第三章 可能性と対策
しばし考え込んでいたシルバーは、やがて人差し指を立ててみせた。
「当面の問題は、あの子供達の密航及び都市への不法侵入の罪と」
次いで、中指を立てる。
「この組織において、コミュニケーションを取れる人物がほぼいない、という二点だな」
そんな彼女へと、ニックとリリはすがるような目を向けた。
シルバーの表情はほとんど動いていないのだが、この二人にとっては異なって見えるらしい。
「……まず、不法侵入の件だが、彼らがホーフェンゲインの市民権を持っているのであれば、話はそう難しくない」
「っていうと?」
「誘拐されたなど、親元から不法に引き離された被害者ならば、犯罪者から逃げるための緊急避難だったと主張すればすむ。手続きは多少煩雑になるだろうが、人間種の私が申請すれば、通るはずだ。あとは当局持ちで、親元へ返すことも可能だろう。まあ密航に関しては、隊商の方から賠償を求められるかもしれんが」
「ああ、それはこっちで出すよ」
「ええ、そのぐらいの『予備費』は確保してあるわ」
あっさり口にするあたり、特に強がりという訳ではないのだろう。
「そして市民権はあるが保護者のいない、いわゆる孤児の場合も同様だ。本人達の希望を聞いて、このままお前達が面倒を見るか、この都市の児童養護施設に入れるか。あるいは里親や養子縁組先を探せば良い」
「んー……その場合、やっぱ人間種向けの施設とか、親じゃないと駄目かな?」
「そちらの方面には、伝手がないのよねえ」
リリが片頬に手のひらを当てる。
もともと子供の数が少ない獣人種は、産褥で生命を落とす親が少なからずいることもあり、血の繋がりをあまり重視してはいない。特にこの都市のキメラ居住区に住む者達は、リリらの基準で言うとそこまで困窮していないせいだろう。行き場のない年少者に手を差し伸べようと考えられる程度には余裕を持つ存在が、多いとまではいかずとも、それなりにいることは確かだった。
なのでこれまで、獣人種の子供であれば、何度かそういった仲介を行ったことがある。しかし人間種が相手となると、全く話が変わってきた。
いくら当事者の子供が人間種だと告げても、獣人種であるニックらが間に立ったその時点で、すぐさま虚偽だと見なされ門前払いとなるだろう。さりとて当の子供達を直接人間種の元へ連れて行きでもした日には、問答無用で誘拐犯として拘束される可能性が高い。
その場合、いくら無実を訴えたところで無駄なのは、このレンブルグでも変わらなかった。子供の口添えなど、獣人種に脅され言わされているのだと逆効果になるだろうし、たとえシルバーが手を回したところで、解放されるまでには少なくとも数日を要する。その間にどれほどの理不尽がニックらを襲うかなど、想像に難くない。
「その場合は、私の方で然るべき候補を探して、引き渡しにも立ち会おう」
「……助かるよ。ねーちゃん」
「お願いするわ……」
二人が揃って重い息を吐く。
表向きは獣人種の自由と平等を謳っているこのレンブルグでも、それぐらいの差別は当たり前のように横行しているのである。
そしてシルバーは、さらに別の可能性をも提示した。
「厄介なのは、この子供達が市民権を持っていない場合だ」
「なにか問題になるのかしら?」
きょとんとしたように首を傾げる二人は、当たり前のように市民権を持たないところから出発して生き抜いてきたため、だから何だとしか思わないのだろう。
シルバーは、どう説明したものかとしばし言葉を選ぶ。
「……お前達が最初にたどり着いたような田舎町とは異なり、ここやホーフェンゲインは法整備された、自治都市だ。故に市民権を持たないということは、住人ではない ―― いわば『存在していない者』として扱われる」
「うん? ……うん。だから?」
「法の曖昧な田舎町や開拓村であれば、出生届を出されていないということもあり得るだろう。しかし都市部で、生まれた赤子があの年齢まで登録されないなど、よほどの事情がない限り起こり得ない。特に人間種の場合は」
「ええと、姉さま? よく意味が判らないのだけれど」
リリもまた、シルバーが何を言いたいのか理解できていないようだ。
そこで、ずっと黙って三人の会話に耳を傾けていたリュウが、考え考え口を挟んできた。
「つまり……法治社会として、住民を登録管理するシステムを構築している自治都市内では、人間種でありながら市民権すら持たない者を、同じ境遇にある獣人種よりもなお、まともではない ―― よほど後ろ暗い事情を持つ存在として、扱うということですか」
このレンブルグにおいて、市民権を持たない獣人種にはおおむね二種類が考えられる。ひとつは脱走した首輪付き。こちらは明らかに非合法な存在であるため、見つかり次第拘束され、主人の元へ送り返されるか、場合によっては処分の対象となる。しかしどちらかというと多いのは、獣人種同士の間に生まれたは良いものの、親が手続きの存在そのものを知らなかったり、一般居住区の役所へ足を運ぶのを厭い、出生届を出されなかった子供達である。
この都市で法改正が行われ、獣人種が教育を受けられるようになってから、まださほどの年月は経っていない。さらに他都市から送り込まれる教養のない元首輪付きも多く、そういった諸手続きに疎い親世代によって、公的に登録されなかった子供も珍しくないのだ。
故に、もう新生児とは呼べない年齢になっていても、それが獣人種である場合、身元 ―― すなわち生みの親が市民権を持っていることと、当人に脱走や犯罪歴がないことを確認できた場合は、さほど難しくなく市民権が発行される。これだから獣人種は、といった軽侮は向けられるし、保証人も必要とされるが、この場合は親や知人といった獣人種であっても認められている。
しかし、ことが人間種となると、話が異なってくるのだ。
「都市部に居住する人間種とて、無論、貧富の差が存在している。貧困層と呼ばれる、日々の暮らしに事欠く者も、けして少なくはない。それでも ―― 生まれた子供を放置するという行為はめったにないし、仮に遺棄や育児放棄をされていたとしても、何らかの形で一度は公的機関に保護され、市民権の発行とともに、遺伝子情報を記録されているはずだ」
「……では、もしこの子達が今の段階で当局に見つかり、そして遺伝子情報を照合された結果、該当なしと出た場合……その場で不法侵入が発覚。さらに最寄りの都市であるホーフェンゲインでも登録がないとなれば、送り返す先もない上に、素性の知れぬ余所者として、処分される可能性もある……と?」
レンブルグへ移住するにあたり、リュウはシルバーとともにこの都市の法律をかなり詳しく調べていた。よく理解できない部分も多かったが、それでも獣人種と人間種の扱いの差や、市民権に関しては可能な限り読み解こうと努力したものだ。その当時のことを思い出しつつ、リュウは懸命に予想される未来を形にしてゆく。
その言葉に、リリとニックが顔色を変えた。
しかし二人が口を開くより早く、シルバーが答える。
「処分までは、さすがにないはずだ。しかし行政が運営する保護施設の中でも、特に扱いの厳しい……それこそ犯罪者の更生を目的とするような、強制収容所に近い場所に送られる可能性が高い」
衣食住の保証はされるだろう。しかしそこでの暮らしが幸せなものだとは思えない。経歴にも前科として記録が残る。成長し、進学や就職を望む際に、それらは足枷となって彼らの選択肢を限られたものにするだろう。
「う……ん……それは、ちょっと……」
「屋根のあるところで、飢えることなく食べていけると思えば、充分と言えるのかもしれないけれど……」
かつて無実の罪で留置場に入れられた幼い仲間を、看守らの暴力によって無惨に殺された経験を持つ二人にとって、それは聞くだに受け入れがたい未来であるようだった。
「まあそのあたりも、子供達に事情を聞いてから考えるべき話だがな。杞憂で終わるなら、それで良い」
今はあくまでどの場合にでも対処できるよう、事前準備を整えておくため、考えられる可能性を列挙しただけだとシルバーは告げる。
そうと聞いて、リリとニックと、そしてリュウもまた安堵したように身体の力を抜いた。
同じような過去を持つ二人はともかく、リュウ自身はそこまでこの子供達に思い入れを抱いてはいない。むしろ人間種に虐待され続けてきた彼にとっては、たとえ年端の行かぬ子供であろうとも、いつ己の心身を傷つけようとしてくるか知れぬ、脅威でしかなかった。
それでも、
この都市で暮らし始めて、そろそろ二年半が過ぎるだろうか。
最初の二年あまりは記憶を失い、周囲に対して精神的な壁を作っていた。それでもそんな彼へと、アパートの住人や【Katze】の常連達は根気良く接してくれていた。記憶を取り戻してからは、それがどれほど得難く手厚い対応であったのかを改めて理解した。今となっては、それこそ穴があったら埋まりたくなるほどの、いたたまれぬ気持ちを覚えることも多い。
知らぬ間に受けていた恩を、少しでも返そうと努力はしているが……全く足りていないと、我ながら実感する毎日である。
ならば ――
返しきれないその恩を、他の誰かにと語るこの義兄妹を、見習ってみるのも良いかもしれない、と。
シルバーと再会することで、心身共に余裕を持つことができ始めたリュウは、素直にそう感じたのだ。
身を寄せ合うようにして眠る、この幼い子供達が、この先ひどい目になど遭わなければいい。
ごく自然に、そう思う。
それは、この都市で暮らし始める前のリュウでは、絶対に至らなかったであろう思考だ。
そしてもしもまた、記憶を失ったりなどせずに、当初の予定通りシルバーと二人だけで新たな生活を始めていた場合も、同様に。
「 ―――― 」
どこか感慨深く子供達を眺めていたリュウは、それ故に気づくことができなかった。
シルバーの様子が、どこかいつもと異なるということに。
表情が動かないのは常と同じだが、その面からわずかに血の気が引いている。そしてキーボードに乗せられた指先が、かすかに震え始めていた。
「……考えられる、可能性……もしも、彼らが……いや、だが……起こりうる最悪を、無視する訳には……」
低く呟かれた声は、口内だけに留まり、他の三人の耳には届かなかった。
無意識にか動いた指の爪が、キーボードを引っ掻き、乾いた音を立てる。そこで初めて三人が振り返った。
「ねーちゃん?」
「姉さま?」
「…………サーラ?」
口々に呼びかけられても、彼女は俯いて視線を上げようとはしなかった。
片方の手で、服の胸元を皺が寄るほどに掴みながら。
抑揚のない、低い声を発する。
「 ―― ドクター・フェイに、連絡を」
唐突に呟かれたその名に、リリが首を傾げる。
「それはもちろん、夜が明けたらしようと思ってるわ」
健康面も心配だし、と続けようとした言葉を、シルバーは遮った。
「今すぐにだッ!」
突然の叱責にも似た鋭い口調に、三人は思わず息を呑んだ。
感情が表に出にくい彼女でこそあったが、内面はむしろ激しい部分を持っているのだと、ここにいる面々は知っている。その彼らにしてみても、シルバーがこんな風に声を荒げる姿を目にするのは、めったにないことだったのだ。
「……一刻でも……一秒でも早く、検査が必要だ。それと、調達しなければならないものがある」
「え、あ、うん。えっと……何を?」
戸惑いながらも、とりあえずニックは尋ね返した。
その問いに返された内容はというと、
「できるだけ強力な、妨害装置だ」
それは、監視や記録を行う各種機器を狂わせる、特殊な波長を発生させる装置である。建物自体に組み込まれた大規模なものから、衣服に仕込んで携帯できる小型の形式など、様々な状況を想定した大きさ、形状のものが出回っている。
もちろんのこと、善良な一般市民が必要とするような品では、ない。
これまでの会話からはまったく想像できなかったそれに、ニックもリリもそしてリュウも、困惑の色を浮かべるしかできなかった。
§ § §
取り急ぎ連絡を入れた診療所から、ドクター・フェイは二つ返事で【Famille】の組事務所まで足を運んでくれた。
シルバー同様、熟睡しているところを叩き起こされる形となったはずだが、しかし文句をつけることも、さりとて裏組織という存在に気圧された様子もない。いつもと変わらぬ態度で、迎えとして再度車を出した鼠種のトッポやその他の構成員達へと遠慮なく指示を出し、大小さまざまな鞄や箱を次々と運び込ませる。
そうして会議室へと足を踏み入れた彼は、一塊になって眠っている子供達を起こさぬまま、持ち込んだ機材のひとつで一人ずつ順に調べていった。
床の上には、マットレスを囲む形で等間隔に四つ、ちょうど手に収まるほどの大きさの円錐形の装置が配置されている。シルバーが要求した妨害装置だ。幸い手持ちがあったのですぐ用意できたそれらの傍らに、ニックとリリ、そしてリュウとシルバーが一人ずつ膝をついている。
「……ん、もう良いぜ」
携帯式のセンサーで体表すれすれを撫でるようにしていたドクターが、手を止めてそう告げた。と、四人はすぐさま各々が担当する妨害装置を起動させる。一時的に停止させられていたそれらは再び機能を発揮し、囲まれた内部に存在する電子機器の、挙動を狂わせ始める。
「どうだ」
シルバーの問いかけに、寝癖のついた黒髪を乱雑にくくったドーベルマン種の青年は、小さく肩をすくめてみせた。
「あんたの予想した通りだった。全員の、ここんとこに」
己の左上腕の外側へと、逆の手の人差し指を押し当てた。
「異物が埋め込まれてる。反応からして、小型の発信器で間違いない」
その言葉にニックとリリが目を見開いた。リュウもまた、息を呑んでシルバーを振り返る。
「……摘出は可能か」
「ああ。真皮よりは上だし、すぐにでも取り出せるが……まあ、そこまで焦らなくても良いだろうよ」
シルバーがわずかに目を細める。
しかしその口が動くより早く、フェイが理由を説明した。
「この低出力じゃあ、よっぽどの近距離じゃねえと探知は無理さ。そもそも、出力自体がかなり不安定になってる。周波数もめちゃめちゃだ」
「……動作不良を起こしていると?」
「ああ。全員のがほぼ同じ状態だってことは、どこかで強いエネルギーでも浴びたんじゃねえかな」
「ふむ……大型の動力炉や端末の近くか……あるいは、都市間を移動中にでも……」
シルバーがなにやら思案し始める。
度重なる災害や戦争により、大陸そのものが形を変えるほどの地殻変動に見舞われた現在。都市部を離れれば磁場が狂っていたり、大量破壊兵器が残した影響や、旧世界の遺構から漏れ出すなにかしらによって、機械類が正常に動作しなくなるなどよく聞く話だ。
「だからその妨害装置も、別に止めちまって ―― 」
「いや」
ドクターの言葉に、シルバーは頭を振る。
「それでも、摘出を最優先してくれ。リスクは可能な限り潰しておきたい」
「あー……」
フェイは戸惑ったように視線をリリとニックの方へ向けた。
彼ら二人もまた、困惑した表情でシルバーの方を見る。しかし彼女は未だ床に膝を落としたまま、眠る子供達を眺めていた。
「……サーラ?」
リュウが訝しげにその名を口にする。
それでも彼女は動こうとしない。常であれば、身内と認識した相手を無視するなどまずしないシルバーが、今はまるで何事も耳に入らぬとでもいった態度で、両の拳を握りしめている。
指の関節が白くなるほど力が込められているのを目にして、フェイは小さく息を吐いた。
「わーったよ。騒がれると面倒だから、起きる前にちゃちゃっと片付けちまおう。簡単な手術道具は持ってきてるから、手伝ってくれ」
「え、今からやんのか? ここで?」
「ああ、数ミリ切開して摘まみ出すだけだ。血もろくに出ねえよ」
殺菌と消毒さえしっかりしておけば、あとは接着剤と絆創膏で、全治三日といったところだ。縫う必要すらない。
「おいニック、そっちの箱に防水布と滅菌したガーゼ入れてあるから、袋破らねえように持ってきてくれ。リリは湯を頼む。一度沸騰させてから、手ぇ突っ込める程度まで自然に冷ましたやつだ。リュウ、そこの鞄から消毒薬と麻酔出せ」
一度決めれば、フェイの行動は早い。
迷いのない慣れた手付きで子供達全員に薬を投与し、施術中に目を覚ますことがないよう万全を期してから、作業を開始する。
そして ――




