第40話 刃良高校
全国の代表選手が集うこの大会は、言うまでもなく前もって開催地近くの宿泊施設に移動しなくてはならない。いつから宿泊するかは距離や都合によって異なるだろうが、流石にその前日ならどこの学校も揃う。だからこそ競技場の混み具合はいつもの比ではなく、見慣れない顔とジャージで溢れかえっている。
ついさっき麗亡に話しかけられたが、明日の応援参加の旨を伝えるとあっさり帰っていった。その日は着衣水泳大会の翌日らしく休みなんだとか。はじめて聞いたぞ、そんな過酷そうな行事。
ウォームアップで体の調子を確認しながら、走るシチュを脳内でイメージしていると背後で弾けるような音が聞こえた。
振り向くと坊主に黄色の鉢巻をしたユニホーム姿の青年が立っている。
普段見ない顔だがこの男を俺はよく知っている、それはもう片時も忘れられないくらいに。
「よう、久しぶりだなドエロピエロ、下卑た面下げて何しにきやがった?」
「おいおい、まだその身も蓋もないあだ名で呼ぶの?確かに僕は人よりも多少大人びた道化かもしれないけれど、その言い方は傷つくな」
「性欲モンスターがまともぶるな、SNSで見たぞ、どうせまた部員とやりたい放題なんだろ、近寄るな、どっかいけ」
「冷たいな、やっと一年ぶりくらいに再会できたのに。そんなに塩対応ばっかりしてると君と仲よさげなあの女の子襲っちゃうぞ?」
そう言って片手の人差し指で下目瞼をめくりベロを出す。不健全な言動とおどけっぷりに心の奥底に溜め込んでいた感情が飛び出そうになる。
「は?何それ冗談?例え冗談だったとしてもニ年間飼い殺しにしてきた憤りで盛大に応えてあげてもいいけど」
「ムキになるなって、こわいのは最初だけだからさ、あとは僕が気持ちよくなれるようにリードしてあげるから」
「きっしょ、もう一言も喋んな耳が腐る。もし一歩でもあの子に近づいたら骨折させてでも棄権させる」
「何マジになってるの?必死すぎでしょ、心配しなくても年下に興味はないよ」
坊主は爽やかに口角を上げて、穏やかな口調で話してはいるが、その抑揚にはどこか得体の知れない不純さが込められている。二度にわたってレースの走行妨害をしたコイツに純粋さも誠実さも一ミリだってあるわけないが。
今年こそはあんなちんけな罠に引っかかってはやらない。ただ、真っすぐに。ひたすらホームストレートの横白線を見据えていればそれでいい。
「まきあ!やっと見つけた、部長がキレてるから早くこい、ホテルに戻るぞ!みんな待ってる」
「あ、いっけない、すっかり忘れてたよ」
声をかけてきたのはダル絡みしてくるこのハゲと同じ高校の生徒。薔薇色を基調とし、所々にライトグリーンのラインが入ったジャージを着用し、右胸には『刃良』のロゴが派手に施されている。そう、去年までに連続十度目の総合優勝を果たした長崎の強豪校刃良高校だ。
その成績は毎度凄まじく、どの競技にも最低三着以上に入賞してくる。中でも中長距離種目は別格で、トップになるのはもちろん、ホントに同じ高校生かと疑いたくなるような大差をつけた記録も残されている。
そんな華々しい歴史を紡いできたからこそ、死守しなければならないプレッシャーは半端じゃない。
「──ってなわけでライバル同士楽しいお喋りはまた明日だね」
「話すことは何もない、明日までとは言わずお前が寿命を全うするまでに延長してもらえたらそれ以上の願いはないよ」
「くく、そーかいそーかい、ま、今年も勝つのは僕さ」
おどけた態度に水を差すように毒づいたが、まったく意に介さずに手を振りながら柵の向こう側の階段へ消えていった。
遅れた罰としてその伸びに伸びた天狗の鼻っ柱、部長に折ってもらえ。あと棄権しちまえばーか。
体を解してから少々時間が経ったので再度準備体操をしてから、レース用スパイクに履き替え、メイン刺激の1000mを一本気持ちよく走りきった。足に重さはなく、うまく調整できたようでひとまず安心する。
──中長距離顧問の加熊先生に集合をかけられると、大会の注意事項や激励をもらって解散した。
帰宅後、晩飯とお風呂済ませ、自室のベッドの枕に顔を埋めて考え込む。
「妹にカッコつけてここまできたけど、俺、やれるよな?ナベチ……もし見てるなら力を貸してくれ」
少し不安を吐露しながら、唇脚類がトレードマークのお守りを見上げて握りしめた。




