エピローグ
めったに使用しない備え付けの通話装置の前で、ドクター・フェイは椅子に身を預けるようにしてモニターへと目を向けていた。
「今回は助かったよ」
『礼には及びませんわ。もしその診療所が閉鎖されるようなことにでもなったら、わたくし共だって困りますもの』
モニター越しに届くのは、落ち着いた女性の声だ。
あの半グレ連中に混ざっていた女達のそれとは、比べようもない。艶やかさの中にも気品を漂わせた、高い知性を感じさせる響きである。
『まったく、ああいった道理を弁えない愚か者は、本当にやっかいで困りますわ。これを機に少しでも数を減らすことができて、こちらとしても助かったぐらいですから』
「処分したのか」
『なにか問題でも?』
「ノーコメントってことにしとこうか」
医師としての彼は、たとえ内心でどう思っていようと、口にできない内容がある。
いわゆる、建前というやつだ。
『あら、リーダー格の男は、そちらで先に処理なさっていたでしょう。この期に及んで、そんな綺麗事だなんて』
くすりと笑みを交えた女の言葉に、フェイは軽く首を傾げてみせる。
「うちで? それは聞いてねえが」
『横の路地で、喉を裂かれていたとの報告がありましたわ。助けを呼びに出たという一人が、ついでに始末したのだと解釈しておりましたが』
「ああ ―― なるほど、そういうことか」
獣人種を治療するため様々な情報を集めることに余念がないフェイは、特殊な規格についてもある程度の知識を持っていた。
納得したようにうなずいた彼へと、女はさらに続ける。
『それに、たまたま塒にはいなかった者達も、その後さまざまな罪状が発覚して、人間当局の手で拘束されたとのことですし……そちらで何かしら、手配りをされたのでしょう?』
「……そいつぁ、たぶん……いや、なんでもねえ」
脳裏に浮かぶのは、標的と定めた相手の個人情報を、洗いざらい丸裸にしてしまう、黒髪の人間女性の姿だ。
フェイは言葉を濁したが、女はさほど興味もなさそうに話題を転じる。
『まあ、細かいことをどうこう申し上げるつもりはありません。それよりも ―― 恩を感じて下さっているというのであれば、少しばかりお願いを聞いていただけませんでしょうか』
「ん、なんだ? 誰か治療してほしいってんなら、普通に来てくれりゃあ、別に断りもしねえが」
『いいえ、違いますわ。ただ、ひとりばかり……取り持っていただきたい相手が、おりまして』
医者として便宜が必要なのかと問えば、女は意味ありげに言葉を切って、そんなことを告げてくる。
「俺が仲介できる相手ってえと……」
他の組織の幹部の誰かか ―― あるいはもしかして、一般居住区で開業している、獣人種に対してそれなり程度には接してくれる、人間の医療従事者か。それとも薬剤の仕入先あたりだろうか。
とっさに思いつく相手を、脳内でリストアップする。その耳へと、予想外の言葉が届けられた。
『 ―― 二十代半ばの、左足が不自由な、黒髪の女性』
「は……?」
『人間種の ―― 名前は、セルヴィエラ……アシュレイダ、でしたか』
「……どういうつもりだ」
低く唸るような声で問い返すが、女は動じた様子もなく、ただ含みのある微笑みをたたえてみせる。
『わずかばかり、確認したいことがあるだけですわ。けして貴方を不快にさせるような、「格好の悪い」真似をするつもりはございません』
「…………」
無言で見据えるフェイへと、女は何でもないことのように口にする。
『ご都合が悪ければ、それはそれで構いません。その時はそれこそ「普通」に、直接お顔を拝見しにうかがうだけですから』
「……判った」
フェイは短く答えを返した。
それから素早く、思案を巡らせる。
「 ―― 場所と時間と面子は、こっちで決める。それでも良ければ、だ」
その提案に、女はあっさりうなずいた。
『もちろんです。うちの家長に成り代わり、お礼申し上げますわ。今後も、もし何か起きた際には、できる限りのご協力をさせていただきます』
「ああ……こちらこそ、よろしく頼むぜ」
相手の意図を読みきれず、感情のこもらない返答をしてしまったフェイだったが。
モニターの中では、女の明るい茶に輝く虹彩の中で、瞳孔が楽しげにきゅうっと細められたのだった ――
〈 鵺の集う街でVIII 終 〉




