入学
入学式にはなんとか滑り込んで間に合った。
会場は思ったよりも広くなかったが、みんな席に着いたばかりだったのか、大きく音をたてて勢いよく入ってきた私と先輩はかなり目立った。そりゃあもう、そりゃあもう!目立った。
「早く席につきなさい」
縁がない眼鏡をかけた厳しそうな女性の先生がこちらを睨んで冷たく告げた。
「はい!すみません。じゃあな、リン」
「はい、また…」
やはり先輩だったのだろうか。慣れたように生徒たちの中に入っていく男を見送ってから、あたりを見渡して考える。
自分は何処に行けばいいのか分からない。ついでに言うとどの先生に聞けばいいのかも分からない。生徒たちは分かりやすく顔を歪めて私を凝視しているが、先生方からは何となくこっちに来て欲しくなさそうに微妙に視線を逸らされる。
さて、誰かに聞きたいけれど、どうしよう。
…この向けられる視線ももう慣れたものだけど、やっぱり悔しくて悲しい。
パサリと髪が肩から滑り落ちてきて視界の端で揺れた。
下を向いて、床を睨んで考える。
……考えても結局、誰かに聞くしか方法はないのに、勇気が出なくて、ひたすら床を睨みつける。
「あ、そうだ。リン」
「は、はい!」
途端、頭に低い声が響いた。
弾かれたように顔をあげると、煌く金の瞳が光を帯びて覗いていた。
黒髪を映しながら優しく細まる瞳を食い入るように見上げたまま、彼がゆっくりと口にした言葉に目を見開く。
「君の髪、すごく綺麗だ。前を向いて行っておいで」
ふわりと笑って、彼は静かに告げた。
すぐに白銀を揺らして、また自分のクラスの元へと足早に去って行ったが、彼がわざわざまた戻ってきてくれたのだということを、まず理解する。
「は、」
次いで、あの穏やかな声の紡いだ言葉を理解した。
「はは、」
不意打ちでリズムが狂った脈のせいか、身体が熱い。もっと言うと、顔が熱い。
どうして、わざわざ、心配して?、優しい…心で騒ぐ色んな声を押しのけるように手の甲をつねる。
嬉しい。ただその感情が心を支配する。
言葉だけじゃない、わざわざそれを伝えるために戻ってきてくれたことも。多分、みんなが見ていることを分かって伝えてくれたのだ。
入った時から感じていた会場中の刺すような視線への恐怖が一気に薄れていくのが分かった。
黒い髪だわ。悍しい。初めて見た。なんて色なんだ。
覚悟をしていたはずなのに、それでもやっぱり向けられる言葉は私を苦しめるものばかりだ。
前を向いてと、彼はそう言った。
「よし」
顔を上げて、さっき声をかけてきた女性の教師に近づく。
毅然とした態度のまま私に目を向ける教師は、私から目を逸らさない。
「新入生のリンです。クラスがわからないので、案内をしていただけませんか」
「…白虎様が守護するこの土地で、貴方のような人はここにいるべきではないのですがね。ジェラフ先生はなにを考えているのか…。はぁ、着いていらっしゃい」
静かに足音を立てずに歩く教師の後ろをついていく。
歩きながら、彼の方を窺うと、クラスメイトに声をかけられて小さく笑みを返しているようだった。
綺麗だなんて、言われたことがなかった。穏やかで私に否定的ではなかったジェラフ先生でさえ、珍しいとだけ。不気味だと怖いと拒絶をされることはあれど、褒められたことなんて…いや、一度だけあったな。
もうずっと昔のことで、記憶は朧げだけど。あの子は、今どうしているだろう。
恐ろしい、と顔を顰める人々の顔を見ながら、懐かしい記憶を思い出す。
案内された席に着いて、一息つく。
大丈夫、大丈夫だ。私は、ここで『白花』を得る。そのためにここに来た。母さまがもう泣かないために。私たちが胸を張って生きるために。
開会を告げる声が響いて、立ち上がる。
私は今日、ウェスタリア王国王立学校に入学をした。
リンはまだ恋をしていないです。嬉しいだけです。
ジェラフ先生もちゃんと髪を綺麗だと思っていましたが、言葉にはしていないだけです。初対面の大人がいきなり髪が綺麗と言うと、気味悪がられるかと思って言えませんでした。