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鵺の集う街で  作者: 神崎真
後日談 ... Reminiscence.
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後日談 ... Reminiscence.

 楽しいひと時を過ごして【Katze(カッツェ)】を出たニック=ファミーユは、鼻歌交じりに歩を進めていた。巨体にそぐわぬ軽い足取りは、彼の機嫌の良さをありありと周囲に喧伝している。


 ―― また、会えた。

 ―― 幸せそうで、良かった。


 いささか単純な部分があるその脳味噌には、いま別れてきたばかりの義姉(あね)に対する、奇跡的とも呼べる再会への喜びと……変わっているようでちっとも変わっていない、その為人(ひととなり)への思慕、そして彼女をそうたらしめ続けてくれた、現在の身内(ファミーユ)達への感謝しかなかった。


 へへ、と。


 自然に上がる口角から、鋭い犬歯が顔をのぞかせる。

 かつての彼らは、まだ本当に幼くて。

 あのろくでもない場所で、ろくでもない大人共に虐待されていても、ただただ小さくなって耐えるしかできないでいた。

 同じグループの中ですら、まだほとんど役に立たない、幼い子供達。時には年長者らの気晴らしで簡単に生命を奪われるような、そんな最底辺の扱いを受ける存在。そんな彼らを、当時まだ新参だった義姉(あね)は、年下というただそれだけの理由で身を挺して庇ってくれた。

 そうして、グループの年長者らが留守の間を狙って襲撃してきた人さらいどもに、彼女はさんざんに暴力を振るわれ、その足を砕かれたのだ。たまたま予定よりも早く戻ってきた年長者達により、連れ去られることこそ免れたものの ―― しかし全身傷だらけで、膝もおかしな方向に曲がってしまっていた彼女を、年長者らははもう役に立たないと断じ、路上へうち棄てたのだった。


「…………」


 ニックの丸い茶の瞳に、一瞬だが剣呑な光が宿りかける。

 しかしあの店で子供に勉強を教えていた彼女の姿を思い出し、すぐにそれも霧散する。


 義姉は、昔からそうだった。

 自分の持つ知識を惜しみなく年少の子らに分け与え、そうして少しでも生き抜く可能性が高まる(すべ)を教えようとしていた。

 そんなものが何の役に立つのかと唾を吐いた子供は、さほども経たぬうちに路地裏で冷たくなっていた。

 襲撃を受けたあの日、守ろうとする彼女の手をすり抜け、仲間を見捨てて逃げた何名かは、二度と姿を見ることさえなかった。

 あの日、彼女に守られた子供達。

 最年長のリリですら、まだ10歳かそこらだったろう。

 ニックを含めた幼い彼らは、放り出された義姉を追って、当時所属していたグループを抜けた。たとえろくでなし揃いでこそあれ、それでも一応は庇護者ともなる年長者を持たぬ、幼い子供だけで生きていけるような優しい場所ではなかった。歩くこともできない、しかも半殺しの状態になった者など、翌日にでも死んでいておかしくない。そんな場所だった。

 それでも自分達は、容赦ない暴力を受けながら隠れている年少者達の所在を一言も口にしなかった、あの人から離れようとは思えなかったのだ。

 そうして……彼女を姉と呼び、自分達を弟妹(ていまい)と称する新たなグループ、【ファミーユ】が生まれた。

 幸いにも、精一杯の手当てが功を奏し、彼女はかろうじて生命をとりとめた。その足は歪んだまま固まってしまい、一人では移動さえままならなかったけれど。それでも彼女はみなが集めてくる情報をもとに、他のグループの裏をかき、先んじて食料を入手したり、危険を避ける指示を出した。


 五丁目の角の二番目の溝蓋、というのもそのひとつだ。


 他のグループに内容を悟られぬよう、仲間内だけで通じあう符丁。今にしてみれば文字通り子供騙しに等しいものであったが、教育など受けたこともない者ばかりが集うあの場所では、充分に通用する有効な情報伝達手段であった。


 家族となったことをきっかけに、名前もみなで、改めてつけ直した。


『いくらなんでも、長すぎるだろう。普段遣いには向かないぞ』

『えー、でもカッコイイし!』

『〈だいいちいんしょうがかんじん〉って、おねえちゃんも言ってたじゃない』

『ねーさんも、もっと長くしようよ!』

『やっぱSは外せないよなっ』

『Vもいるだろ』

『Rも、Rもッ!』

『そりゃ、おまえだろ。メイリールー……なんだっけ』

『リリアラルーナ!』

『多すぎだってっ』


 弾けるような笑い声が、耳の奥に懐かしく蘇る。

 かつては存在し、けれど今ではもう失われてしまった時間。過酷ではあっても、それでも楽しいこともあったのだと、そんなふうに思えるいくつものやりとり。


「…………テアフィアフォーアーシェス……ヴァーレディンサルト……サーレルアシッドウェンシャン……ネティティメエレリィズ……」


 懐かしい名を、口の中で転がすように呟く。

 どれも長くて複雑で、今となってはとても呼びにくいし、他者にもなかなか覚えてもらえない不便な名だと、自分達でもそう思う。

 それでも、


「……ファンテールシアーノバ……エンウンダックネストリオ……ドノメンセノンファーデ……みんな、ねーちゃんはちゃんと覚えてくれてたぞ」


 店の奥にあった部屋で、互いのかつてと今をすり合わせながら。

 あの人は全員の名を、一字一句(たが)えず、淀みすらせず口にした。

 まるで櫛の歯が欠けるように、少しずつ数を減らしてゆく中で。互いに縋るように呼び合っていた自分達とは異なり、一番最初にはぐれてしまったあの義姉は。それでも誰一人として忘れてはいなかった。


 たまたま道を外れ、あの無法地帯へ迷い込んできた、都市間を移動する隊商(キャラバン)

 稀に訪れる人買いや闇商人が率いるそれとは異なり、表社会の物資を輸送するまっとうなそれの存在を知らされた彼女は、聞いたその場で即座に計画を立て、みなに指示を出した。

 手近にあるだけの食料と水をかき集めて、コンテナに全員で潜り込んだ数時間後には、もう彼らは動き出していた。

 薄く開いた扉の隙間から、遠ざかってゆく街 ―― と呼ぶのもおこがましい廃墟を覗き見た段階では、まだ現実感など何もなかった。

 そうして無法地帯からは脱したものの、やはり途中で見つかってしまった時も。そこでも義姉がみなを庇って先頭に立ち、なにやら難しい言葉で人間種(ヒューマン)の大人らと交渉をした。その結果、下働きをする代わりに、最低限とはいえ食事と寝る場所をもぎ取ってくれたのだ。

 本当に、あの義姉の決断と実行力がなければ、自分達は間違いなく無法地帯で全員のたれ死んでいた。


 だから ――


 二人『も』残ったことは、本当に奇跡と言えるだろう。


 本来の(ルート)からそれた隊商が、ひとまずの補給地とした小さな田舎町。都市と呼ぶにはあまりに小さかったが、それでもそこにはある程度の法が整備されており、庇護者のない幼い子供達でも、かろうじてやっていくことはできるだろうと目されていた。

 あともう数時間で、そこに到着すると知らされた、その直後だった。

 隊商が襲撃を受けたのは。

 おそらくは、物資を狙う無法者か何かだったのだろう。

 突然の爆発と、大量の火と煙に、隊商の者も【ファミーユ】の子供達も、全員がパニックに陥った。必死に逃げる間にも攻撃は続き……気がついた時には、義姉の姿が見えなくなっていた。

 みなで力を合わせ、半ば引きずるようにしてでも共に逃げていたのに。

 それでも幼い子供の力では、身体ごと吹き飛ばされるような爆風に、抗いきることはできなかったのだ。


 今では杖を使えば歩けるようだが、あの頃の彼女は、一人で立つことすらおぼつかなかった。襲撃が終わったのち、商人達がみな逃げ去ったあとも、(くすぶ)る残骸の中を何日も探し回って。そうして自分達は、涙ながらにあきらめるしかできなかった。義姉はあの炎に巻かれ、骨すら残さず燃え尽きてしまったのだろうと。


 義姉を失った自分達は、弱かった。

 弱いということを、まざまざと思い知らされた。

 町まではなんとか徒歩でたどり着けたものの、そこから先は苦難の連続であった。

 獣人種が問答無用で首輪を嵌められる、そんな町でなかったことは、せめてもの幸運だった。その代わり、仕事を自分で見つけ、金を稼がなければならなかった。

 金という概念すら、義姉の教えでしか知らなかった自分達は、基本的な読み書き計算こそできたものの、それをうまく活用するにはあまりにも世間知らずで、幼かった。

 掃除や届け物といった、手伝いに毛が生えたような仕事をこなしても、駄賃を誤魔化されるのは当たり前。それを指摘すれば態度が悪いと、即座に放り出される。買い物をする際も同様で、並んでいる中でも特に質の悪い品ばかりを押し付けられ、釣りさえも着服されてしまうような毎日。

 それでも我慢して日々を暮らしていれば、今度は身の回りで起きた揉め事の責任をなすり付けられ、仕事どころか住む場所さえも奪われて。

 そうこうするうちに、まだ8歳だった犬系雑種(ミックス)のヴァーレディンサルトは、金を盗んだと濡れ衣を着せられ捕らえられた挙げ句、そのまま牢の中で死んだ。帰ってきた遺体を見れば、過剰な暴力を振るわれた結果なのは明らかだった。

 10歳の牛種ドノメンセノンファーデは、優しげな雇い主にその身体能力を評価され、喜んで荷運びを行っていた。給料は最初に聞いた話よりも少なかったが、それでも充分もらえているから良いんだと言って。しかしその後、運んでいた荷の中身が違法薬物だったとして、彼は官憲に追われる身となり ―― 数日後、まるでゴミのように川の中で浮いていた。

 働いて、働いて、12歳でようやく雀の涙ほどの金を貯め、これでまともな部屋を借りられると笑っていた人間種(ヒューマン)のファンテールシアーノバは、手続きがあると出かけたきり帰ってこなかった。遺されていた契約書には、まず数年分の家賃を先払いする旨と、滞納した場合は臓器提供に同意するという文言があった。とても薄く、小さな文字で。


 今の時代、人間種(ヒューマン)の間で行われている臓器移植手術では、合成細胞によって人工的に培養されたものを使用するのが一般的である。

 しかし一部の裕福な階層の間では、同じ人間種(ヒューマン)の肉体から取り出された、いわば『天然モノ』の臓器の方に、より高い価値をつけているらしい。

 医学的な詳しいことなど、ニックには正直あまり良く理解できなかった。それでもこの時代、需要がありながらも、保存期間内に輸送可能な地域で適合する提供者(ドナー)を見つけられる可能性が極めて低いことは、なんとなく想像できる。

 特に大きさに制限のある子供のものなど、正規の手段で調達するのは相当に難しいのだろう。


 だから、


 人間種(ヒューマン)であった仲間(ファミーユ)の少女は、部品(パーツ)を取るために騙され、連れ去られ……そしてバラバラにされたのだろう。

 合成細胞の臓器よりも、人間種(ヒューマン)のそれを移植したいと望む者によって。

 非合法な手段に抵抗を覚えぬ者の目には、まともな庇護者を持たない浮浪児など、いくらでも湧いてくる便利な資源としか映るまい。

 だからこそ、あの無法地帯にさえ手を伸ばしていた人さらい共は、獣人種の子供を首輪付きとして丸ごと売り、人間種の子供はバラしてその内臓(なかみ)を売ろうとしたのだ。


「『口約束はするな。文書に署名する時はちゃんと読め。小さい文字まで必ず全部』」

「『いくら親切そうに見えても、不誠実なことをやる相手は信用するな。真っ先に切り捨てられるぞ』」


 これまで幾度も口にしてきた文言を、今日も(そら)んじてみる。

 それは意味もまだよく理解できぬ頃から、繰り返し繰り返し言い聞かされた、【ファミーユ】の家訓とも呼べるものの一部だった。

 義姉から教え込まれ、そうして現在の【Famille(ファミーユ)】でも、仲間を迎え入れる際には必ず覚えさせる。そんな、心得だ。


 ごくごく当たり前の、けれどとても大切な、身を守るための基本中の基本。


 それらを忠実に守って、守り抜いて ―― そうしてやっと、ニックとリリは、ニエルクーティアヌトスとメイリールゥリリアラルーナだけは、この街までたどり着き、今の立場を築き上げることができたのだ。


 義姉によれば、今となっては短い時間を過ごしたあの無法地帯も、もう存在していないのだという。

 彼女の義父(ちち) ―― なんでもすごい技術を持った、ハッカーだったらしい ―― が調べてくれたそうだ。

 少ない情報から緯度と経度を割り出した結果、見つかったのは巨大な丸い陥没跡(クレーター)

 手帳サイズの端末で見せられた上空からの画像は、比較対象が存在しないため、はっきりとした大きさまでは見て取れなかった。しかし人工物の痕跡などまるで見当たらなかったあたり、おそらくは街ひとつを飲み込む規模の何かが起きたのだろう。

 あそこは完全な廃墟でこそあったが、地下に旧世界の施設が残っており、まだ生きて動いているという噂がまことしやかに囁かれていた。

 頭の悪い大人共が、よく判りもせぬまま弄り回して暴走させたのでは、という想像がたやすく脳内に浮かぶ。少なくとも、あそこにいた連中がそれぐらいやりかねない考えなし揃いであったのだと、今のニックは理解できるようになった。


 あの場所さえもが、もうこの世には存在しないのだと知って、複雑な気持ちにならなくもない。


 けれど、それもこれも義姉(あね)と、今はセルヴィエラ=アシュレイダと名乗っているという彼女との再会に比べれば、ごく些末な事実でしかない。


「……ねーちゃんの苗字がファミーユじゃねえのは、ちょっと残念だけど……でもアシュレイダってのも、いい響きだよな」


 なにしろあの義姉を、保護して育て上げてくれた人物の名なのだ。

 文句などつけては、それこそ(ばち)が当たるというものだ。


 ―― 次に遊びに行った時は、そのとーちゃんとやらについても、聞いてみよう。


 護衛という名の目付役も、繰り返し会わせていれば、そのうち義姉(あね)の良さを知ることになるだろうし。

 数歩遅れてついてくる男へと、ちらりと丸い目を向けて。

 身内同士の仲にはひそやかに繊細な気配りを見せる一家の長は、そんなふうに画策しつつ、いまの家族らが待つ拠点目指して足を動かすのだった。



    〈 鵺の集う街でIX 後日談 終 〉

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