閑話II ... Food education.
冷蔵庫から取り出されたのは、大振りな2本のボトルであった。
樹脂製のそれは中身が見えていて、片方では粘度の高そうな、うっすらと黄色みを帯びた透明な液体が揺れている。もう片方にはつるんとした表面で柔らかそうな、オレンジ色の球体が半ばほどまで詰まっていた。
銀狼の青年は慣れた手つきで、まずは透明な液体が入った方の蓋を開ける。そうしてそれをボウルの上で逆さまにし、強く握りしめた。側面に印刷されている目盛りを見て、6単位ほどを絞り出したところで止める。そうして次のボトルへと持ち替えた。そちらの方は3cmほどの大きさをした球体が、無理なく通る程度に口が広い。大量に出て来ぬよう、もう一方の手で持った蓋を添えつつ傾けると、粘液をまとった球体が糸を引きながら、ぼたりぼたりとボウルの中へ落下した。その数が6つになった時点で、ボトルに蓋をし2つとも冷蔵庫へ戻す。
さらにSOY MILKと書かれた紙パックから白い液体を目分量で注いだら、菜箸で切るようにして全体を手早くかき混ぜた。
加熱調理器の上であらかじめ温めておいたフライパンを確認し、たっぷりの有塩バターを落とす。みるみる溶けて焦げることも塊が残ることもなく広がったら、ボウルの中身の三分の一ほどを、一気に流し込んだ。じゅわ、という音があたりに鳴り響く。
優しい薄黄色になった液体を菜箸でかき混ぜて、全体が固まり始めるのを見計らい、調理器から少し浮かせる。そうして持っていた菜箸を置き、今度はゴムベラへと手を伸ばして ――
そんな一連の光景を、カウンターに並んで座った子供達は、目を輝かせながら眺めていた。上半身を半ば乗り上げるようにして、キッチン内で行われている工程を興味津々に覗き込んでいる。
いい匂いとともに焼けてゆく、本日のおすすめふわとろオムライスを注文したのは、馬系雑種の少年ルディと、そのクラスメートである熊種の少女ベル、そして2つ年下の虎種の少女ティーであった。残りの二人、山羊種のヨクと兔種のスナには、既に粉チーズのたっぷりかかったミートスパゲッティが配膳されているのだが。そちらに手を付けることも忘れているようだ。
「……おれも、そっちにすれば良かったかも」
ヨクの口からは、そんな言葉が漏れていた。
どうやらよほど美味しそうに見えたらしい。
「じゃあ、オレとはんぶんこする?」
ルディが問いかけると、ヨクは勢いよく振り返った。
「良いのか!?」
「うん、いいよ。かわりにスパゲッティちょーだいね」
「おう!」
と、そんなやり取りが交わされる横では、スナが無言でうつむいている。まだ幼い彼は、慣れない場所でうまく自己主張できないでいるようだ。そんな様子に、ベルがいかにも仕方ないとでも言いたげな口調で声を掛ける。
「そんなに食べたいなら、分けてあげてもいいわよ」
途端にぱっと顔を上げたスナだったが、ベルはそっぽを向いて視線を合わせようとしない。
そんな子供達のやり取りを耳にしながら、リュウは最初に焼き上がったひとつ目のオムレツを、皿に盛ったチキンライスへと乗せた。そうしてまずは、スナとベルの間に置く。
彼らの目の前でナイフを手に取り、焼き上がったオムレツへとまっすぐに一筋切れ目を入れた。
途端に子供達から歓声が上がる。
細い切れ込みがみるみると幅を広げ、まるで裏返るかのように一気に流れ落ちた。半熟の卵がライスを覆い隠し、卵と乳製品の、コクと甘さを思わせる匂いが湯気とともにぶわりと立ち上る。
そこへ真っ赤なトマトケチャップを、軽く数往復させたら、
「冷めないうちにどうぞ」
次を焼くべく、使ったフライパンをキッチンペーパーで拭いながら。リュウは率直な反応を見せる子供達を、穏やかな笑顔で促したのだった。
§ § §
さほどの時間差もなく、次々と焼き上げられたふわとろオムライスとミートスパゲッティを、結局は全員で仲良く分け合って。
その味に満足した子供達は、うっとりとした表情で腹をさすっていた。
「おいしかった~~」
「タマゴ焼いただけなのに、なんでこんなうまいの」
「おとーさんが焼いたやつ、もっとペラペラで、紙みたいだったのに」
「とろとろで、ふわふわ。すごい」
口々にそんなことを言っている。
「タマゴが違うのかなあ。ここで使ってるのって、なんかいっぱい入ってるし」
ルディの言葉に、子供達が賛同の声を上げる。
「思った! あれ20個ぐらい入ってるよね!?」
「おみせでうってるの、いつも5個ぐらいなのに」
「っていうか野菜も、うちの店より絶対良いの使ってるよな……」
「とくべつ?」
赤い目で見上げてくる兔種の男の子に、リュウは困惑したように視線を彷徨わせた。
「ええと……材料は、それなりのものではありますが、それでも普通のですよ? 卵も見ての通り、合成品ですし。入っている数が多いのは、業務用だからです」
「ごーせー?」
「ぎょーむよー?」
こてんと首を傾ける子供達に、リュウは助けを求める表情で店内を見わたした。
しかし視線を向けられた他の客達はと言うと、リュウが何に困っているのか判らないようで。
「……その、この卵が本物の卵でないというのは、知っていますよね」
「え、タマゴでしょ?」
「タマゴだよな」
「たまご」
「うん」
「?」
なに言ってんのこの人、とありありと表情に出ている子供達に、リュウは頭を抱えてしまう。
なお、店内にいる客のうち半数以上が、子供達と同じ反応を見せていた。女将であるアウレッタを始めとした数名のみが、苦笑いしつつも助け舟を出すこともできずに手をこまねいている。
と、そこへドアベルの音が鳴り響いた。
みなが反射的に視線を向けた先では、この状況の救い主になってくれるであろう存在が、不審げな面持ちであたりを見回していて ――
§ § §
「……卵というのは、そもそもは何だと思う」
「えっと、だからタマゴだよね?」
「おいしいの!」
「タンパク質とかカルシウムが豊富……って、習いました、けど」
「ん」
カウンター近くの定位置に陣取った人間種の女性は、子供達の答えを聞いて、しばらく何やら考え込んでいた。
「……つまり、お前達にとって卵とは、『食べ物』という認識なのだな」
ややあって、確認するように呟かれた内容に、聞いていた一同は何を当たり前のことをと困惑する。
シルバーは、曲げた人差し指を口唇に当て、言葉を選んでいるようだった。
「卵というものは、元を辿れば……鳥の子供だ」
「え ―― 」
予想外の事実を聞かされた子供達が、声を失う。
シルバーはそんな彼らと、順繰りに視線を合わせていった。
「本来、食用の卵というものは、家畜化された鶏という鳥が産んだものだ。鶏を育て、産まれた卵を適切な環境に置いてやれば、やがて中から雛……子供が出てきて、次の鶏へと成長する。そしてその鶏は、さばいて肉にする。オムライスにも入っている、鶏肉というやつだな。さらに言えば、ビーフは牛の肉、ポークは豚の肉。マトンは羊の肉。つまり本来ならば卵や肉を ―― ハムやベーコンなどの加工品も含め ―― 食べるということは、その生き物の生命をもらっているのと同義……同じになる」
子供達の……そして一部の客の顔色が、じょじょに青ざめてゆく。中には口を押さえて何かをこらえるようにしている者もいた。
「まあ、この都市で市場に出回っている食用卵は、そのほとんどが化学的に合成されたものだ。本物であっても、無精卵……温めても雛が孵ることはない。各種の食肉も同様だ。そういう意味では純粋に食べるために作られた、『食物』という認識は、あながち間違いでもない。むしろ食べなければ無駄に腐るだけだからな。かわいそうだから食べないなどと言うのは、根本的な考え方が違う」
念を押すように周囲を見わたす。
「……しかし都市部を離れた田舎町や開拓村など、施設や流通が行き届かない地域では、たいていその土地で家畜を育てタンパク質を自給している。このレンブルグでもある程度は、本物の卵や肉類などが流通しているが……大人でもあまり知らないのか?」
その問いに答えたのは、外部から移住してきた経歴を持つ、サバ猫雑種のアウレッタであった。
「そういうのは、やっぱりお値段がお値段ですからねえ。私も移動の途中では食べたことがありますけど、この都市に来てからは合成品ばっかりですよ」
「それでもこの店の食材は、かなり質が良いほうだぜ」
客の一人が後を続ける。
常連だが、アパートの住人ではない男だ。どんな仕事をしているかなどは誰も知らないが、別段詮索することもない。話したくなければそれでいい。問題さえ起こさなければ、というのがこの街の流儀なのだから。
その人物を見やったシルバーは、納得したようにうなずく。
「ミト=ディアか」
名を呼ばれた途端、男の肩がびくりと揺れる。
が、シルバーはそれ以上は男について何かを口にするでもなく、子供達へと向き直る。
「現在、この街で流通しているタンパク質類 ―― 肉や魚や卵、それにバターやチーズと言った乳製品の類いも、そのほとんどが工場で化学的に合成、あるいは培養されたものだ。見た目や味などは本物に劣る面もあるが、よほどの粗悪品でない限り、こと栄養面においては本物と大差……あまり変わらない」
「そあくひん……って?」
「……コストを下……安く簡単に作れるよう、本来なら食べないものを混ぜたり、逆に入れなければならないものを入れずに、ちゃんと作ったと嘘をついた物のことだ」
「うちは旦那やドクターの伝手で、そのあたりはちゃんとした所から仕入れてるからね。安心して良いよ!」
アウレッタが胸を叩いて受け合った。
数年前に没した彼女の夫は、料理人として働いていた第一世代の虎種である。黒い筋の入った白髪に青い瞳という、あまり見ることのない〈白虎〉だった彼が、なぜそんな職についていたのか。その理由はアウレッタも知らなかったが、その腕と舌と料理へのこだわりについては、深く信頼していたものだ。あの夫が、多少安いからと言って、味も落ちれば安全面に問題すらある粗悪品を扱うなどあるはずがないと、彼女は今でも自信を持って断言できる。
「話を卵に戻すが、この店で使っているものは合成品だ。おそらく、お前達が普段食べているものもそうだろう」
シルバーの言葉に、子供達はあからさまにほっとした顔となる。
自分達が口にしているものが、生き物の一部だったかもしれないというのは、都市部育ちの子供達にとってはなかなか衝撃的な事実であったらしい。
「本来の卵は、鶏の腹から産まれる。その際には1個ずつで、しかも産みやすいように丸い殼の中に入っている」
シルバーが手帳サイズの端末を取り出し、数度操作してから子供達へと見せた。そこには片方が細い楕円形をした、白い塊が映し出されている。
「これ……ゆでタマゴじゃないの?」
顔を寄せ合う子供達に好奇心をそそられたのか。少し離れたテーブルにいたアヒムが、席を立って子供達の頭の上から覗き込んだ。
そして三毛猫種の青年は、驚いたような声を上げる。
「あ、あれだ。前にオーナーが料理してた時、なんか割ってたやつ?」
「……そうだな」
以前、リュウが流行り風邪で寝込んだ際に、見舞いへ赴いたアヒムら数名は、シルバーが料理しているのを見て仰天したという経験があった。この生活感が薄く、いかにもすべてを使用人に任せていそうな人間女性が、実は料理は愚か病人の世話まで文句のつけようがないほど完璧にこなせるという事実に、あの時は声も出ないほど驚かされたものだったが。
調理中の彼女は、台所で何やら白い塊を割っていた。そういえば中から出てきたものは、見慣れた卵の白身と黄身だったような気がする。
「これは生の卵だ。本来はこの形の殼に包まれた生卵を、丸ごと茹でて固めてから、外の殻を剥がしたものが茹で卵だ。しかし合成卵は、白身と黄身が別々に合成される。それをひとつ分ずつ殼に入れるよりも、それぞれを別容器にある程度まとめて詰め、使用する際に必要なだけ混ぜるほうが、加工や輸送の手間も資源の無駄……出るゴミも少なくてすむという訳だ」
料理によっては、白身だけ、黄身だけを使用する場合もある。そういった場合に分けるという作業も省くことができるという、合理性と原価削減を追求したのが現在の販売形態なのだと。
なお、茹で卵は最初からその形状に固めた状態で作り出され、パウチなどに詰めて出荷されている。半熟や固茹でなど何段階か用意されているため、好みのものを選んで購入するのが、この都市では当たり前となっていた。そんな環境で育っていれば、卵が鳥の子供だと知らずに大人になるのも仕方がないのかもしれない。
言葉を切ったシルバーは、しばらく考え込むように視線を落とした。そうして再度、子供達の ―― そのうちの一人へと目を向ける。
「ヨク=クパ」
「え、あ、はい!?」
いきなりフルネームを呼ばれた最年長の少年は、とっさに背筋を伸ばして声を上げていた。
この女性にはだいぶ慣れてきたと言っても、やはりまだ人間種に対しては、とっさに身構えてしまう。こればかりは身に染み付いた条件反射だ。そう簡単に変えられるものではない。
そんなヨクを咎めることはせず、彼女はその特徴的な横長の瞳孔をまっすぐ覗き込んできた。
「お前の家は、食料品店を営んでいたな」
「そ、そうです」
「……ならば、自分の店が扱っている商品については、学んでおくと良い。後を継ぐにせよ、そうでないにせよ、知っておいて損はない」
「それは……うん、そう、ですね」
教師から頭ごなしに勉強しろと言われるよりも、その言葉ははるかにするりと、抵抗なく彼の胸の中へ落ちてきた。
「野菜や穀物なども、この都市では植物工場で促成栽培されているものがほとんどだ。獣人種の就職先としても、そういった食材を扱う工場は募集が多い。将来の可能性のひとつとして、考えに入れておくのもありだろう」
卒業まであと2年と少しほどのヨクにとって、就職はすでに遠い未来のことではなかった。漠然と親の店を継ぐのだろうと考えてはいたが、今はまだ元気な両親の手伝いをするよりも、他にできることがあるのかもしれない。
そんなことを考えるヨクの横で、ルディはもちろんベルやティー、スナなどもどこか神妙な顔つきとなっている。
「……で、なぜ卵の話になったんだ」
そんなシルバーの問いかけに、途端にどこか張り詰めていた空気が弛緩した。
「あ、あのね、オムライスがふわっふわだったの!」
「とろとろで、切ったらぶわって」
口々にふわとろオムライスの美味しさを語り始めた子供達に、大人達の表情も微笑ましいものを見るものへと変わってゆく。
突然に始まった『食育』は、あっという間にいつもの楽しいおしゃべりの時間へと戻っていくのだった。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
ドアベルをあとに店を出た男 ―― ミト=ディアは、窓越しに店内を振り返り、楽しげな子供達と穏やかにその話を聞いている人間女性の姿を見やった。
「ほんと、怖いヒトだなあ……」
小さく呟く。
この店に通う常連のほとんどが、あの人間に個人情報を握られているというのは、すでに共通認識と化している。ミトも己が例外だとは思っていなかったし、いつか名乗っていないフルネームを呼ばれる日が来るのかもしれないと、どこか期待めいた覚悟もしていた。
そんな彼の勤務先は、精肉加工場である。培養装置の中で塊状に形成された合成肉を、扱いやすい大きさや形に切り分けて梱包、出荷する。そんな役目を担っている。
別に非合法な仕事ではない。むしろ危険も少なければ、賃金もそこそこの額がもらえる、獣人種にとっては条件が良い方の職場である。
しかし ――
獣人種、それも第一世代は、ある程度成長するまで培養カプセルの中で育てられる、人造生命体だ。
だからこそ、同じように培養され食用として出荷される肉を切り刻むことに、どうしても複雑な思いを抱かずにはいられない。
それはまるで、仲間を手に掛けているかのような、拭いきれない忌避感とも罪悪感とも言える。
だからこそミトは、これまで己の職業を誰にも告げることができなかった。
もしも、話したその相手に、同族殺しを見るような目を向けられでもしたならば、と。
けれど、
「将来の可能性、か」
先ほど語られた言葉を、口の中で繰り返す。
作業を監督する人間種には、不潔だの臭いだのと日常的に蔑まれ、そうまでして金が欲しいのかなどと嘲笑されることも珍しくない、低俗な汚れ仕事。そんな己のそれも、あの人にとっては生命を繋ぐための食材を扱う、それこそただの食料品店と同列なもの。ごく当たり前に存在する、普通の職業のひとつという認識なのだろうか。
それでいて、みなの前では口に出さずにいてくれた。あれは周囲に黙っている自分を知っていて、何かしらの配慮をしてくれたのか。
「人間種が、みんなあのヒトみたいだったら良いのに……」
苦笑して、ミトは遅番に出勤するべく、店に背を向け表通りへ足を踏み出した。
その心は、どこか少しだけ、軽くなったように感じられていた。
畜産業者や精肉加工業を、貶める意図は断じてありません。
美味しいお肉を、いつもありがとうございます <( _ _ )>




