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番と出会ったからって婚約破棄された人見知り女子ですけど、超エリートで美貌の彼から求婚されました。元婚約者から今さら勘違いだったと言われても非常に修羅場です!

作者: 藤谷 要

「婚約していたのにツガイが見つかったから別れてくれだなんて、ほんとひどいわね」

「可哀そうだけど、仕方がないわよね。羽翼種うよくしゅって、番と出会ったらそれ以外は受け付けないみたいだし」

「でも、ルシアンさんはベールを取ったらこんなに可愛いんだから、きっとこれからいい相手が見つかるわ。気にしないでね」

「そうそう、今度飲みに行きましょうよ!」


 私は同僚たちの慰めの言葉にただ頷いていた。

 気を抜いたら、泣き腫らした目から再び涙が出そうだったから。

 ちょうど職場での昼休み。小休憩ができるテーブルと椅子がいくつか設置されたリフレッシュルームでの出来事だった。


 私は二ヶ月後の自分の誕生日に婚約者と結婚式を挙げる予定だった。ところが、今からちょうど一週間前に彼は番と出会ってしまった。だから三日前、彼から婚約解消の申し出を受け、私はすみやかに受け入れた。


 羽翼種は、見かけは人間と変わりはないけど、番という独特の習性を持っている。男は同じ種族の一人に心惹かれ求婚するという。魂の伴侶とも言われるほど一人だけを生涯愛し続け、浮気もせずに添い遂げるので、まさに究極の純愛とも言われている。


 彼はその羽翼種の血を四分の一ひいていた。でも、彼は人間の血が濃くて魔力がほとんどなかった。彼も私を好きと言ってくれて、結婚にも前向きだったから、その習性はないと思っていた。


 結局、それは間違った認識だったと思い知らされたけど。


 私も羽翼種なので他の男から言い寄られないようにずっとベールをかぶっていたけど、婚約破棄してからは不要になった。

 私が素顔をさらしたのと、友人たちが同じ職場にいたので、噂があっという間に広まったらしい。だから本日、よく知らない同僚たちからもこうして慰めの言葉をかけられている。


 気持ちは嬉しいけど、初対面に近い人に何て返せばいいのか分からなかった。


「みなさん、お気遣いありがとうございます。申し訳ないけど、そろそろ時間だから、席に戻りますね」


 戸惑いながらも当たり障りのない挨拶をして、私は同僚たちと別れて自分の席に向かう。


 式場もキャンセルしないといけないわね。


 元婚約者のことを考えていたら、やっぱり涙腺が崩壊しそうになっている。洗面所に行って顔を整えたいと思い、通路を足早に歩いていたら、前方にいた男性に目が留まる。銀色の綺麗な長い髪を後ろで編んで一つに束ねていたけど、その黒い布製のリボンがちょうど解けて、音もなく床に落ちていく。


 落とし物に持ち主は気づかず、スタスタと歩き続けている。

 私自身とても急いでいたけど、見て見ぬふりも悪いので、リボンを拾おうとして一歩近づいたときだ。


「セラフィムさまぁ! リボンを落とされましたよぉ!!」


 若い女性の声とともに突然後ろから勢いよく体当たりされた。体のバランスを崩して大きくよろめく。まさに吹っ飛ばされた感じだ。それから耳に入ってくる複数の足音。


「ああ、すまない。感謝する」

「いいんですよ。セラフィム様のためですもの。あの、もし良かったら、明日の昼食ご一緒しませんか?」


 痛みを堪えて騒ぎの中心に視線を向ければ、若い女性たちが銀髪の男性を囲んでいる。


「申し訳ないが、私はあまり食事に時間をかけないんだ。だが、拾ってくれたお礼に何か飲み物を差し入れをしよう。あなたの部署を教えてくれないか?」

「まぁ! ありがとうございます」


 どうやら落とし物をした人物は、職場の魔法省で若い女性からアイドル並みに大人気の男性だったようだ。


 セラフィム様。


 三ヶ月前に入省した新人の私ですら、噂でその名前を聞いたことがある。並大抵の語彙力では表現できないほどの美形らしい。熱狂的なファンまでいるそうだ。


 憧れの彼とのお近づきのきっかけを見逃したくない彼女たちの気持ちも分からなくもない。彼は私と同じ珍しい銀髪なのに、それで男性の正体を察せなかった私の落ち度だろう。

 でも、今度は失恋じゃなくて、ぶつけられた痛みのせいで涙が出そうになる。

 気を取り直して、そそくさと彼らの脇を通って逃げるように洗面所に向かう。


「そこの女性、お待ちください!」


 まさかセラフィム様が女性たちに包囲されながらも、私の後ろ姿を見つめて、呼び止めていたなんて露ほども思わずに。







 今日も一日の業務を無事に終えて、魔法省のビルから出て行く。

 人の波にのまれるように通りを歩き、迎えの車に乗り込む。

 後部座席に腰掛けながら、外の景色をぼんやりと眺めていても、頭の中はすぐに元婚約者のことでいっぱいになる。


 彼は私の遠い親戚の一人で、ずっと家族ぐるみで付き合ってきた。生まれてからお互い一緒にいるのが当たり前で、燃え上がるような恋心はなくても、確かな信頼関係を彼と築いてきたと思っていた。十六歳のとき彼から告白されて、求婚されたときは人生の中で一番幸せだった。

 でも、彼との絆は、種族の習性によって粉々になった。


 どんな状況にあろうとも、番との絆を祝福するべきだと種族では言われている。法律でも羽翼種の番を原因にした離婚や婚約破棄の損害賠償や慰謝料の請求は認められていない。


 そのとき、携帯電話に突然着信があった。彼だ。緊張しながら電話に出る。


「あのさ、式場の件だけど、そのまま僕とミラで結婚式を挙げようと思うんだ。彼女のお腹が目立つ前に済ませられるし、キャンセル料だってもったいなかったし、ちょうど良かったよね? ん? あれ? 言ってなかった? 彼女、妊娠しているんだ。あっ、もちろん結婚式にはルーシーも来てくれるよね?」


 何が彼にとって「もちろん」なのか、私には全然理解できなかった。


「せっかくの祝いの席に元婚約者がいたら、彼女が嫌がるんじゃないのかしら?」


 平静を努めて断りながら、胸の中はどす黒い感情で渦巻いていた。


 婚約していたとき、両親の意向で、彼とは清い関係のままでいた。でも、番とは出会って一週間で子どもが授かるくらい深い仲になるのね。


「そんなことないよ。ルーシーとは結婚できなくなったけど僕にとってルーシーが大事な人には変わりはないし、君にもミラを紹介したいんだ。それにルーシーがいないと結婚式に出ないっていう友だちがいるんだよ。ねっ、頼むよ」


 こんな風に甘えてくる一つ年下のシリウスをずっと可愛く思っていた。でも、今は私の予想とは全く違う反応が返ってきて、違和感のほうが強かった。

 私なら破談になったばかりの相手を結婚式には呼ばない。だって、きっと嫌な思いをさせるから。


 私の気持ちより、友人が大事なの?


「で、でも……」

「えー、君の羽翼種って、番との絆は絶対に祝福してくれるものじゃなかったの?」

「それは、そうだけど……」

「じゃあ、もちろん出てくれるよね?」

「……う、うーん、ちょっと考えておくわね」


 彼が当然のような感じで言ってくるから、拒否する私が間違っているのかと少し不安になり、はっきりと拒否できなかった。


「ルーシー。僕もこんなことを言いたくないけど、僕の結婚式に出席しなくて困るのは、君のほうだと思うよ。だって、僕は後継者に選ばれた人間だから」


 彼から遠回しに脅されて、血の気が引いた。

 彼は以前から自慢していた。優秀だから、お互いの親族が経営する企業の後継者に選ばれたって。


「ごめん、切るわね」


 シリウスの態度が怖くなって、一方的に電話を切ってしまった。


「お嬢様、もしかして今の電話はシリウス様ですか?」


 私の専属メイドが運転しながら先ほどの会話を聞いていたようだ。

 我が家には使用人が昔からたくさん仕えている。

 私の家は血筋だけは古く、代々続く立派な屋敷がある。暮らしぶりも比較的裕福なほうだと感じている。


「ええ、そうよ。結婚式場をキャンセルするってメッセージを送ったら、番が妊娠したから急いで式を挙げたいみたいで、そのまま使いたいって言われたの」

「えっ、そんなことできるんですか? お嬢様との結婚のために式場を予約したので、シリウス様と別の女性が契約を続行できるわけないと思うんですが」

「それもそうよね。じゃあシリウスは勘違いしているのね。私からも式場に連絡しておくわ」


 式場と契約したときに、私とシリウスの連名で記入していた。

 シリウスは来年卒業とはいえ、まだ大学生だから、契約に疎いのは仕方がないのかもしれない。


「式場の予約は取れるかもしれないけど、結局キャンセル料はかかっちゃうわね。でも、お父様には契約関係はうやむやにしてはいけないと口酸っぱく言われているから、きちんと処理しないとね」


 金銭が絡むなら、なおさら。

 社長であるお父様の考えには、私も同感だ。お父様は苦労して今の地位に就いたって聞いているし。


「そのほうが良いと思います。ですが、奥様にお任せしてもよろしいのではないでしょうか。その件を思い出すのは、今はお辛いでしょうし」

「そうね……」


 メイドの気遣いが純粋に嬉しい。

 それでも婚約解消後も、まだ彼と関係が続くのかと思うと気が晴れなかった。



※ ※ ※ ※ ※



 翌朝、いつもの事務仕事ではないので、職場に早出していた。

 なんと入省して初めての現地調査だ。


「ねぇ、知ってる? 今回の任務の参加者について」


 更衣室で戦闘用の防護服に着替えている最中に話しかけてきたのは、マリカだ。

 彼女は今回の任務に同じく参加する新人の同僚で、学生時代からずっと付き合いが続いている。私を見る彼女の目は、キラキラと嬉しそうに輝いていた。


「いいえ、全員は知らないわ」


 魔法省から派遣されるメンバーについて、事前に書類で把握していたが、噂好きの彼女が期待する人物に今回は全然心当たりがなかった。


「実はね、今回セラフィム様がいらっしゃるのよ」


 とっておきの情報と言わんばかりに彼女は声を弾ませていた。


「えっ、私と同じ羽翼種の、あのセラフィム様? 五年先輩の」

「そうよ。二十七歳独身、直系の王族で、世が世なら王太子に選ばれてもおかしくないほどの血筋を持つ、非常に優秀でエリートなセラフィム様よ」


 三世代前に王政から民主主義国家に変わったとはいえ、いまだに王族を敬う国民は多い。

 私にとっても、彼は雲の上の存在だ。だから、彼の名前だけはこんな風に噂を通じて知っていたし、その人気ぶりも目の当たりにしたことがある。


 マリカの話によると、セラフィム様は頭脳明晰な上に常に冷静沈着で、どんなに危機的状況でも取り乱さず、彼が微笑む姿すら見た人はいないとか。大勢の女性に囲まれても、どんなに言い寄られても、誰も彼の心を動かした人はいないらしい。まさにクールビューティーを地でいく人みたい。


 彼は魔法省の中でも選りすぐりの人材ばかりで編成される特殊班に属している。だから、新人で下っ端な私は、彼との接点が全然なかった。


「でも、どうして急に今日の調査に参加されたのかしら?」


 今回の調査は、少し遠いので泊まりがけになる。

 道中、危険地帯があるので、軍の兵士たちも護衛として同行してくれる。


「さぁ? 個人的に興味があったのかもね。どうやら急に参加が決まったみたい。さっき上司から直接聞いたの」

「ふーん、そうなんだ」

「もう、反応が薄いわね! セラフィム様の美しいご尊顔を拝める絶好の機会なのよ? 周りに自慢できちゃうわよ! もしかしたらルシアンが彼の番かもよ?」

「番?」


 どういうこと?って感じでマリカを見つめると、彼女はニヤリと笑う。


「なんでもセラフィム様は子供の頃に運命の番と出会ったけど、二度と再会できなかったみたいなの。最近聞いた話によると、セラフィム様は銀髪の女性を熱心に探しているみたいよ?」


 セラフィム様に番がまだいないことをマリカの台詞から知った。

 マリカは竜族の血をひいているらしく、髪は燃えるような赤色だ。今は一つにまとめている。


「……私も銀髪だけど、そんなわけないわよ」


 そう言いながらミディアムに切った髪を指で梳いた。羽翼種の純血は、みな銀髪だ。


「そんな自分を卑下しないでよ。ルシアンは美人で優秀じゃない。それにルシアンは決して自慢しないけど、実家だってすごく立派じゃないの」

「うん、ありがとう。でも……」


 元婚約者——シリウスの番にはなれなかった。

 言いかけた言葉を私は黙って飲み込んだ。


 セラフィム様ほどではないが、私はかろうじて傍系の王族の血をひいている。それなりに裕福な実家の一人娘だけど、それは彼の心を射止める材料には全くならなかった。


「元カレのことなんて、気にする必要ないわよ。今さらこんなことを言うのもなんだけど、ルシアンは彼と別れて良かったと思ってる。なんかね、あの人って苦手だったのよね。ルシアンが何をしても当然って感じで感謝をしないところが特に」


 マリカとは長い付き合いだったが、彼女が彼を悪く言うのは初めてだった。


「そうだったんだ。知らなかった……」

「ごめん、今さらこんなこと。もうすでに二人は番だと思っていたから、言っても余計なお世話だと思っていたんだよね。だから、ルシアンは彼のことは忘れて素敵な人と出会ってほしいなって心の底から願ってる」


 マリカの優しい気遣いに触れて、私の心はじんわりと温かくなった。


「ありがとう」


 あっさりと振られても、こうして私を大切に思ってくれる友人がいる。それが何よりもありがたかった。


「ということで、さっそく合コンに行かない? 今度の週末にあるんだよね」

「うーん、合コンはねぇ……」

「もー、ルシアンってば、相変わらず人見知りなんだからー。私もいるんだし、参加してみようよー!」


 そうよね。シリウスを早く忘れるためにも、マリカの言うとおり、新たな出会いを求めたほうがいいわよね。

 それなら今回はマリカがいるし、頑張ってみようかな。





 私たちの準備は整い、予定どおり輸送車の前に集合する。調査班のリーダーが私たち二十人分の点呼を取り、他の班が揃うのを待っていた。


「ねぇ、ルシアン」


 小声でマリカが後ろから呼んできて、私の二の腕に軽く触れてきた。どうしたのかと振り返り、彼女の視線の先を辿る。すると、一際輝く美しい銀髪の男が後方から近づいてくる姿が見えた。


 驚くほどの美貌に目が釘付けになる。彼のアイスブルーの瞳はとても印象的で、その美しい双眸に囚われたら、きっと息が止まりそうなくらい迫力がありそうだ。


 どうりで彼はあれほど噂になるはずだし、マリカだけではなく他の女性たちのテンションが爆上がりするはずだ。

 それがセラフィム様のご尊顔を初めて目撃した感想だった。


 彼が歩いている姿も優雅だ。同じ戦闘用の防護服を着ているとは思えないほどのスラリとした長身と手足。光沢を放つ長い銀髪が背中で舞うように揺れている。

 彼は誰かを探しているのか視線をきょろきょろと忙しなく変えていた。ここには軍の兵士たちもいるが、セラフィム様は屈強な肉体を持つ彼らには目もくれず、女性がいる調査班のメンバーばかりを見ている気がした。


「あっ」


 セラフィム様と私の視線が合った気がした。その直後、彼の両目が大きく見開かれる。歩みがピタリと止まる。


 すると、今度は獲物を狙うように一心に私のほうを見て、足早に近づいてくる。まさに余裕のない切迫した表情をして。整った真顔で一直線に近づく様子は本当に怖かった。

 私の前にいた人たちが、彼の迫力に気圧されたのか、彼に道を譲るようにいなくなる。まるで海が割れるように遮るものはなくなった。


 どうして彼は私を見ているの?

 いえ、もしかして気のせい?


 そう思って周囲を見渡せば、みんなも戸惑いの表情を浮かべて私を見ていた。

 残念ながら自意識過剰ではなく、彼の標的は本当に私のようだ。


 威圧すら感じる氷のようなセラフィム様の眼差しにビビり、思わず私はマリカの後ろに隠れる。こそっと背後からセラフィム様を盗み見たら、やっぱり彼は無表情で私をじーっと食い入るように見つめていた。

 彼の喉元が緊張したように動く。意を決したように唇がわずかに開いた。


「私はセラフィムと言います。美しい銀の髪をしたあなたの名前を教えてもらいたい」


 静まり返った場に落ち着いた彼の美声が響く。


 どうしよう。やっぱり気のせいじゃなかった。銀髪って、私だけだわ!


 私と彼の間に挟まれていたマリカだが、私の前からカニのように横移動して無情にも消え去ってしまった。


 私の貴重な防護壁が!

 この息の根も止まりそうな美貌のビームに無防備にさらされて、私の寿命は縮みそうになる。いやでも、逃げたマリカの気持ちは痛いほど分かる。ごめん盾にして。


「わ、私の名はルシアンです」


 消え入りそうな声でなんとか答えた。


「ルシアン、か。いい名前だ」


 フッと表情を崩して微笑んだセラフィム様は、無駄に甘い色気を醸し出していた。

 あれ? セラフィム様ってすごくクールだから、微笑まないことで有名じゃなかった?


 噂に尾ひれでもついたのかと、のほほんと思ったときだ。


「ずっとあなたを探していた」


 思い詰めた声が、突然セラフィム様から吐き出される。

 急に彼はしゃがみ込んだと思ったら、私の前で片膝をつき、右手を差し伸べてくる。


 一体何事かと、驚きすぎて頭が真っ白になる。


「ルシアン、私があなたと初めて出会った日を今でも覚えている。病院で母と思しき女性に抱かれた赤子のあなたを一目見たときから、ずっと恋焦がれて探していた。あなたは私の番だ。どうか、私の想いを受け入れてほしい」


 えっ、うそ! 私が番なの!?


 セラフィム様が告白した瞬間、周囲から黄色い悲鳴とどよめきが盛大に湧き起こる。

 その間、彼は私の目から視線を離さず、ただひたすらに私からの返事を待ち望んでいる。

 こんな情熱的な目で見られるなんて生まれて初めてかもしれない。彼は恍惚に似た表情で、この差し出した手をとってほしいと一心に願っているようだった。

 元婚約者だって、こんな風に私に熱い眼差しを向けたことはなかった。


 みんなまで熱心に私のことを見ている。私の返事を固唾をのんで待っている。こんなに注目されるなんて、胃がきゅうと鷲掴みされたみたいに緊張する。

 えっ、どうしよう。


 きっと空気を読んだら、彼の手を取るのが一番なのかもしれない。でも、セラフィム様は人気者でも、私にとってはよく知らない人だ。そんな初対面も同然な人を自分の大事な伴侶として今は選ぶなんてできない。正直、この告白は断りたかった。でも、みんなの前で彼をバッサリと振ったら彼が可哀想だし、番の告白を断っても大丈夫なのか分からなかった。


 羽翼種の女性たちは、好みじゃない男から番として選ばれた場合、どうしているのだろう。詳しく知らなかった。今まで婚約者がいて、興味が全然なかったから。


 同種の男性の求婚に了承した女性は、首に番の印を刻まれる。一度でも番の印を得た女性は、同種の男から求婚されなくなるらしい。

 ところが、同種以外と婚約や結婚した場合、他から求婚されるのを避けるため、上半身をベールで覆い、身を隠して生活する。今までの私のように。

 知っている情報はそれだけだった。

 もっと両親から話を聞いておけば良かった。


 再びセラフィム様を見つめたら、彼はニコリと嬉しそうに微笑んだ。

 はっ、そうだわ。別に今すぐ答える必要もないじゃない。


「あの、セラフィム様、お立ちください。本当に申し訳ございませんが、今は勤務中ですので、この話は後にしましょう――」


 これで私は上手く言い逃れできたはずだ。

 でも、そもそも彼が出会った赤子って、本当に私なの――?

 勘違いってことはないのかしら。


 告白を中断という微妙な雰囲気だったけど、今回の任務の責任者である中佐が、両手を叩いて状況をリセットしてくれた。


「あの、もうよろしいですか? 時間ですので行きますよ」


 なぜか上官はセラフィム様と私に気を遣い、弱腰で出発を告げてくれた。

 現在任務中なので、全く関係のないやりとりをした私たちは叱責されてもおかしくはないはずなのに。


 きっとセラフィム様の評判のおかげよね。


 調査班はいくつかに分かれ、軍が用意した装甲人員輸送車に後ろから乗り込んでいく。

 中は対面式に座席が並んでいる。十人乗りだ。

 なんと運が悪いことにセラフィム様は私たちと同じ車だ。彼も兵士たちと共に後から乗り込んでくる。

 しかも、なぜみんな私の横の席をそそくさと彼に譲るの。

 正直、気まずい。左横にいるマリカだけが私の心の支えだわ。

 参加者全員の乗車を確認した後、車は予定を少し遅れて出発する。セラフィム様と私のせいだ。


『防護壁に到着するまで約三時間はかかる。それまでは好きに過ごしていい』


 通信機器から中佐の指示が聞こえた。

 住居地域の周りは防護壁で覆われて、悪魔グールなどの危険な魔物モンスターの襲撃から守られている。でも、これから私たちが向かう場所は、防護壁の外の地域だ。


 特に、壁を出た直後には悪魔が獲物を狙って待ち構えているので、場合によっては激しい戦闘になる場合もある。緊張するけど、兵士や魔法省の人たちもいるし、隣で私をじっと熱い視線で見つめているセラフィム様も魔法の腕が素晴らしいと聞いている。訓練通り行動すれば、最悪な事態はまず起きないだろう。


 ところで、三時間もこのままなのかしら。

 車内はシーンとして不気味な緊張感が漂っている。向かいに座る兵士たちは暗い顔をしてチラチラとセラフィム様と私の様子を窺っている。


 確か今回の調査って、難度がそれほど高くないから魔法省の新人にはうってつけの仕事で、さらに若い兵士たちとの交流もできるから出会いを求める女子には人気の任務だと聞いていた。マリカが楽しみにしていた仕事なのに、こんな状況になってしまって本当に申し訳ない。


 どうしよう。何か雰囲気を良くするような気の利いた言葉でも掛けられればいいけど、何か言わないとって焦るだけで、余計に頭が真っ白になる。


「ルシアン、申し訳なかった」

「はっ、はい?」


 セラフィム様からの謝罪を予想していなかったので驚いてしまった。

 右横にいるセラフィム様を仰ぎ見ると、彼は今にも罪悪感で死にそうな顔をしている。


「先ほどの告白は、あなたを困らせてしまったようだ。いきなりすぎて申し訳なかった。ずっとあなたを探していて、やっと会えたんだ。自分の溢れんばかりの気持ちを抑えることができなかった」


 こんなに暗い顔をして反省している人に追い打ちをかける非道な真似はできなかった。


「セラフィム様、お気になさらないでください」


 当たり障りなく謝罪を受け入れ、愛想笑いを彼に向けると、彼は少し安心したように張り詰めた表情を緩ませる。


 それにしても、間近で見るセラフィム様はもっと美しい気がした。長い銀色の睫毛がキラキラと輝き、透き通った青い宝石のような瞳を彩っているようだ。通った鼻筋と顔のバランスが絶妙だ。白い肌もきめ細やかで、まさに芸術品のように神々しい。


 じっと見つめていたら、みるみるセラフィム様の頬が赤く染まっていく。目まで潤みだして、顔が急にこちらに近づいてきたと思ったら、ぎゅっと覆いかぶさるように彼に両腕で抱きしめられていた。


「あ、あの、抱きしめてもいいだろうか」


 愛おしそうに私の頭に頬ずりまでされている。息遣いまで荒くなっていた。馴染みのない彼の匂いが否応なく男を意識させてくる。

 細そうに見えて、逞しい彼の体を感じて、胸の鼓動が激しくなる。


「だ、ダメですっていうか、もう抱きしめていますけど!」


 私は慌てて彼の体を両手で押しのけた。


「こ、困ります! いきなり抱きつかれても!」


 こればかりは激しく抗議した。


「申し訳ない。あなたにそんな風にじっと見つめられたら理性が、理性がもたないんだ」


 顔に汗と苦渋をにじませながら、本当に苦しそうに言っていた。でも、どうしてそこまで彼が追い詰められるのか、よく分からなかった。


 私の両親も羽翼種だけど、彼のようにお父様が苦しんでいる様子は全然なかった。


「あの、セラフィム様、大丈夫ですか? 失礼ながら、どうしてそんなに苦しそうなんですか?」


 私が気になって尋ねると、彼は意外そうな反応をした。


「……知らないのか? 番の印について」

「いえ、それは知ってます。男性は番の首筋に痕をつけるんですよね?」

「そうだ。男は、それを番につけるまで、激しい欲求に襲われる。まさに正気を失いそうになるくらいに」

「えっ――」


 正気を失うくらい? そこまで激しいの?


「でも、本当に私があなたの番なんでしょうか? 間違いはないんですか?」


 勘違いで大事な首元に噛みつかれたあとに、やっぱり違ったって言われて、またシリウスみたいに振られたら耐えられない。今は防護服のおかげで、首元まできっちりと隠れているのが救いだ。


「そんなわけない。番を絶対に間違えるものか。出会った瞬間に分かるほど激しいものなんだ。今でも喉から手が出そうになるくらい、あなたを求めている」


 震える彼の右手が、躊躇うように私のほうに伸びてくる。私は慌てて彼の手を座席に押さえつけた。また抱きしめられたら堪ったものではない。

 でも、頭上に微かに感じる彼の荒い息から、彼の苦しさが伝わってくる。

 しかも、大きい彼の手に触れているだけで、否応なしにドキドキと緊張してくる。私までおかしくなってきているみたいに。


「ルシアン、好きだ」


 そう言われた瞬間、もう片方の彼の腕が伸びてきて、再びセラフィム様に引き寄せられるように抱きしめられた。私の胴体に彼の腕がしっかりと回されている。

 スンスンと愛おしそうに頭の匂いまで嗅がれている。こめかみにチュッという音とともに柔らかい感触までした。


 まさかキスされた!?


 私の体温が沸騰するくらい上昇した。


「ちょ、止めてください!」


 私は彼の腕を振り払って、逃げるように席を立った。いくらなんでも、彼は無遠慮に触りすぎだわ。

 私は珍しいことにとても憤っていた。すぐに彼を見下ろし、ビシッと彼に指をつきつけて、激しく睨みつけた。怒りすぎて、手がブルブル震えている。


「キ、キスするなんてセクハラです! もう二度と勝手に私に触らないでください!」

「……え?」


 セラフィム様の表情が絶望に染まる瞬間を目撃してしまったが、すぐに視線を逸らして見なかったことにした。


 ちょうどセラフィム様の横の席が空いている。


「すみませんがセラフィム様。横の席にずれて、私の真横にいないでください」


 相手は先輩だけど、もうここまで好き勝手されたら気にするものか。

 強気で指示を出してみた。


「しかし……」


 ところが、彼はなかなか素直に従ってくれなかった。泣きそうなほど嫌がっていた。


「言うことを聞いてくれないと、もっと嫌いになりますよ」


 腕を組み、険のある言い方をすると、彼はやっと渋々ながら言うことに従ってくれた。


 ふーやれやれ。

 何事もなかったように席に戻る。もう右隣りの人なんて知ったことではなかった。


 こんなに距離感なくグイグイくる人なんて信じられない。こんな強引な習性だから、嫌になって人間の男を伴侶に選ぶ人も出てきちゃうのよ、きっと。


 三百年前、異界から人間たちが訪問するようになってから、彼らの文明のおかげで私たちの世界は凄まじく発展したけど、同時に彼らと交わるようになって、混血が多く生まれるようになったのよね。

 そのせいで、古来からあった亜人の純血種がかなり減少し、今では種の保存の観念から国をあげて保護対策を打ち出すまでになっている。

 でも、羽翼種のように番の習性がある種族は、他と比べて純血種が割と残っているのよね。


 プンプン怒っていると、なんだか急に寒くなってきた。

 冷房が効きすぎている気がする。目の前にいる兵士たちの吐く息が白くなっていた。両腕で体を抱き寄せてガタガタ震えている。


 誰よ、勝手に冷房の設定温度をいじった人は。私がきょろきょろと周囲を見回し、ちょうど私の右側を振り向いた直後に絶句した。


 セラフィム様が氷と霜で埋まっている!


「やだ! 何をやっているんですか!? 寒いから止めてください!」


 慌てて立ち上がり、セラフィム様の肩から寒そうな氷を払い落とすと、彼の目から涙がシャーベット状になって流れていく。


 彼はクールビューティーって言われていたけど、物理的に冷たいって意味だったのかしら。


「ルシアンが触ってくれた……」


 セラフィム様が感極まって泣いている。

 先ほど私が怒って拒絶したせいで、彼がますますおかしくなってしまったようだ。


 すがるように私を見上げる彼は、私なしではいられないようにとても弱々しかった。

 本当にこの人は、私じゃないとダメなんだ。

 そう思ったとき、胸の奥がキュンと切なく高鳴った。彼のことがとても可愛い存在に感じ始める。鼓動がドキドキ激しくなっていく。


 べ、別に、セラフィム様のことが嫌いってわけじゃないんだよね。噂だけで実際に知らないから受け入れづらいってだけで。もうちょっと時間をかけてお互いに知り合ってから告白してくれたら私だって――。


「きゃ!」


 車が車線変更をしたのか、急に車体が左に揺れたせいで、立っていた私の体がふらつく。吹き飛ばされるように呆気なく倒れそうになった。


 やだ、ぶつかる!


 座席に正面衝突しそうになり、衝撃の痛みを覚悟したけど、いつまで経っても痛みはこなかった。


「大丈夫か?」


 なんとセラフィム様が私を抱きかかえて助けてくれていた。どういうわけか、ちょうど彼の膝の上に乗せられている。


 うっとり幸せそうな顔で、私のことを見下ろしていた。そんな彼の健気な様子を見たら、また胸の奥できゅんきゅん甘酸っぱい気持ちが溢れてくる。


 やだ、本当に可愛い。

 顔が急に熱くなってきた。


「助けてくださり、ありがとうございます……」


 私が礼を言うと、彼はますます嬉しそうに微笑んだ。

 ジュウと音を立てて彼の体にこびりついていた氷が一瞬でとけていく。


 彼の美貌が、一際輝いた気がする。彼の体と密着しているので、否応なしに鼓動がさらに激しくなっていく。


「どこか痛いところはあるか?」

「いいえ、ありません。大丈夫です。セラフィム様、下ろしていただけますか?」


 彼の膝の上にお姫様抱っこのままではとても恥ずかしいので、さっさと退きたかった。顔から湯気が出そうなほどだ。

 ところが、彼は私の申し出を聞いた途端、にっこり笑った。


「嫌だ」

「え?」


 駄々っ子のような拒否が返ってくるとは思わなくて、目が点になった。


「ルシアン、私は気がついた。あなたに触れていたら、番の症状があまり苦しくないんだ。このまま私と一緒にいてほしい。拒否されたら、また悲しみのあまりに周囲を凍らせてしまうかもしれない」

「凍らせるって……」


 先ほどの凍ったセラフィム様を思い出して、彼の提案が嘘でも冗談でもないとすぐに悟る。今でさえ、周囲に多大な迷惑をかけているので、彼の要求をのむしかないと思った。


「し、仕方がありません。車内がまた凍っては大変なので、あなたの指示に従いたいと思います」


 べ、別に、嬉しいとか、彼に絆されたわけじゃないんだからね!


「良かった」


 彼は少し安堵したように息を吐くと、ぎゅっと私を抱きしめてくる。

 先ほど似たような状況でキスされたので警戒するが、彼はそれ以上は私に何かする気配はないようだ。

 ずっと私が腕の中にいるだけで、本当に満足しているみたいだ。

 ひとまず彼は落ち着いたみたいだけど、一方で私は全然休まらない。ずっと恥ずかしいし、緊張してドキドキしっぱなしだ。

 しばらくじっと座っていたが、気を遣って彼を背もたれにできないので、姿勢を保つのに疲れてきた。


「あの、重くないですか?」


 彼の様子を窺い、隙があれば膝から降りたいと願って声を掛けたが、彼は残念ながら首を横に振る。


「いいや、全然。それよりも逆にもっと体を私に預けたまえ。それじゃあ疲れるだろう?」

「で、でも」


 それをすれば、ますます彼と密着するはめになる。


「いいんだ。私のことはただの椅子だと思ってくれて構わない。気にする必要はないから」


 そんなとろけるような笑顔で言われても、出会ったばかりの人に甘えられるわけなかった。


「あの、でも、やっぱり、下ろしてくれませんか……?」


 意を決してお願いしてみたら、セラフィム様は返事をする代わりにみるみる凍っていく。

 冷たい刺すような風が急に吹いて、私の肌から熱をみるみる奪い去っていく。

 ひぇぇぇ! ヤバイ!


「あの、横にいても、ずっとあなたの手を握っていますから!」


 そう叫ぶように言うと、ピタリと風が止んだ。


 結局、私とセラフィム様は仲良く並んで座り、到着するまで彼と手をつないでいた。

 いわゆる恋人繋ぎっていう、あの恥ずかしい方法で。


「セラフィム様は、本当に私でいいんですか? 実は私、先日まで別の男と婚約していたんですよ。彼に番が見つかったって振られちゃいましたけど」

「そんなこと、全然気にするものか。今、私の目の前にあなたがいることが全てだから」


 セラフィム様は甘い言葉をささやきながら、私の肩にも手を回していた。それからすぐに横から覆いかぶさるように抱きつかれて、「いい匂いだ」って言われながら私の髪に頬ずりもされている。


 本当にこの人は、私のことが好きなんだよね。正気を失うくらいに。

 ここまでくると、しょうがないなぁって思い始めていた。残念ながら前言撤回する。本当に絆され始めている。


 私とセラフィム様の様子が落ち着いたと感じたのか、マリカは率先して兵士たちに話しかけて、私たちを放っておいて魔法省の派遣メンバーと兵士たちが和やかに自己紹介を始めている。


「ええー! キルトさんってば、出身地はあそこだったんですか!? 私の実家、昔そこの隣町だったんですよ! わー、奇遇!」


 マリカの明るい声のおかげで車内の雰囲気はとても良くなっていた。

 ほんと、マリカありがとうー。


 うん、私は諦めの境地に達していた。

 慣れというのは恐ろしいもので、防護壁に到着までの最後の一時間くらいは、彼の温もりで眠くなってウトウトしていた。





 本当に色々と大変な出来事があった。

 特に夜のキャンプはヤバかった(自主規制)。

 それでも任務は無事に終わり、私たちを乗せている装甲人員輸送車は無事に帰路についている。


「帰りはルーシーの家まで送るよ。君の家の場所を知っておきたいから」

「気持ちは嬉しいけど、セムの手間になっちゃうわ。あなただって任務で疲れているでしょ?」

「ルーシーのことを少しでも知りたいし、少しでも一緒にいたいだけだから大丈夫だ」

「まぁ、セムったら」


 彼の深い愛情を感じて、私は嬉しくなり、ますます彼に惹かれていく。

 私とセラフィム様は、お互いに家族しか呼ばない愛称呼びになっていた。


「いやーまさか、あの人見知りのルシアンが、たった一日で落ちるとは思ってもみなかったわ! セラフィム様、ルシアン、お幸せにね!」


 魔法省の駐車場で解散になったとき、マリカが満面の笑みで見送ってくれた。他の人たちも笑顔で手を振ってくれる。いや、彼らは苦笑いかも。


 セラフィム様——いえセムは、今回の任務に参加するときに周囲に迷惑をかけると予測していたのか、事前に参加者全員に差し入れを用意して、キャンプのときに振舞っていた。

 その気遣いのおかげなのか、任務中にあれだけイチャコラしていたのに、みんなの心証は悪くなっていなかった。触らぬ神に祟りなしな感じだったけど。





 セムに自宅前まで送ってもらったとき、屋敷の閉ざされた門の前で若い男女が立っていた。男は見覚えのある黒髪で、インターフォン越しに何か話していた。


 車の窓を開けて車内から確認すれば、それはシリウスだった。もう一人の若い女性は誰だろう。知らない人だった。


「あら、シリウスじゃない。こんなところでどうしたの?」


 私の声を聞くや否や、彼は自慢げに笑みを浮かべる。


「父さんに呼ばれたんだよ。やっぱり僕は父さんにとって一番必要な人間だからね」

「どういうことかしら? よく分からないけど、いつまでも私のお父様をそう呼ぶのは止めたほうがいいと思うわ」


 私たちは破局したのだから。

 ところが、彼は見下すような目つきで私を見つめてきた。


「可哀そうに。何も聞いていないんだね。僕は父さんの後継者なんだよ」

「シリウスがお父様の後継者? 一体、どういうこと?」


 びっくりして尋ねたら、シリウスは苛立ったような顔をした。


「前から言っていたじゃないか。僕は特別に認められて、父さんの後継者として選ばれたんだよ。だから、僕は血がつながらなくても息子として大事に育てられたし、大学にだって行かせてくれている。この屋敷に部屋だって与えられたんだ。君こそ何か勘違いしていないか?」

「え――?」


 でも、お父様(・・・)の後継者とは聞いていなかった。

 彼が堂々と疑いもなく強気で言うから、彼の話が本当な気がして、彼の発言をすぐに否定できなかった。私の知らないところで何か話が進んでいたのかしら。


「とにかく、お父様とお母様に聞いてみるわ」


 そう告げてシリウスとの会話を終えた。


「ルーシーどうしたの? もしかして、彼って元婚約者?」


 セムまでも心配になったのか、不安そうに隣の席から私を見ていた。


「うん、そうだけど、大丈夫よ。私じゃなくてお父様に用があるみたい」


 とりあえず、普段不在がちなお父様が家にいることは分かって良かった。

 窓を閉めて車内にいるセムを見つめる。


「お父様が家にいるみたいなの。良かったら会っていかない? 紹介したいの」

「いいのかい? 突然なのに。失礼じゃないのかな」

「ちゃんと説明するから大丈夫よ」


 元婚約者が屋敷にいる状況をセムに知られているのに、このまま彼を帰したくなかった。彼に余計な心配をかけたくなかったから。


 こうして私は屋敷の中にセムも連れて入っていく。シリウスが連れていた女性は、ピンクブロンドの可愛らしい女性だった。私を見て勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。彼女が彼の番だろうか。特に何も感じなくなっていた。全てセムのおかげだ。


「なんだよ。ルーシーったら冷たいな。せっかくみんなに紹介しようと思ってミラだって連れてきたのに。ところで、隣にいる男は誰だよ?」


 シリウスは不機嫌そうだ。口を尖らせている。昔はそんな彼の仕草を可愛いと思っていたけど、今は違った。


「あとで紹介するわ」


 屋敷に入ると、シリウスは我が物顔で居間にゆき、勝手にソファに座る。


「みんなに飲み物を用意してくれたまえ」


 シリウスはいつものように使用人に偉そうに命ずる。その変わらない態度に私はますます不安になる。


 セムにも席を勧めて座って待っていると、すぐにお母様が来てくれた。


「ルーシーお帰り! お仕事お疲れだったわね」

「ただいま、お母様」


 お母様は真っ先に私を抱きしめて歓迎してくれた。

 それから私の側にいるセムを見て目を丸くする。彼は純血種だから、何か察してくれたみたい。お母様が嬉しそうに何か言おうと口を開いたとき、シリウスが立ち上がってお母様に抱きついていた。


「おばさん! ルーシーとのことは残念だったけど、僕が家族であることは変わりないからね! ところで、今度ルマニーニで新作デザインのスーツが出たから、ぜひ着てみたいんだけどいいかな?」


 いつものようにシリウスはお母様に物をねだっている。こう言えば、お母様が用意してくれるからだ。


「あら、相変わらず元気そうね。お父様はもうすぐ来るわよ」


 お父様が遅れてやって来た。お母様と同じようにセムを見て驚いていた。

 さて、両親も揃ったし、さっそくセムを紹介しなくっちゃ。


「実は――」

「父さんにミラを紹介するよ。彼女が僕の番なんだ」


 私の発言を邪魔したのは、シリウスだ。そういえば、彼っていつもこんな感じだったわよね。昔は気にならなかったけど、彼ってこんなに自分のことしか考えられなかったのね。


「ああ、シリウス君よく来てくれたね。ちょっと場所を変えて話そうか」

「いいえ、ぜひルーシーにも聞いてもらった方がいいと思うんだ。彼女、何か勘違いしているみたいなので」

「そうかい? あまり公にしない方がいいと思うけど、君がそんなにも希望するなら――」

「ええ、ぜひお願いします。僕の立ち位置をハッキリさせたいので」


 シリウスは私を意味深にジロリと見ながら自信満々に答える。


「ところで、そちらのルーシーのお客様ですが――」


 お父様がセムを見つめる。


「申し訳ございません。しばらくお待ちいただけますか」

「構わないですよ」


 セムはにっこり答える。


「ごめんなさいね。後回しになって」

「いいんだ、急に来たのは私のほうだ」


 私もセムに非礼を詫びると、彼はただ微笑んで許してくれた。

 みんなが居間のソファに座り、話が始まった。


「これに見覚えはあるかい?」


 お父様がテーブルに置いたのは二枚の紙だ。


「君と交わした契約についてだ。現在君に貸しているマンションと、大学の授業料などの援助だけど、この二つの契約書に書かれている通り、ルーシーとの婚約・婚姻状態に限り有効とある。だから、君が番を得てルーシーと破談になった現在は全ての契約は無効になる。来月中にはマンションから出て行ってもらいたい。授業料もこれからは自分で払うように。詳しい内容は後ほど郵送で届くから目を通してほしい」


 お父様の説明をシリウスははじめ理解できなかったのか、ポカンとしていたけど、徐々に頭の中に内容が入って来たのか、顔色がみるみる悪くなっていった。


「どうして!? 僕は父さんの後継者なのに」

「はて、なんのことだい?」

「父さんは言っていたじゃないか! 君は特別だ。君には期待している。僕が後継者だって! だから援助してくれたんでしょう。ルーシーが魔法省に就職したのだって、僕が後継者に選ばれたからでしょう?」

「いやいや昔から娘の婚約者だから君を特別優遇しただけに過ぎないよ。契約書にしっかり書いてあるし、君もサインしただろう。都合よく忘れないでほしいな。それに私は一度も君が後継者だって言っていない。君に頑張ってもらうために、頑張れば社長も夢じゃないよみたいなことは言ったけどね」


 シリウスに何かしてあげるとき、「私の婚約者だから」とは毎回言っていなかった。そんな当然なこと、言う必要もないから。


「あと、ルーシーが魔法省に就職したのは、他で経験してから家に戻ってきた方が良いという妻の助言があったからだ。親族の会社だと周りが気を遣うからね。だから、君が色々と勘違いしただけだよ」


「そんな……! 紛らわしいことを言って僕を騙したんだ!」


「何を言っているんだ、人聞きの悪い。君の成績や職場での評価があまり良くなかったからね。将来の義理の息子を励ますために結果を期待しているって言ってはまずいのかね? 社長も夢じゃないのは、頑張り具合によっては夢じゃないだけだ。私のようにね。全て君に発破をかけるためだよ。もう一度言うが、私は今まで君が後継者だと明言したことはない。そもそも私は雇われ社長だから、私の後継者なんてありえない」


 父さんははっきりと否定した。すると、シリウスは驚いた顔をしていた。


「雇われ社長?」

「ああ、妻の父が経営している企業グループの、その一つの会社の社長に過ぎないって話さ。次期会長候補なのは、私ではなく妻だ」


 この立派な屋敷も、敷地内で同居している母方のお祖父様のものなのよね。


「それに現在の君との雇用の契約だが、上司の評価を聞いたけど、君は思い込みが強くてミスがとても多いらしいね。残念ながら失敗が規定を超えているから、本採用は見送らせてもらうことになったよ」


 シリウスはお父様の会社で仮採用されてバイトとして現在働いていて、何も問題なければ卒業後に就職する予定だった。


 屋敷に彼の部屋を与えていたのも、彼の衣装を保管するためと泊まるときのためだ。両親の仕事関係のパーティに呼ばれるとき、私の婚約者として彼にも出席してもらうから、身の回りのものを全てこちらで用意しておいただけだ。


「そんな……! 僕は可愛がってくれた父さんを本当の父親のように思っていたのに! 番の習性でミラを選んだからって酷すぎます!」


 シリウスが逆恨みで非難してきたとき、お母様は眉をひそめながら口を開いた。


「あなたはマチルダの息子だったから色々と援助してあげたのよ。父親が亡くなって大変そうだったからね。恩を着せるわけじゃないけど、もう二十歳を過ぎた大人で、ルーシーの婚約者じゃないんだから、学費や生活費まで世話してもらうことを当然とは思わないことね」


 マチルダおばさんは、お母様のいとこだ。昔から仲が良かったし、お互いの子どもの年が近かったので、交流があったのだ。マチルダおばさんの夫が亡くなったあとも、何かと気にかけていて我が家に招待していた。


 シリウスは子供の頃からずっとうちで世話になっていて、それが彼にとって当たり前になってしまったから、私の婚約者じゃなくても、変わらないと思っていたのかな?


 シリウスを見れば、お母様の言葉に納得できずに不満そうな顔をして反論しようと構えていた。

 ところが、隣に座っていたミラが突然立ち上がった。


「大企業の後継者だって言っていたからあんたと付き合ってたのに、聞いていた話と全然違うじゃない! この婚約は無効よ! 帰らせてもらうわ!」


 ミラの突然の裏切りにシリウスは大いに狼狽えた。


「そんな、僕の子を妊娠しているって言ったじゃないか!」


 すると、彼女は鼻で笑った。


「ああ、あれって勘違いだったわ。ただ単に生理が遅れていただけみたい。残念だったわね」

「なんだと!? 君が妊娠の責任とってくれっていうから、ルーシーと別れたのに!」

「でも、番を見つけたってでたらめ言って結局婚約者を捨てたのはあんたでしょ? 生理がない代わりに一年に一度繁殖期があって無精卵を産むなんて気持ち悪い、婚約者がやらせてくれないって散々愚痴りながら私を抱いたくせに」


 ミラは皮肉っぽく言い捨てると、逃げるように屋敷から出ていく。

 それをシリウスは呆然として見つめていた。衝撃過ぎて動けないみたいだった。

 気まずい中、お父様は大きくため息をついた。


「番が逃げたんだ。追いかけなくていいのか?」

「あの女、僕じゃなくてお金が目当てだったんだ! そんな女、僕の方から願い下げですよ! ルーシー!」


 突然シリウスが私の名前を呼ぶから、驚いてビクッと肩が震えてしまった。

 彼は懇願するように私を見つめている。突然立ち上がると、私に駆け寄り、目の前で土下座した。


「今まですまなかった! あの女が言ったのは全部嘘だ! 番だと思ったのは、僕の勘違いだった! やっぱり僕には君だけしかいない! どうか僕と再びやり直してくれ! お願いだ!」


 ええええー。

 目の前の状況に思わずドン引きしてしまった。

 番が勘違いだったなんて、そんな言い訳が通用すると思っているのかしら。


「無理よ」


 私が即答すると、隣にいたセムが私の肩を抱きしめてくれた。


「紹介が遅れたが、私は昨晩ルーシーの番となったセラフィムだ。君の出番はもうない。彼女にこれ以上すがるのは止めたまえ」

「うるさい! 番がなんだ! そんなもの勘違いだ! 僕とルーシーの絆はそんなものに負けるわけはない! お前こそ彼女から離れろ!」


 シリウスがセラフィムの肩を乱暴につかもうとした瞬間、彼はいきなりソファの向こう側に吹き飛んだ。ごろごろと広いカーペットの上を転がっていく。


 昨日の私に求愛中のセムだったら、こんな優しい反撃では済まなかったかも。


「やれやれ、乱暴者は嫌だな。お騒がせして申し訳ございません」


 セムが謝ると、お母様がにっこり笑った。


「いいんですよ、セラフィム様。正当防衛ですもの。こちらこそ我が家の問題に巻き込んでしまい、ご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした」


 そう詫びて丁寧に頭を下げた。


「知らなかったとはいえ、セラフィム様、ご挨拶が遅れて大変申し訳ございません。ルーシーを番に選んでいただけて光栄でございます。感謝いたします」


 お父様もセムに大変恐縮して挨拶していた。お父様は彼の名前だけは知っていたみたいね。


「ちょっと! いきなり何をするんだよ!」


 空気を読めないのか、シリウスが立ち上がって再び私たちに近づこうとしていた。

 ところが、彼は屋敷の警備員たちによって背後から取り押さえられていた。


「離せよ! 僕を誰だと思っているんだ!」

「君には犯罪容疑がかけられているから、被疑者だよ」


 お父様の冷静な声に、暴れていたシリウスは固まり、言葉を一瞬失っていた。


「ど、どういうことですか? 僕を犯罪者扱いするなんて!」


 お父様は何度目かのため息をつく。


「君は番保護法を利用して娘と婚約破棄をし、慰謝料と損害賠償金を逃れようとした疑いがかけられている。私はそれを見逃すつもりはない」

「そ、そんな! 僕はミラに騙されたんだ! そんなつもりはなかったんだ!」

「そんなつもりはなくても、君に浮気をされて大事な娘は傷つけられたんだ。しっかり償ってもらうよ。連れて行きたまえ」


 警備員はお父様の命に従い、シリウスを連行していった。


「私が彼を世話したばかりにルーシーはひどい目に遭ったわね。ごめんなさいね」

「ううん、いいのお母様。私の見る目がなかったのが悪かったんだわ」


 マリカは彼の本性に気づいて嫌っていたのだから。でも、彼女がお勧めしてくれたセムなら、きっと両親も安心できるだろう。




 それから私とセムの交際は順調だった。一年後には彼と挙式し、めでたく法律的にも夫婦になった。


 シリウスの件は、ミラと彼との浮気が一週間前ではなく少なくとも一ヶ月も前から行われていたと、お父様が貸していたマンションの防犯カメラから判明した。でも、マチルダおばさんに配慮して結局示談になり、訴えは引き下げたけど、すっかり彼はビビったようで二度と私の前に現れなくなった。彼にとっては多額な損害賠償金と慰謝料を我が家に払うために必死に働いているみたい。


 私の初恋は相手に踏みにじられたけど、セムのおかげでもう過去の出来事になっている。

 彼は六歳の頃に病院で私を見かけて、同じ場所に翌日も会いに行ったら私がいなくて大泣きしていたらしい。そう彼のお母さんから教えてもらった。

 出会ってから二十年以上も私を探してくれた彼をこれからも大切にしていきたいと思っている。



お読みいただき、ありがとうございました!


<8/12>

セラフィムの年齢が分かりにくかったみたいなので修正したのと、セラフィムがルシアンを見かけたエピソードをラストらへんにちょっと追加しました。ご指摘ありがとうございました。

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「敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています」
― 新着の感想 ―
[良い点] まとまったストーリーで読みやすかったです。アホな元婚約者がざまぁされて良かったです。 [一言] 面白かったです。
[一言] 好きな設定がたくさんだったのでわくわくして最後まで読ませていただきました! 読み流してたらすみません。 同じ純血種の女性側から番かどうか判別できないのでしょうか? 男性のみしかわからないの…
[良い点] 面白かったです。
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