第38話 ナベチのお守り
──最後のおかずを平らげるまで懐鬼の部活勧誘はしつこかった。止まない雨も相まって行く気は失せる。だが、大舞台でのトップ宣言をナベチの妹にしてしまった以上、蔑ろにできるはずもない。物憂げな態度に鞭を打って己を奮い立たせる。
「お前が来てくれないと部の士気も下がるし先生は不機嫌なまんまなんだよ、頼むから顔出してくれよ」
「だ・か・ら、今日から行くってさっきから何度も言ってるだろ。どうしたら信じてくれるんだよ」
すると制服の胸ポケットの中をおもむろにまさぐって、お守りを手に取る。全体のえんじ色をバックに二重叶結び、掛け紐は金色で目立つ。神紋にはあの悍ましい唇脚類の昆虫がリング状に丸まったデザイン。願意には【百足爆速】と記されている。
「そのお守りは?」
「足が速くなるように願掛けされたお守り、ナベチから貰った」
「そんな陸上選手のための神社があるのか!?」
「教えてもらわなきゃわからない場所にあるけどな、行くのもちょっと苦労するし」
「へー、てか懐鬼さんよ、なんでそんな大事なモン貰ってるんだよ」
「インターハイ予選突破できるようにって、あと部員のみんなを支えてくれとも頼まれたかな」
「いやいや、フツーお前じゃなくて親友の俺にこそくれるはずだろ?」
「サボり癖がある人には任せられないのかもね」
痛い所を突かれると反論できなかった。だが、本来煽りに聞こえる言葉もコイツが言うと毒気も何もなくなるから不思議だ。きっと普段から人と真摯に向き合ってきた賜物だろう。
さらにお守りの紐を解いて、中身から一枚の紙きれを出す。それを自分の顔と同じ高さの位置で見せつけてきた。何か文字が書かれている。
「『今年こそはアイツらと夢の舞台へ立つ』か、やっぱ上目指してんじゃん」
「だね、口ではネガティブなことばっか言ってたけどね、地区予選で入賞できればいいとか」
「んでさ、結局どうすりゃ俺が部活に行くのを信じてもらえるわけ?逃げないようにお前をおんぶすればいいの?は〜いショウちゃま〜おそとにいきまちゅよ〜!」
「この紙に誓いの言葉を書いてくれ」
俺の赤ちゃん言葉を自然にスルーして話を進めてくる。なんとノリの悪いヤツだ、ナベチ妹ならノリノリで最後まで付き合ってくれるというのに。そういうひょうきんさが足りんぞ。
「これ大事なモンだろ、いいのかよ書き加えたりして」
「だからこそ鉄の掟になるんだ、神聖な物に書くから重みが増す、既に了承済みだから安心してくれ」
「なるほどな、こりゃ後に引けなくなるな」
目標の書かれた右横の余白に今年の目標を躊躇いなく書き込んでいく。内容はシンプルだ。
記入後紙切れを手渡すと懐鬼も同じように左端に何かを書き、再び元の布袋にしまった。
「これで納得したのか?」
「ああ、これでもう逃げられないからね、俺も含めて」
「追い込みますなー」
「泣いても笑っても今年が最後だからね、お前もアイツに負けっぱなしは嫌だろ?」
「まーね」
幾多のレースで一位を独占してきた俺だったが、唯一の景色から引きずり下ろされたことが二度ある。どちらもインターハイ決勝での接戦だった。負かされても全力を出し切ったレースなら気持ちのいいものだが、いずれも不完全燃焼だ。その日を思い出すたびに心の奥底はひりつく。
──終礼を済まし重い足取りで部室へ向かった。ドアを開けると、既に数人スポーツウェアに着替える生徒達がいた。




