をまんまるくして首を傾げる。
「君が注意を引きつけてくれたおかげで不意打ちできたんだ、感謝ならこちらこそだ」
忌憚なく向けられたその笑顔は何故か心に温かみを持たせる。
そんな穏やかさに感化されたのか、ちょっと前まで人と比べて優越感に浸っていた自分の小ささが途端にアホらしくなり、微笑を浮かべた。
「いざって時に本領発揮できるのなんか奥の手っぽくてカッコいいね!」
「だろっ!」
二人の少年はその日を境に互いの家に遊びにいく仲となった。




