第32話 忘れるべき
洞窟内が再び光に包まれると、しがみついた感触から縮んでいるのを感じる。
視界に薄暗さが戻ると目の前に170cmくらいで華奢な青年が目を瞑ったまま立ち尽くしていた。
その寝顔は穏やかで思わず見惚れてしまう。さっきの野獣っぷりは微塵もない。
「おかえり………ズルイな、この顔…」
人差し指でほっぺを突いてみたり…
起きない。
昨日、魔王城の寝室で無防備な格好で添い寝、、じゃなかった、一緒のベッドで寝てたのを思い出す。
あんな艶姿でいたのは何かしらしてくれるかと期待したから。
それで1人の女として意識してもらえたら…
その後、特に熱い急転も無く起きちゃったけど。
だからこそ今はチャンス!
身長差が20cmあって普段なら顔には届かないけど今は違う。
猫背のままフリーズしてる。
ちょっと背伸びしたら額同士をくっつけて体温も感じられたり。
けど目的は額より下…
心音がうるさく積極さを煽り始める。
「今しかない、よね……………………えいっ…」
しっとりとした唇に乾いた弾力が伝わってくる。
ついにしてしまった……
自宅でも学校でも触れ合う機会は何度もあったけどついに叶わなかった、恋人としての証。
少々、鉄くさいけど別に気にならない。
むしろ記念すべきこの瞬間をインパクトで焼き付けるという意味ではアリかも。
一度味わったらさらに求めたい。
やや火照った顔で吸い寄せられるがまま近付いていくと、ぱっちり開いた目がお出迎え。
「ん?…何してんの?…」
「え、えーーと、そのーこれはーっ」
「口の表面なんか湿ってるな……お前まさか…」
ヤバい、初めて奪ったのがバレちゃう。とりあえず誤魔化す方法を考えなきゃ!
怪訝な顔で覗き込まれるもぎこちない笑顔で間をもたそうとする。
その刹那、閃く。
「あ、あ〜そうそう、唇かっぴかぴだったから保湿クリーム塗ってあげたのよ!
ちゃんと普段からケアしとかないとだめだよ〜」
「!?」
流石に無理ゲーだよね、この無茶苦茶なこじつけは頂けないよね…
我に返り懺悔をしようとすると、唇に指を這わせてキラキラと目を輝かせ始めた。
「実は此処に入ってからずっと気になってたんだよ。なんかえらく乾燥してるなって。
そんで口周辺に力入れたり脱力したりしてたら、切れちゃって地味に痛かったんだよ。
助かったぜ!」
どうやらこの開けた広間に着くまでの道中、唇の状態を気にしていたらしい。
ギリギリセーフ、、、
でもなんだろ、少し寂しい気持ちも…
「そういえば口ん中がやけに鉄っぽいな、歯で切ったのか?
てか何時の間にこんな広い場所に出たんだ?
なんか忘れてるような…」
反射的に自問してから自答にいこうとするのを阻止しにかかる。
「そうそう!急に『眠いからちょっと休憩しよ』って言って、そのままずっと此処で休んでたのよ!
もうー早くお家の材料集めたいのに〜」
そう言いながらやや大袈裟に地団駄を踏んで見せる。
「そうだったっけ?わり、なんか待たせたみたいで」
少しバツが悪そうにしているのに対し、ううんと答えた。
忘れているならそれでいい。
嫌な記憶は思い出すべきじゃないし。
あの血生臭い実景をそっと胸の奥にしまい込んだ。




